いつかきた道をくりかえさないために
−南京大虐殺と日本人の精神構造−
津田道夫
2001年11月5日、江東区民センター会議室において、12月集会のプレ集会を開催した。講演は標記の題目で津田道夫さんにお願いした。講演抄録と質疑応答を以下に掲載する(一部割愛)。
津田道夫さんは、ノーモア南京の会の会員であるとともに障害児教育問題など多方面でも活躍する評論家。近現代史、南京大虐殺に関わる著作も多数。(文責・木野村)
私たちは、いまどういう時代を生きているのか、を常に考えながら生活している。
かつて小学校2年生のときに南京陥落祝賀の旗行列に参加して旗を振ったことがある。今の時代をいま判断するのであるから、だれでも間違いを行うことがある。だが、そうした行為をのちに振り返り、とんでもないことをしたなと思う。現在においてそうしたことをふたたびくりかえさないために、間違いをとらえ返すことが大切だ。そういうものとして南京大虐殺をとらえかえしたい。
1.同時多発テロとアフガン攻撃、それと日本の立場
いま、アメリカの「同時多発テロ」が行われて、それを契機にして、米軍支援の自衛隊参戦法が制定される時代になった。
ところで、日本は戦争責任を反省して不戦非武装の憲法をつくった。ひとりひとりがそのように自覚しているかは別にして、われわれはそういうふうに位置づけて改憲勢力とたたかわなければならない、そういう時期にきている。
「後方支援」とか「物を運ぶ」というけれども、現代戦において後方と前線、戦闘地域と非戦闘地域を区別することはできない、「後方支援」はまったくのごまかしである。
いま日本人はいつか来た道をくりかえそうとしている。いつかきた道をくりかえさないことが大切だ。
1999年5月、ハーグ平和アピール市民社会会議が開かれ、「公正な世界秩序のための十の基本原則」が出された。その第一条において、「各国議会は、日本国憲法第9条にあるように、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択するべきである」ということが明示されている。この憲法9条が存在するそのこと自体が重要である。
9.11テロは無関係な人をまきぞえにするものであり認めることができないが、一方アメリカの「自衛」という名の侵略戦争によってアフガン難民が何千と生み出され、何万人が餓死するかわからないとうような状況を生み出している。日本はこのアメリカの侵略戦争に荷担する法律をつくりだした。急遽七日間で自衛隊参戦法を決めた。「後方支援」は、戦争への参画以外のなにものでもない。小泉首相は「ぎりぎりのところでの憲法解釈である」といっているけれども、そうではなく、これははっきり「日本国憲法第9条に対する違反である」と考える。
小泉内閣に対する高支持率にもかかわらず、とんでもない事態が進行していることを深刻に受け止めなければならない。
米軍基地の集中する沖縄では、観光産業は壊滅的な打撃を受け、失業率は10%になろうとしている。これは「本土」の反戦運動の不十分さの責任である。中国、シンガポールあと南ドイツ新聞で憲法9条があるにもかかわらず、ふたたび戦争への道を歩み始めていると、この事態をかなり厳しく批判的にとりあげている。
いつかきた道のひとつの象徴的な帰結が南京大虐殺であり、いまひとつの帰結が広島長崎であったとするならば、今の情況のなかで日本がふたたび危険な道にふみこんでいかないためには、金だ軍隊だということではなくて、日本国憲法を守っていくこと、これをハーグアピールに従って公正な社会秩序の一助としていくこと自体が、国際貢献であると考える。
2.南京大虐殺−規模と実相
(1)なぜ南京まで行ったか?
今年の9月18日は、日本の近現代史における重要な転換点である「満州事変」から70周年にあたる。しかしこのこと自体が忘れ去られ、歴史に対する無知が全般化している。歴史に対する無知こそが侵略加害者の傲慢さの反映以外のなにものでもないと思う。
1937年7月7日に、盧溝橋事件がおき、中国全面侵略戦争にむかう。8月15日、近衛内閣が「暴支膺懲(暴れる中国を懲らしめる)」声明を出した。これがスローガンとなって、中国侵略が進められた。
(略)
中国侵略の「15年戦争」をかの「新しい歴史教科書」では「満州事変」「支那事変」「大東亜戦争」と、それぞれの段階として別々に切り離している。しかし、これは切り離すことのできないものである。日本の勝手な権益のための腐敗堕落しきった侵略戦争に対する、中国人民が、民族が滅ぼされようとすることに対するぎりぎりのところでの抵抗闘争であり、民族を守ろうとする一貫した、気高いものである。このように「15年戦争」には道徳的に大きな隔たりがあることをみなければならない。
(2)南京大虐殺の条件
功名争い、部下の掠奪争い、参謀本部と現地部隊の間には統制がとれていない。
物資が間に合わないということで糧秣の徴発・掠奪が行われる、女性がいれば強姦する。 将兵たちの士気を鼓舞するために「掠奪・強姦勝手放題」(『上海時代』中公新書)ということが暗黙の了解として行われた面がある。
(3)南京大虐殺の規模
歴史改ざん派のいい分は、日本軍占領時、南京の人口は20万人なのに、どうして30万人殺せたかというものだ。
しかし、この数字は、南京国際安全区内の人口(『ラーベの日記』)をもって南京特別市行政区全体(揚子江をはさんで6つの県からなる)とすりかえている誤りがある。
南京全体ではどれくらいの人が殺され、女性が強姦されたことか。
さらに、「日本『南京』学会入会ご案内」の勧誘文によれば「大虐殺派、中虐殺派、小虐殺派、なかった派と、幅広い解釈が存在しております。本学会では、学術的な『南京』研究・・」と書かれている。このような分類自体が非常に許し難い。千人でも虐殺は虐殺であり、こうして数にすり替えるのは、「数ははっきりしないんだ」、「南京大虐殺は藪のなか」、そして「南京大虐殺まぼろし」へと議論をずらしていこうとするものである。
