103号
アンネリーゼ・カミンスキー さん講演会
日時:2001年4月3日(火)午後6時半〜8時半
場所:キリスト教会館6階会議室
テーマ われわれの時代における教会ー教会の課題は何であるか
司会 南吉衛(NCCドイツ委員会委員長)
通訳 村上伸(NCCドイツ委員会委員)
日本とドイツとの間には、大変よく似た状態があると思います。教会について色々な人と話すときによく出てくる意見として「信仰は否定しないが教会はいやだ」ということを聞きます。「教会は色々と大事なことをしているけれど、私は教会を必要としない。自分は信じているけれど、教会なしで信じることが出来る。」私たちはドイツでこういう言い方をする人に多く会います。そしてどんどん増加の傾向にあります。こういった言い方に対して、教会は、私たちは、どのように答えることが出来るのでしょうか。
今年の年間標語がコロサイ人への手紙2:3『知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠されています。』です。私たちがいかなる宝を与えられているかということを考えるきっかけを与えてくれているのではないでしょうか。私が印象を受けたのは「隠されて」いるというところです。私たちはしばしば考えるのです、どこに見える教会があり、どこに隠されている教会があるのか。見える教会と見えざる教会は、すべての教会史を貫いて示されています。
教会の本質とはいったい何でしょうか。教会の課題とは何でしょうか。この問いは、キリスト者、神学者だけがたてる問いではありません。キリスト者でない人、政治家も持ちます。去年の秋、ブランデンブルグ福音主義教会では一つの大事な問題についての議論が盛り上がりました。それは、亡命申請者をどのように受け入れるかということでした。いくつかの教会がこの件に熱心に関わりを持っていて、亡命を求めてドイツにやってきた人たちを教会にかくまいました。教会が隠れ所、逃れ所となっていました。この人たちは、ドイツ政府に亡命を申請しましたが、却下された人たちでした。この人たちは故国で、裏切られる経験をして、精神的、経済的にひどい目にあって逃れてきた人たちでした。そして教会に助けを求めてやってきた人たちでした。この人たちに対して教会は何が出来るかよく考えて、行わなくてはならない。私たちの大きな課題です。
私は、ケニアから出てきた女性に会いました。二人の子どもを抱えてやってきたのです。
彼女の夫は今でもケニアにいるはずですが、地下に潜っており、無事でいるのか誰もわかりませんし、連絡も取れません。そんな状況の中から、彼女は二人の子どもを連れて逃げ出して、結局ドイツにたどり着いたわけです。
彼女は教会の地区長(教区長)の家に迎え入れられました。その牧師は、3人の子供を持っておりますが、このケニアからの3人を受け入れました。彼女たちは、非合法でドイツに滞在しているわけですから、庭で遊ぶことすら出来ませんでした。この地区長の家庭に4人目の子どもが生まれました。家は狭すぎますから、教会の集会場に3人が住むことが出来るようにしました。教会員の中には、このようなことをするのは教会の役目ではないと考える人がいたかもしれませんが、この教会のすべての教会員がこの人たちを助けました。私が彼女を訪ねたときに、その前の日にドイツ政府からパスポートが出ました。彼女のパスポートには、「黙認」という注がつけられていました。(日本でいう「特在」か) その後、カナダのある教会から連絡があり、ドイツからの出国許可が出れば、その家族を亡命者として受け入れたいとの申し出がありました。彼女たちのドイツでの3年の生活は大変な困難の中にありました。
私が、この方のケースを大変詳しくみなさんに説明したのには訳があります。私たちの州の内務大臣が亡命申請に関して責任を持っているのですが、彼は、教会がこのような問題に首を突っ込むべきではないという非常に硬い態度を持っていました。教会は福音を宣教し、そして人々の魂の配慮をすることが務めであり、そのほかのことは教会の務めではないと主張します。その内務大臣もプロテスタント教会の信徒でありますが、私は彼にはっきりと、「もしかして、聖書をちゃんと読んでいないのではないか」といいました。旧約聖書の箴言に、「友を侮ることは罪、貧しい人を哀れむことは幸い」という箇所があります。また、ローマ書15:7には「だから、神の栄光のためにキリストがあなた方を受け入れてくださったように、あなた方も互いに相手を受け入れなさい。」
