南京大虐殺情報ホットライン

「いま、語らなければ・・・」、130件の情報
1997年10月10日−12日


昨年10月10日から12日までの3日間、「ノーモア南京の会」は、 東京で「南京大虐殺60ヶ年全国連絡会」の仲間と連携して “南京大虐殺情報ホットライン”を開設しました。 この企画は、12月中旬全国各地で催される「南京大虐殺60年国際シンポジウム」 に向けた連続行動の一環として位置づけられたものでした。

南京占領戦に参加した師団本部のあった各地の都市で、 このホットラインは設置されました。 第6師団が本部を置いた熊本、第5師団が本部を置いた広島、 第9師団の本部があった金沢、第3師団が本部を置き、 南京占領戦の現地最高責任者である松井石根中支那方面司令官の 出身地でもあった名古屋、 京都に本部を置いた第16師団の元兵士を対象とした大阪、 そして東京の計6ケ所の都市でこの企画は催されました。

事前にマスメディアを通し、南京占領戦に参加した元兵士や、その戦争を目撃、 あるいは伝聞した方々に情報提供を求めていましたが、 果たしてどれほどの反応があるのか、不安一杯のスタートでした。 日本軍による南京占領戦からすでに60年の歳月が流れ、 当時20歳であった元兵士は、今や80歳の年齢を数えていることになります。 しかしかかってくる電話は、 イヤガラセばかりではという心配が杞憂に終わったと言えるほど、 様々な情報が寄せられることになりました。

東京の「ホットライン」には、南京占領戦に参加して元兵士からの情報提供2件。 日本軍の占領後、南京に駐屯した元兵士からは2件。 南京での虐殺などの伝聞4件。資料提供の申し出1件。励まし2件。 問い合わせ2件等々、嫌がらせ電話6件を含め、 計30名の方々から電話をいただきました。

第16師団、野砲兵22連隊の兵士として南京占領戦に参加したMさんは、 「今まで女房や子供に一度も戦争の話をしたことがないが、 二度と同じ過ちを繰り返さないようにするため、今語らねばならない」 という切り出しで、自分が見た南京の情景を語り始めました。 “紫金山の麓から城内に向け、ものすごい砲撃を加えたこと” “城内に入ると玄武門にそって死体が山のように積み上げられていたこと” “日本兵がある橋の上で一人の中国人と出会うや、胸ぐらをつかみ、 川に突き落とし、橋の上から銃を乱射し、 中国人を殺すという光景を目撃したこと”等々。

各地の結果を集計すると、南京で集団虐殺や掠奪、強姦等を目撃、 体験した方からの情報提供は計18件。電話の総数は130件を数えました。 各地で、この18名の方々に対する聞き取り調査が開始されています。

東京では前述したMさん、 南京戦に第114師団66連隊の兵士として参加したYさん、 そして114師団水戸連隊の兵士として、 日本軍の南京占領の翌年の5月から南京に駐屯したKさんの三人に その後直接お会いし、話を伺いました。

しかし、Mさんは83歳、Kさんは81歳、Yさんにいたっては89歳です。 あまりに遅すぎた聞き取り調査活動と言わざるをえません。 なぜもっと早くこのような企画が出来なかったかを悔やむばかりです。 見ず知らずの私たちを快く、自宅にまで迎え入れ、 侵略戦争の体験を語ってくれる、おじいちゃんを前にして、 私たちの今までの反戦・平和の運動のあり方に 思いを致さないわけにはいきませんでした。

被害の側からの証言に加害の側からの証言が加えられるとすれば、 侵略戦争の歴史は、より立体的なものになることは言うまでもありません。 あまりに遅すぎた出発ではありますが、このような地道な活動を積み上げ、 侵略戦争の歴史実態を明らかにしなければなりません。

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