NCC Networking News



CONTENTS[099] 2000/5/30   第34総会特集号

・第34総会特集号  主を求めよ、そして生きよ

・NCC第34総会期活動方針

・NCC第34総会 [議案]

・NCC第34総会 [建議案]

・森首相の不当・違憲発言に強く抗議します
・4月29日を「昭和の日」とする法律制定に反対する申し入れ






−第34総会特集号−  主を求めよ、そして生きよ

 3月13・14日の両日東京・新宿の在日大韓基督教会東京教会を会場に第34回総会を開催しました。今総会期の三役として、議長鈴木伶子(日本YWCA・信徒)、副議長として前総会期書記であった吉高 叶(バプ連・教職)、西原廉太(聖公会・教職)のお二人を、書記として李根秀(り・ぐんす/在日大韓基督教会・教職)を選任しました。欠員であった書記1名に、大塩志野(日キ教団・信徒・青年)を、第1回常任常議員会において選任しました。
 今回の総会の特徴は、女性と青年の代議員が多数参加したということです。総会に先立ち、33総会期の常議員会において規約細則の改正が承認され、総会代議員の半数が女性でなくてはならず、また1/4が青年であることが努力目標でとして掲げられたことによる結果です。これに連動して、総会において規約の改正が承認され、「加盟教団から複数の常議員が選出される場合は、男女同数とし、かつ、どちらも教職、信徒に偏らないようにしなければならない。」という項目が追加され、NCCの議決機関での女性と青年の参与が保障されることとなりました。このことにより、NCCの活動がさらに深められ、広がりを持ち、豊かになる事を願ってやみません。
 女性委員会が呼びかけ、女性のプレミーティングが11日(土)にもたれました。102名の参加があり、総会への提言が採択され、総会の場で発表されました。(別紙をご参照ください。なお、プレミーティング報告書をご希望の方には、送料負担で差し上げることが出来ますので、是非、お申し付けください。)
 青年委員会と総会代議員として集まった青年が中心となり、総会第1日目の夜からユースフォーラムがもたれました。そして2日目の朝の総会記念礼拝が、この青年たちによって準備されました。礼拝では、4人の青年が移住労働者の支援、寄せ場での夜回り、平和をつくり出す運動や北朝鮮への食糧支援など、自身の取り組みと思いについて語ったほか、スタンツによってエキュメニカル運動と青年にとっての夢(ビジョン)を求めていくことを表現しました。聖歌隊を中心にテゼの歌による礼拝形式を用い、献金の代わりに礼拝参加者の祈りを集めた奉献、スタンツの背景にスライドを上映するなど、創造的な礼拝となるような工夫がされていました。
 今期の活動の概観は、活動方針に示されています。また、次に挙げるような6つの議案と3つの建議案が可決・採択されました
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<NCC第34総会期活動方針>

テーマ 「主を求めよ、そして生きよ」

【1】はじめに:総会期テ−マをめぐって
A.前総会期テーマについて
 NCCは、前総会期中に1948年の設立から数えて50年の記念の時(1998年)を迎えた。私たちの欠けたる歩みにもかかわらず50年のNCCの歩みを支えて下さった神にまず感謝をささげた。NCCは今日、加盟・准加盟を含めて33の教団・団体からなってそれぞれの立場の違いを認め合いながら今日まで共に歩んで来た。しかし、また50年の歴史の流れの中で共にとどまることの意味が厳しく問われた時でもあった。このような中で、私たちは前総会期テーマ「壁を壊して共生をーエキュメニカル運動の新しい地平を求めて」を掲げて歩んだ。教団・団体の中には、それぞれ独自のネットワ−クを持ちながら、そこにとどまるのではなく、あえて壁を壊して神の家族として共に歩もうとした。また具体的な課題では、NCCの枠組みを越えて度々エキュメニカルな連帯行動を取ることが出来た。更に全てのいのちをモノ化し、それに抵抗する者を分断しようとする力が強い中で、私たちは様々な立場の人々と壁を越えて共同の行動を取った。
 日本社会の中で小さな群れとしての私たちが、互いを隔てる壁を壊して「いのち」を大切にする共同体を形成する努力を続けることは、21世紀の日本社会のあり方に大きなチャレンジを与えるものである。