この他に同じような趣旨の言葉が新約にも、旧約にもたくさんあります。よきサマリア人の話もその一つの例ですね。神の律法に従って歩いている人です。
これは、教会の持っている課題の重要なものの一つではないでしょうか。
去年の11月9日にベルリンで人種差別、極右に反対するデモがありました。いくつかの政党とか労働組合などと同時に、ローマカトリック教会とプロテスタント教会が一緒になってそのデモに参加するようにとの呼びかけたのです。20万人以上の人々が集まりました。特に若い人たちが多かったのです。外国人とか、助けを求めて来ている人たちの側に我々は立っているんだということをこれらの人々に身をもって明らかにしました。人種差別、外国人を憎むということ、そういうことに反対であるということを示しました。夫と私はそのデモに参加しました。その時に、1989年ベルリンの壁が落ちる直前の11月9日に行われたベルリンでの大きなデモのことを思い出しました。私たちもこのデモに参加していました。プロテスタント教会もカトリック教会も良心的なクリスチャンたちは「我々は弱い人々の側に立つんだ。困っている、迫害されている人々の側に立つんだ」というように考えております。その時にたとえばマルチン・ルター・キングとかネルソン・マンデラという人たちの生き方が私たちを動かしています。さっき言及した州政府の内務大臣・シェンボンという人ですが、教会について批判をしたことについて彼はこう言いました。「私が望ましいと思っているのは教会が今、亡命とか、外国人問題に取り組んでいるのと同じ位熱心に教会の最初から固有の使命とされてきたことに専心することができたら、どんなに良いか」ということでありました。統一前の東ドイツではよく聞かされた言葉がありました。それは「教会は福音の宣教をする固有の使命を持っていて、政治には関わらない方が良い、関わるべきでない」という言葉です。シェンボン内務大臣の言ったことはまさにそれを反映させています。そうこうする内に内務大臣の中に考えが深まったというのでしょうか、教会の代表とその問題について良く話し合うようになりました。人間の尊厳を損ねるようなことが行われている時には、教会はいつでも声を挙げなければなりません。
もう一つの例を申し上げます。戦争中に強制労働に従事させられた外国人がたくさんいた訳です。その人たちに対する補償の問題ですね。日本で、韓国人、朝鮮人に対して同じような責任を果たしているかどうか、問題だと思いますが、ドイツではそのことを教会は真剣に考えました。こういった不正に対して目をふさぐことは教会に許されません。
今まで申し上げた亡命申請者に対する配慮など、これは見える教会の働きということができると思いますが、それと同時に見えない働きもあります。新約聖書の中には私たちを驚かせるようなたとえ話があります。賢い乙女たちと愚かな乙女たちのたとえ話がありますね。両方とも教会に属している。一体どうしてそういうことが起こるのでしょうか。それから麦畑に混じって生えてきた雑草の話ですね。良くない草の話。最後には神様が両方とも刈り取るんですが、どうしてそういう区別が同じ地面から起こってくるんでしょうか。それからヨハネの黙示録の2章2節に「私はあなたの行いと忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実は、そうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことを知っている」そういう言葉があります。「悪者どもとか、自ら使徒と称して実は、そうでない者」そういう区別ですね。教会は聖徒の交わりと言われております。しかし、その交わりの中には罪ある者も含まれているんです。私たちは時の間に生きています。いろいろな神学者が言っていますように、今はこう、しかしやがてこうなるふたつの時の間に私たちは生きています。コリント信徒への手紙第2の4章17節以下にこういう言葉があります。「わたしたちの一時の軽い艱難(かんなん)は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。私たちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」最後の部分非常に重要だと思います。私たちは、しばしば自分たちの教会が健康で良い教会であることを望んだりしていますけれども、考える度に重い気持ちになることがあるのですが、我々はそんなに健康で素晴らしい教会であるわけではありません。