(4)南京大虐殺の実相
捕虜を大量虐殺したが、包囲して機関銃で撃ち殺したあとに生き残っているものを銃剣で刺し殺すということが行われた。これを「爽快なる気分なり」と書いた兵士がいる。また、民間からの掠奪や、なかには強姦もあっただろうが、「徴発は実に面白い、戦利品たくさん」と書いた兵士がいる(『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』)。こういう残虐な行為を行っている。
さらに東史郎日記、斎藤次郎陣中日記にみられるように、母親が殺されたがゆえに飢え死にが待っているだけというような乳幼児はたくさんいたであろう。
こうした残虐行為全体を含めて南京大虐殺を見なければならない。
3.総力戦として戦われたこの侵略戦争、残虐行為の背後には、銃後の日本人大衆の支えがあった。
すでに「満州事変」直前、軍部の大衆煽動、世論工作があった。
1930年、石堂清倫氏が次のように見聞したことを書き留めている。
田舎での軍部直営の演説会、制服の某少佐のアジ演説。
「日本の農村はいま非常に窮乏している。・・・これは思い切った手段で解決しなければならないだろう。・・日本は土地が狭くて人口が過剰である。・・ここでわれわれは、国内から外部へ眼を転換しなければならない。満蒙の沃野を見よ。あそこには無限の耕地が広がっている。他人のものを失敬するのは誉めたことではないけれども、生きるか死ぬかという時に背に腹はかえられない」
1930年だけで、全国1866回の演説会、165万5千人の聴衆が動員されたという。たしかに軍部の陰謀がきっかけになって「満州事変」が起こされた。しかしそれに呼応する銃後の民衆の賛同があってはじめて事態は可能になった。
戦後でた「日本憲兵史」のなかで元憲兵大谷敬二郎は「暴支膺懲は国民の強い呼びかけであった」といっている。1937年7月7日以後、「暴戻支那を撃て」の声が全国津々浦々にこだました。
『静岡民友新聞』には、近衛声明のでる前の7月21日「責は支那の不遜にあり、皇軍不義を討たん」という論説がすでに載っている。在郷軍人会、国防婦人会、処女会など国民運動レベル、民衆レベルにおける「不遜なる中国を撃て」という声がこだまし、そういう声にのって、近衛「暴支膺懲」の声明がだされたことを忘れてはならない。
4.銃後大衆の支え−父の日記から
1937年10月23日 出征兵士への義捐金に対して、埼玉県出動将兵援助会久喜支部長からの御礼状をもらっている。
12月8日
12月9日 甥が太源攻略戦に参加との手紙には、「馬鹿なのは支那の奴等だ」と書いた。
12月11日(土)
12月13日「南京陥落奉祝久喜町提灯行列」
12月16日
12月17日「南京入場式、皇軍将兵の感激や如何に」
5.過去の反省は現在の問題だ
よくなんであんな無謀な侵略戦争なり、南京大虐殺を許すようなことをしたんですか、とめなかったんですかといわれる。
過去を反省するということは、過去を単に知ればいいということではない。現在の問題、現在何をなすべきか、現在をいかに生きるべきかということだと思う。
いま現在、同質の誤りや犯罪が我々の周辺にひそんでいるのではないか。
日本国憲法にも拘わらず、自衛隊がハワイからアラビア海まで出ていく、これは国際的犯罪です。このことを、つねにふりかえりながら、過去を反省することが大切だ。
そこにこそわれわれが南京大虐殺ということに固執し、このことを自分のものにしていく必要がある。南京大虐殺の事実をしっかりと把握すること、同時に30万人虐殺ということのうちに中国人民の生活基盤が全体として破壊されていったということ、数の問題も大切だが、何人殺されたかということよりも、何がなされたか、たとえば強姦された後に三八式歩兵銃で突き殺された、その実相をはっきりつかみ取る必要がある。
ジェノサイトの最大の罪は、こうした一人一人の悲惨というものを見えなくすることにある。数の問題も大切だけれども、数の問題に解消すると一人一人の悲劇が今日にいたるまで続いていることが見失われてしまう。この個々の悲惨さにはっきりと眼を向け、人間的想像力を働かせなければならない。
それに重ね合わせるかたちで、いま日本がどこにいるのか、どういうことをしようとしているのかに人間的想像力を働かせなければならない。
討 論
「中国人民がいう数の問題について」
概数で言うしかないという限りにおいて、中国人民が30万というからには、その数字の背後には、ひとりひとりの、つまり飢え死にした子供もあれば、強姦されたあと突き殺された女性もある、また一家の大黒柱をうしなったために飢え死にした人もたくさんいる。そういうものも含めて考えると、個々の体験のうえに立脚して南京大虐殺30万と中国人民が言っている以上、それをそういうものとして加害者であるわれわれは受け止めなければならない。その加害の事実を明らかにし、明確に謝罪をしない限り、日中友好などありえない、そういう性質のものではないかと思う。
「いま報復戦争が始まり、日本が参戦するという話になっているが、過去のことをくりかえさないために、そういう動きに流されない、銃後のものとして動員されていってしまわない精神構造とはなにか、くいとめるものは何か」
日本は天皇制国家であると同時にそれと不可分の関係として天皇を至上の価値にもちあげた天皇社会であるといえると思う。だから天皇の命令であれば何をしてもいいという考えになる。
同時に日清戦争以後中国人蔑視が非常にある。他民族を差別する人間は差別される。そういう差別思想というのが絶対によくない。差別思想というのがいかにこわいか。差別思想をなくすたたかいが大切である。
[ホームページへ]
・
[上へ]
・
[前へ]
・
[次へ]