B.本総会期テーマについて
 本総会期のテーマは、「主を求めよ、そして生きよ」である。アモス書5章6節のことばである。
 私たちは、新しい千年期を迎える歴史の節目に立っている。この時にあたり過去の歴史を直視しながら、これからの歩みを考える必要がある。そして私たちは、私たちの犯してきた罪を悔い改め、歴史を支配したもう神への信仰に固く立つことが求められている。神が私たちに与えられている約束は、主イエス・キリストが再び来られて救いの完成をされることである。私たちは、この時代にしっかり根を下ろしながら、主が再び来られることを待ち望んでいる。
 一方私たちが立っている社会の現実は、社会的、政治的、経済的にも様々な問題を抱えている。そして経済的価値が優先され、全てのいのちがモノ化される社会を形成しつつある。私たちが、このような現実に置かれている人々への働きかけを怠っている間に、様々な形のカルト宗教が人々の心のすき間に入り込んでいる。その軋轢の中で多くの人々が心の問題で苦しんでいる。私たちは豊かな社会に生きながら、本当にこれでいいのかという一抹の不安を持ちながら歩んでいる。また、歴史の節目に立ってこの国の在り方と進む方向に大きな疑問を感じている。政府は、元日本軍強制「慰安婦」などに対する戦後補償問題を解決済みとして過去に追いやろうとしている。そして新ガイドライン関連法や有事立法によってこの国を再び戦争のできる国にしようとしている。私たちが求めるのは、アジアの隣人との平和と信頼に基づいた関係である。そのためにも私たちは引き続き日本政府に対して元日本軍強制「慰安婦」などの戦争被害者への公式謝罪とその補償を求めていく必要がある。
 この様な中にいる私たちに、神は預言者の口を通して「主を求めよ、そして生きよ」と呼びかけておられる。私たちキリスト者にとって最も大切なことは、私たちのいのちの根源であるイエス・キリストに帰ることであり、その方にしっかり繋がりながら生きることである。そして神から与えられたいのちを大切にしていく生き方が求められている。
 私たちは、1998年10月に開催した宣教会議において採択したNCC宣教宣言で、「私たちが考える宣教とは、痛みと苦しみの内にある人、悲しむ人、貧しくされている人と  共に在り、共に生きることに他ならない。『小さくされた者』と対象化する危険を自 覚しつつ、捨て置かれてきた者の痛みに共感すること、これこそが私たちの宣教の原点であり、エキュメニカル運動の場であることを確認」(宣教宣言3―1)した。
 神への信仰に固く立って、イエス・キリストがそうあられたように「いのちの痛み」に共感する生き方を貫き通すことを神は私たちに求めておられる。



【2】私たちを取り巻く状況と課題
A.エキュメニカルな関係の中で
 WCC(世界教会協議会)は、NCCと同様に1948年のアムステルダム設立総会から数えて1998年で設立50年を迎えた。50年目にあたるハラレ総会は、50年という時の変化の中で、WCCの共通理解とヴィジョンを加盟教会が共有し、共にとどまることの大切さを確認した。
 今日の時代状況と多様なエキュメニカルな関係性の創出によって、WCCは、思いきった機構改革と新しいエキュメニカル運動の枠組み(エキュメニカル・フォ−ラム)を模索することになった。
 アジアにおいても、CCA(アジアキリスト教協議会)や各国NCCの多くは、財政上の困難性を共通に持ちながら今日の時代の中でのエキュメニカル運動の課題への取り組みとそれに対応する機構改革に取り組んでいる。文化・民族・宗教の多様性と緊張の中に置かれている教会及びキリスト者が、それぞれの多様性の中で一致を目指しながら、共に生きる社会の形成のために諸宗教間の対話と協力を含めた幅広いエキュメニカル運動を追求することが重要となっている。
 日本のNCCは、WCC,CCA及び各国NCCとのエキュメニカルな関係を大切にしながら国内においても、幅広いエキュメニカル運動を目指していきたい。