しかし、我々がどんなに弱くとも、罪人であっても神様はそういう私たちに課題をお与えになっています。それが目に見えない課題であり、それを誰も私たちから取り去ることは出来ません。そして、教会には、ただ教会だけに、福音の宣教とサクラメントの信仰という大事な仕事を委ねられています。 私たちが、たとえば一緒に聖餐式を守ること、それは少しだけ他の人たちにとっても見えるものになります。マルチン・ルターが言ったことですけれども、教会はいつでも罪深い、罪に属する者との分裂で教会が分かれているということは罪である。教会はいつでも「神の国」を指し示すことをしなければいけませんが、教会そのものが「神の国」というのではありません。それは非常に大きな私たちの務めであります。教会は信仰を守っていくということのために建てられています。私個人は信仰をどんなに守ろうと思ってもできる訳ではありません。けれども、聖徒の交わりである教会の中でそのことが守られ、保持されます。ドイツでも、日本でも良く歌われる曲に「神は我がやぐら」というのがあります。そこでは我々の「教会」が「堅きとりでである」とはされておりませんで、「神」は「わがやぐら」と歌われております。教会というのは一軒の家で窓から永遠がはるかに見通せるというそういう窓を持った家のようなものであります。ですから、形を持った教会はいつでも過渡的なものだと言えます。教会が持っている形態、機構について我々はいつでも考えて必要であれば改革しなければなりません。ですから、教会は文字通り宝を内に持った入れ物なのです。去年、ドイツへおいでになった日本キリスト教団の婦人会の方が「土の器」と書かれた書をくださいました。私は、大変これが気に入っております。まさに、私たちは、そして教会は、土の器にしかすぎません。しかしその土の器の中に宝が隠されているのです。
ドイツにフーベルト・シュテッペンスキーという神学者が、素晴らしい題の本を書きました。『夢を管理する家』、教会のことですね。私は、この題が大変すばらしいと思います。それは、教会が幻(夢)を持っているということを明らかにしていますし、その夢を自分が持っているのではなくて、管理しているのだということも明らかにしています。一つの引用をしたいと思います。彼はこう書いています。「慰めというものは、自分で自分に与えることは出来ない。勇気というものも自分で自分に与えることは出来ない。外から自分に与えられるものである。」ですから、信仰は持っているけれども教会はいらないというようなことは、あれかこれかの択一の問題ではありません。信じる者たちは教会の中で慰めを求めていますし、約束を与えられることも必要です。
キリスト者というものは一つの伝統の中で生きています。前に生きていた人たちから何かを受け継いで、あとから来る人たちにそれを伝えていくという伝統の中に生きているのです。現代の一つの特徴として、「個人」というものが強調されるけれども、「交わり」というものがいつの間にか忘れられているという面があるのではないでしょうか。人間が個別化されているというところに問題があるのではないでしょうか。
そして、ナショナリズムの問題は、一つの民族だけが個別化されて考えられているところに問題があるのではないかと思います。ナショナリズムとは、垣根で自分を囲ってしまう、そして個別化されてしまう。だからこそ、教会にとって礼拝というものが大事なのです。礼拝の中で、私が経験することは、「きっとうまくいく」ということです。また、礼拝(交わり)の中で私たちはこのことを経験しています。他の人たちと一緒なんだということです。私たちは神様の前に立っていますが、私一人が立っているのではない。私はあるがままの自分として神様に受け入れられている。このようなことを約束されている場は、礼拝をおいてほかにありません。
医者を訪ねれば、医者は身体の状況について、精神科のお医者のところに行けば、精神の状況について教えてくれますが、しかし、あるべき人間の全体的なかたちについて神の前での人間についてはっきりと私たちが示されるのは礼拝をおいてありません。
教会には、様々な課題が与えられますが、見える教会であり同時に見えざる教会であるということ、そして政治的問題に依存するという生き方をすることは出来ません。そして自分の教会だけというのではなく、エキュメニカルな教会の交わりの中で私たちはいろいろなことを学んでいくことができます。ベルリン・ブランデンベルグの州教会では最近になって一冊のパンフレットが出版されました。伝道しなければならない状況の中で、私たちは一体何をすべきかということについて書かれたものです。ベルリン・ブランデンベルグの州教会というものは、全ドイツの州教会(24)の中でたった一つ西と東が一緒になった教会です。つまり旧東ベルリンと旧西ベルリンとそのまわりのブランデンブルクが一緒になったところです。東の部分では25%がクリスチャンです。西側では36%が教会に属しています。しかし、ポツダムのような町ではわずか8%です。そのことから分かることは、世俗化とか、社会主義がどんなに私どもの教会に影響を与えたかということです。しかし、この世俗主義の影響は東側だけではなく西側にもあります。ただし、東側では、世俗主義と資本主義の影響です。1955年以来3/2ぐらいのメンバーを教会は失いました。旧東ドイツあるいは東ベルリンでは、社会主義の影響が大変強くて、そしてしかも、上から押しつけるようなかたちで教会を圧迫しました。61年以降西ベルリンでも世俗主義の流れは強く、教会から出ていった人が多くいました。一つの理由として、その当時の教会の監督のシャーロット牧師が、ウリケ・マインホーという過激派の女性を獄中訪問したことがあげられます。教会は、赤の手先ではないか、赤に同情的なのではないかと、非常にセンセーショナルに報道されました。この時以来、西ベルリンでは教会を脱退する人が相次ぎました。ドイツでは北の方は概してプロテスタント教会が、西の方にカトリック教会が多いという状況なのですが、同じような傾向はカトリック教会でも見られます。ベルリンとか北のホーメンの方にいきますとだいたい7%ぐらいしかカトリックの人がおりません。1989年から90年にかけてドイツの変革(壁の崩壊)がありましたが、この変革の後、教会税というものを払わなくてはならなくなって、それを嫌がった人たちは、どんどん教会から脱退しました。非常に注目すべきことですが、そのような理由で教会を脱退した人たちの数は、東ベルリンよりむしろ西ベルリンに多かったのです。しかし、その後いくらかバランスを回復して、一旦教会を出た人の中にも、もう一度教会に入り直す人たちが出てきまして、私たちはそのこと喜んでいます。教会にもう一度入るという人や新しく入るという人は、ベルリンの中に3つある「受付」でかつての監督とよく話し合いをします。一旦教会を出たあとで、もう一度教会に入り直すというのは心理的に非常に難しいものです。ですから、相談所に行って親身になって相談に乗ってくれる人と何でもよく話し合いをします。人によっては、昔自分の所属していた教会よりも、別の教会いった方がよいなどというアドバイスをしてくれます。このような対話は非常に忍耐強く行わなければなりませんので、感受性が豊かでなければならないといったとてもむずかし事柄です。
ひとりの女性の例を知っておりますが、この女性は教会を脱退したあとで自分に何か欠けているということに気がついたそうです。みんなと一緒にいるところがない、瞑想したり、しゃべったり、考えたりすることが出来る場所が自分には今はもうないということに気がついて、もう一度教会に入り直したいと思ったのです。若い人も、学生もそうですし、どんな年齢層の人にも同じような問題があります。このように再び教会に戻って来た人たちに配慮が必要ですが、たとえば最初の礼拝に入ってきたときに心からの挨拶をする、これこれの人がもう一度、私たちの教会に属することになりましたということをみんなで喜ぶことが必要です。ただ、正餐式の問題に関しては、参加を強いないように考えています。その人が自分で判断してあずかるのはいいが、ごり押しはしないということで対処しています。ベルリンブランデンブルクでは、1,000人の人がもう一度教会に入り直す、あるいは新たに教会に加入するということを私たちは知っております。このことは非常に嬉しいことです。とても大切なことは、このような人たちと牧会的な配慮で対話を継続することです。ほったらかしにしないということです。
三村(佐渡教会牧師)−慰めを自分で自分に与えることは出来ないとおっしゃいましたが、そこが日本の根本的な問題だと思いますが、日本では慰めを自分で自分に与えることが大事なんだといっています、一般的に。何か足りないと思っている人たちがいますが、その人たちは教会に来ません。たとえば、おじいちゃん、おばあちゃんがたとえクリスチャンになっても伝統の中にはいっていくときに仏教にはいっていきます。
●具体的にもう少し説明してほしい。
三村−自分で趣味を見つけて打ち込む。
●それは、ごまかしであって慰めではない。
三村−そこがポイントで、宗教にいくのがごまかしであって、自分でやりたいこと を見つけてすることが自立であると考えています。