B.私たちの「いのち」を取り巻く状況
 冷戦後の世界はエネルギ−問題を背景に、市場経済体制のもとで、経済のグローバル化が急速に進められている。日本を含む先進国、特にG7の国々の資本は自由に国境を越え、利益があると思われるところには、いつでもその資本が投下されてきた。経済のグローバル化は、先進国、特にその中にいる資本家に多量の富を発生させ、一方発展途上国はその結果として多額の債務を負わされている。そして発展途上国に強制されたIMF,世銀などによる構造調整プログラムは債務のしわ寄せを民衆に押し付けている。
 また経済のグローバル化とともに軍事のグローバル化が同時進行し、アメリカの世界戦略の中に先進国も組み込まれている。日米新ガイドラインはその一例であり、日本はアメリカの同盟国として戦争遂行に協力し、これを契機に自衛隊のPKF(平和維持軍)への参加も含めた武器の行使を伴う海外派兵がもくろまれている。
 更にもう一つ憂慮すべき問題は、天皇制を基盤にしたナショナリズムの台頭である。「日の丸・君が代」の法制化、靖国神社国営化問題の再浮上、自由主義史観のキャンペーン等、天皇制イデオロギーの強化が意図的になされている。そして今後憲法調査会による憲法改変論議が活発になされ、平和憲法を骨抜きにする方向が打ち出される危険性をもっている。このような日本のあり方は、近隣諸国、特に中国などを刺激し、北東アジアの軍事的緊張を増加することになる。また国内では、すでに個人の自由を制限したり、監視したりする盗聴法や住民基本台帳法(国民総背番号制)の実施強化がなされ、更に出入国管理及び難民認定法(入管法)、外国人登録法(外登法)による外国人の管理・監視体制が強化されている。私たちは平和憲法に立脚し、武力ではなく正義と信頼に基づいてアジアの人々との平和な関係を構築し、国内では「少数者」の人々との共生社会を目指すことが課題である。
 これらの動きはすべて国家による「平和」への侵害にほかならない。私たちの求める「平和」とは単なる平和を意味するのではなく、神によって創造された世界、一つひとつのいのちが聖とされ、尊ばれる場が、その本来の内容である。権力を持つものが聖とされる世界ではなく、権力によって虐げられ、抑圧されていた一人一人の人間が聖とされ、尊ばれる場を形成することこそが、私たちキリスト者の本質的な<ミッション>なのである。いのちを脅かす力に対して、私たちは徹底して預言者的に立ち向かって行かなければならない。
 「エキュメニカル」の意味の源泉は「人の住む世界」であり、それは真の共生の場が開かれる世界を指し示している。私たちのエキュメニカル運動とは、「私たちの住むこの世界を、一つひとつの<いのち>が大切にされ、破られた尊厳が回復される世界に変えていく」(NCC宣教宣言)道行きを、共に歩むものなのである。


C.具体的課題
1.平和
 新ガイドライン関連法が施行され、有事法制化や靖国神社国営化問題、教育の国家統 制、そして憲法改悪論議などによって戦争体制が強化されていくものと思われる。また、基地問題で苦しむ沖縄の人々等と連帯して、基地の撤去を求めていく必要がある。NCCでは各地のキリスト者の平和の取り組みとの連携を軸にしながら、平和を求めて歩む宗教者や市民、団体との共同の非暴力行動によって日本社会の中に平和の流れを作り出す努力をしたい。また、WCC、CCA、アジアの諸教会との問題の分かち合いを通して平和を求める国際連帯の場を作っていきたい。