●−本当に慰められるのですか。
三村−慰められているから教会に全然来ないのだと思います。
南−ドイツではキリスト教が長い歴史を持っていますから、信仰とか教会は歴史の中でドイツの人が帰るところは教会でしょうが、日本人のキリスト者の場合は仏教であるのだと思います。
村上−キリスト教徒が割と孤立した状況の中で暮らしていると仏教に回帰する気持ちがどんどんあらわれてくるのではないでしょうか。これは、「交わり」の問題ではないでしょうか。
松田(婦人会連合)−困っている人を助けることが大切だとアンネリーゼさんはおっしゃっておりました。私の教会の牧師は、社会的な働きは大切だけれども、アンネリーゼさんのお話に出てきた外務大臣のようなことをおっしゃいます。私たちはキリスト教の伝統の中で育ってきていないので、教会生活を大切にするということが大事なのではないかと思うので、先ほどの人を助けるというようなことは、何に基づい て行われているかということが日本ではとても大事なことだと思います。
●その教会と社会的奉仕の二つを分けることは出来ないのではないかと思います。東ドイ ツ時代の我々の経験からしても、真に福音をのべ伝え、教会を強めていくことは、弱い、 虐げられた人々を助けていくということと不可分に結びついていると思います。たとえ ばエレミヤ書の29章のバビロン捕囚としてあそこに連れていかれた人々にエレミヤが 書いた有名な手紙がありますね。ちゃんと足を地につけてその地で生活していきなさい よと。旧約聖書も新約聖書でもその社会の中で、その町の中で信仰者として生きるとい うことが本当に重要なことだということがユダヤ教の伝統の中にもありますし、それか ら我々が引き継いだわけですが・・・。
さきほど、ケニアからの難民のお話をしましたが、あの人のことを教会が面倒を見たと いうのは、ある小さな町のことなのですが、そのことがおこってから町の人たちは、教 会はこのような活動をやるのだなと注目をして、ずいぶん多くの人がクリスチャンにな りました。教会は愛を説教するだけではなく、実際に人を動かすのです。日本でもよく 知られている方だと思いますが、例えばアルバート・シュバイツァーはアフリカで苦し んでいる人の傍らにたって医術を施して、しかし同時に福音を説教することをやった人 です。またマルチン・ルター・キングは、虐げられた人の側に立って、一生懸命に働い た。しかし同時に説教もした。その両者は決して分離されていません。新約聖書でイエ スが語ったことは、「神の言葉を語った。そして神を讃美した。そして同時に病める人 を癒した。」彼の場合はずーっと連続しているわけですよね。だからどっちということ は言えないわけです。山上の説教の場合もそうですね。イエスの場合はそれが非常にバ ランスよく保たれていて、その二つを分離することは決して許されない。教会は、決し て、自分の教会のことだけを考えていればよいというようなものではありません。
鈴木−いなかでも、ずいぶん外国の人が来ています。これにはだいぶ複雑な要因があり、単純には日本に訪問したという人の他に、学生もいますし、就労のために来た人など、滞在の形態も、滞在の期間など様々です。そのような方々との関わり方ですが、日本は今まで、このようなことがあまりありませんでしたので、みな様、喜んで教会に来ていただいておりますが、グローバリゼーションでおこってきた新しい課題だと感じています。
●ベルリンでは問題がちょっと違うかもしれませんが、イスラム教の方々がいっぱい来ています。 しかし、クリスチャンの方も相当来ておりまして、85の外国語教会が出来ております。 このたくさんの外国の方々がベルリンにいるわけですが、おおむね、それぞれの言葉、それぞれの伝統で、礼拝を持っています。
カメルーンから来た人たちが60人ほどおりますが、彼らはフランス語で礼拝を守って います。ベルリン・ブランデンブルクは、合同教会(改革派とルーテル派)であり、こ の中にわずかではありますが、改革派の伝統を守っている教会があります。その教会で は、フランス語で礼拝が守られています。それは、フランスのユグノーが、難を逃れて 来たときにプロイセンの王様が彼らを守ったことに起因していますが、フランス語の分 かる人たちはこの教会で礼拝を守っています。