2.人権
 NCCは、神の被造物である全ての「いのち」への差別に反対の立場をとり、差別をなくす努力を重ねて来た。部落差別、「障害者」差別、在日外国人差別、アイヌ民族差別などによる人権侵害及び女性・子ども・老人などの社会的弱者の立場に置かれている人々への人権侵害は、引き続き私たちの重要な関心の一つである。また多民族・多文化共生社会を保証する「外国人住民基本法」案の推進などは、エキュメニカルに取り組んでいくべき課題である。

3.生命倫理
 人の脳死を前提とした臓器移植や、それに伴う臓器売買の問題、そして「障害者」排除に繋がる着床前・出生前診断などの問題は、私たちが神から与えられた「いのち」をどのように考えるかを問いかけている。また、私たちはキリスト者としてこれらの問題に直面する時、それぞれの決断が求められることになる。このような問題に応えるためにNCCでは「生命倫理特設委員会」を設置し、@教会及びキリスト者への手引きとなる指針を示すこと。そしてそれに基づいて ANCCとしてどう考えるのかを明らかにする。

4.子ども
 様々なひずみが、子どもへの虐待、いじめ、登校拒否、ひきこもり、「キレル子ども」や「学級崩壊」等の子どもをめぐる問題を引き起こし、ますます深刻さを強めている。一方、文部省を通して「日の丸・君が代」の強制が行われ、管理教育に拍車がかけられている。この様な状況の中で、一人ひとりの子どもの人間として生きる権利を尊重し、人間性を回復することを目指すキリスト教教育の使命は大きい。子どもをありのままで受容し、様々な問題を通して子どもが発信している声を聞くことからはじまる共に生きる関係の中で、この課題に積極的に取り組んでいかなければならない。

5.青年
 教会における青年の不在が語られるようになって久しい。その原因の探求と打開は、キリスト教界にとっての共通の課題である。現在教会につながっている青年を大切にし、彼女/彼らが生き生きと活躍できる場づくりを行うこと。またNCCの関わる様々な課題への取り組みと青年を結びつけていくこと。NCCの決議機関への参与。リ−ダ−シップ育成のためのスカラシップ設置の検討及びNCC青年協議会との関係など、取り組むべき課題は多いが、これらを通して青年を現代のエキュメニカル運動の担い手として、積極的に位置づけていくことが求められている。

6.女性
 キリスト者女性たちは、教会の内外で置かれている女性の状況を「私たちの声」として語り合ってきた。多くの女性たちがさらにエンパワメントされる必要を痛切に感じている。そのために、まず、女性たちが女性の立場で聖書を読み返すこと、次にエキュメニカルな女性たちのネットワ−クを広げていくことが大切である。NCCの活動及び教会の宣教に、女性たちが多数参与し、常に「ジェンダ−」の視点をもってNCCの活動及び教会の宣教を男性とのパートナーシップをもって進めていくことを提言していく。

7.国際関係・国際協力
 WCC、CCAなどを通して世界の教会、アジアの教会との協力・信頼関係を作り出していくことを再確認したい 。ドイツプロテスタント教会とは10年に1度、またフィリ  ピンNCCとは2年に1度定期協議会を開催しているが、今後必要に応じて二国間のNCC協議会を開催する必要がある。特に十数年開催していない日韓NCC協議会の開催を優先課題とする。この総会期では、WCC・CCA、北東アジアの教会とともに地域の平和と安全を考える共通の場作りもめざす。
 朝鮮半島の平和統一や中国と台湾の関係は、私たちの重要な関心事である。北東アジアの平和と安全を考える時、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との国交回復と信頼関係を醸成することは緊急の課題である。NCCでは、朝鮮基督教徒連盟(KCF)との関係を大切にして信頼関係を形成する一翼を担いたいと願っている。「分かち合い募金」によるアジアを中心とした海外の働きへの支援や自然災害などに対する緊急支援は引き続き行っていくことになる。
 また、北朝鮮食糧支援をはじめとして地雷廃絶運動、債務帳消し運動(ジュビリ−2000)に見られるように、同じ問題に関心を持つ国内のNGOとの共同行動は今後とも推進することになる。