英国国教会の大きな教会もあります。そこでは英語で礼拝が守られております。 それからスウェーデンの教会もありまして、大きな教会も建っておりますが、そのそばに集会場があり、そこではスウェーデン語で礼拝が守られています。私と夫は一度、セルビア聖教の教会の礼拝へ訪ねたことがありますが、そこではコックスラブ語で礼拝が 守られていました。ロシア聖教の教会もありますし、エジプトから来たコプト教会の礼 拝も行われています。
そういうわけですから、外国人のキリスト者に何語の礼拝が、何時から、どこで開かれ ているのか、お知らせすることは出来ますが、しかし、その教会がお互いに連絡を取り 合い、交わりを保つということが大切です。エキュメニカル協議会というものが出来ま した。これにはいろいろな伝統を持った教会が入っております。議長は時々交代します。 現在は、ベルリンのローマカトリック教会の司教です。年に2回はエキュメニカル礼拝 が守られ、それにはすべての教会、外国語の教会が招かれます。
そういうわけですから、個々の教会にはそれほど多くの外国人がいるわけではありませ ん。私の教会は東ベルリンのホウフンスキルケというところなのですが、そこには、何 人かのベトナムの方が来ておられて、そのうちひとりは教会員と結婚されました。教会 には幼稚園がありまして、いつも何人かの外国人の子どもが来ています。私たちの教会 は、年に1回はスウェーデン語の教会を訪問しますし、向こうも年に1回は私たちを訪 ねてくれます。そういうわけで、状況はかなり日本と違っているようなので、適切な助 言が出来ません。
鈴木−日本でもドイツでも外国人労働者に対して、最近のナショナリズムの中で排除する傾向があります。今は順調ですが、日本の経済が逼迫してきたら大変だと思います。ドイツでの外国人労働者の問題についてお聞かせください。
●ドイツではご存じのようにネオナチの人たちが、経済状況が悪い中で、失業者が増えて いる中で、外国人排斥を非常に強くやっております。教会の人たちはそれに反対してい ますが・・・。日本でも経済状況がもっと、もっと悪くなってきたら同じようなことが おこってくるかもしれません。ただ教会は、いざそういう状態になってからどうすれば いいのか考えるのではなくて、その遙か前からちゃんと準備しておかなければならない ことがあるはずです。普段からみんなで考えて、やるべきことをやっていくことが必要 なのではないでしょうか。
75年に私は初めて日本に来たのですが、そのときによく言われたことは、「あなたア メリカ人でないのですね。ドイツ人ですね。それはいい。」今回は、そのようにステレ オタイプで見られなかったことは大変よかったです。そういうことは、たぶんアメリカ 人が占領軍として日本にいたということに関係があるのだろうと思います。何年か前に チェコを旅行したときに、ロシア語だけはしゃべってはいけないと現地の人にいわれま した。ロシア人に対する敵意というものはすごいものがありました。英語かドイツ語を 話すように勧められました。感情の問題ですね。
アンネさんからの質問にチャンネルを戻したいと思います。
●私の質問とは、
ドイツでは、12月24日のクリスマス・イブの礼拝は、普段の礼拝の10倍ほどの人が押しかけてきます。日本でも同じようなことがあるとは思いますが、そこで私は、牧師先生方にお聞きしたいのですが、どういう説教をなさいますか。それをチャンスと見るか、それとも困ったことだと思うか。女性牧師の方はおいでですか。
荒井俊次(日本クリスチャンアカデミー)−自分たちの出席している教会は、牧師が在日 韓国人で、毎週説教を日本語と韓国語でしています。そしてわたしは、25年間国外を 回っていたので、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの貧しい人たちの話をして、主は そのような人たちの間においでになるという話をします。
75年にアンネさんはICUにおいてになりました。ICU教会は、日本語と英語で同 時に礼拝をしております。
女性教職者−大勢の方々がおいでになることに関しては喜びです。教が会初めてという方を中心にお話をしたいと思います。
●昨日牧師の集まりで話をしたのですが、ドイツでは、説教のはじまりに、愛する教会のみなさんという呼びかけの言葉からはじまります。クリスマスの礼拝では初めて教会にいらっしゃる方がたくさんおいでですので、愛する教会のみなさんそして愛するお客様の皆様というというのです。それはとてもいけないことだと感じます。今、あなたがいったとおりにキリストは教会だけのためにではなく、世のためにいらっしゃったのだと思います。新しく来た人を排除する感じに聞こえます。クリスマスの物語を読みますといろいろな人が馬ぶねのイエスを拝みに来ていますね。おそらく、教会でクリスマスツリーなど飾られていて雰囲気を楽しみたいというような方もいるでしょう。礼拝が終わったあとで何か一つ宝物をいただいたという気持ちになることが大事な私たちの課題だと思います。
●もう一つの私の質問ですが、
「君が代」を歌わなければならないという強制が今あちこちで行われているようですが、今の状況はどんなふうですか。学校や大学でそのような状況がありますか。
松浦(NCC女性委員会委員長)−NCCのスタッフをしている女性の個人的な経験をお話しいたします。3人のお子さんがいて、一番上が小学校5年生の女の子です。5年生は、在校生代表として卒業式に参加します。卒業式の練習の時に生徒をグループに分けて「君が代」の歌詞を憶えさせ、出来た人にシールを貼らせるのだそうです。このお嬢さんは「シールはほしくない、君が代は歌いたくない」と一人抵抗したということです。このことを通して本人の痛みは勿論のこと、家族が抱いたストレスと憤りがどんなだったかと思うと、私は胸がつぶれそうでした。お母さんは、学校の先生に「君が代」を強制しないように申し入れをなさったそうです。先生は「強制はしていませんが、指導はします。」という態度だったそうです。
●それは東ドイツ時代に行われていたことと同じです。1941年には日本でも同じようなことだったんでしょうね。戦争中です。
松浦−父母会があって、そのお母さんがそういうことをやめて欲しいということをおっしゃったそうですが、どの親からも意見が出なく、翌日朝早く一人のお母さんが電話をしてきて、「私は同じ思いを持っているけれど、皆さんの前であなたをサポートできなかったことをすまなく思う」と言ったそうです。
●その電話をかけてきたのはクリスチャンですか。
松浦−そうではないかもしれません。
●「日の丸」についてはどうですか。
大津(NCC総幹事)−「日の丸」も「君が代」も同じように強制をされます。「日の丸」の前では、後ほど入学式がこれから始まりますが、「起立」と言われ、「礼」と言われます。ですから、子どもたちも教師もそれをしますけれども、教師たちの中には、キリスト教の関係の教師たちの中にはそれを拒否して「立て」と言われたときに隣で座ったままでいる人たち、それは教師の中にも子どもたちの中にもいます。保護者の中にもいます。「君が代」を歌えと言われたとき歌わないという形で抵抗している人たちがいます。問題はその後に処分が来るということです。それが深刻な問題です。政府・文部科学省は強制しないと言ったのですが、実際には強制が行われています。キリスト者は「信仰の自由」「内心の自由」「良心の自由」という立場からそれに反対をして、抵抗の働きをしています。
●クリスチャンで拒否したために仕事を失ったという例がありますか。
大津−明日、申し入れに行くのですが、国立小学校の中に小学校の音楽の先生がおられて、校長先生から「君が代」のピアノ伴奏を強いられて、それを拒否致しました。どういう結果が出るのかわかりません。その彼女に対して処分が出るのか、出ないのか、明日教育長に会って「処分しないように」という申し入れをしようと思うのですが、成り行きはわかりません。
●同じことが歴史の中で何度も繰り返される。実に悲しいことですが、知覚的にそれに立ち向かっていかなければならないということなのでしょうね。外国の人たちが外交的な関係の中でそういうことについての刺激を与えるというか、問いを発するということは非常に重要な役割を果たす場合があります。
村上−カミンスキーさんはベルリンの州教会の総会議長です。ドイツの社会の中で非常に高い地位にあります。そして、国家もそのことに敬意をはらっています。ですから、そういう立場で外国へ行ったときにそういう話し合いをしたことが今までもおありです。意識の高い人が日本の問題についてとても重要な問題について、外側から何か言っていくという、いわゆる外圧に頼むべきではないと思うけれども、エキュメニカルな関係の中での協力は非常に大切ではないかというのが彼女の意見です。
この本(『ベルリンの壁に打ち勝って−東独に生きたキリスト者女性の証言−』教文館)の中に「人間に従うよりも神に従うべきである」という副題が書かれていますが、これは日本語は少し違って訳されていますけれども、「人間に従うよりも、神に従うべきである」という言葉が使徒言行録の中にありますが、そういうことではないでしょうか。
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