8.エキュメニカルな関係作り
 コンラッド・ライザーWCC総幹事はハラレ総会で、今日のエキュメニカル運動は、WCCの加盟教会よりも幅広いものであると語ったが、この事は日本のエキュメニカル運動にも当てはまる。主にある幅広い一致を目指すためにエキュメニカルフォーラムの形成の可能性を模索していきたい。
 またNCCが各地の働きとの結びつきを強めるために各地におけるエキュメニカルな交わりと繋がっていく在り方を考えていく時に来ている。

9.諸宗教間対話と協力
 キリスト者が絶対的少数である社会の中で幅広い共働の場を求めて、諸宗教との対話と協力が必要である。この分野において日本のキリスト教界は世界のエキュメニカル運動に貢献出来ると思われる。
 研究者のレベルにとどまらず、具体的な課題を通して諸宗教間対話と協力を進めていく必要がある。


【3】財政・機構問題
 NCC総務・宣教奉仕諸委員会の財政と機構はどうあるべきかという点と、各部の厳しい財政状況を踏まえてNCC加盟教団・団体が、各部の理事会の方向性を尊重しながら各部と共にNCCがどうあるべきかを考える時に来ている。
 なお、キリスト教アジア資料センター理事会は、2001年3月末までにセンターの活動の評価をし、今後のあり方を決定することになっている。
 財政・機構改革検討委員会は、本総会期内に具体的提言をまとめ、次総会に提出することになる。
                              以上



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[第1号 議案]
NCC規約改正の件
 ○規約3章16条(2)として次の項目を設ける。現行(2)以下番号を順送りにする。
 「加盟教団から複数名の常議員が選出される場合は、男女同数とし、かつ、どちらも教職、信徒に偏らないようにしなければならない。」



[第2号 議案]
「財政・機構改革検討委員会」継続の件
 第33総会で設置が決められ、当総会期内にNCC全体の財政問題と機構改革について具体的な提案を行うことになっていたが、さらに抜本的な検討を続けるために、当総会期では、「財政・機構改革検討委員会中間報告」を出すにとどめることになった。

 このことを踏まえて、当委員会の継続のために第34総会に以下の提案を行う。
 1.「NCC財政・機構改革検討委員会中間報告」の受理
 2.「NCC財政・機構改革検討委員会」の継続
 3.NCC財政・機構改革検討委員会は、第34総会期内に「NCC財政・機構改革検討委員会中間報告」を具体化し、最終提案を第35回総会に提出する。
 4.委員は、第34総会期常議員会で選出する。




[第3号 議案]
外国人住民基本法の推進に関する件
 私たち日本キリスト教協議会は、1967年の「少数民族問題研究委員会」(現在日外国人の人権委員会)の設置以来、外国人登録法の改正運動、在日韓国・朝鮮人の人権獲得運動に長年にわたって取り組んできました。
 この間、不充分ながら部分的に外国人登録法が見直されるなど、在日韓国・朝鮮人の人権状況が多少なりとも改善されてきたことは、私たちキリスト者を含めた、外国人住民との共生を願う広範な市民による運動の成果であるといえます。
 一方、社会のグローバル化の当然の帰結として、近年日本社会にも大勢の移住労働者とその家族が生活するところとなり、永住資格を有する外国人と比して、その不安定な在留資格、悪質なブローカーによる渡航斡旋と管理、各種の法制度上の不備などから、過酷な生活状況におかれています。
 ところが、移住労働者を含めた日本政府の外国人政策は、1997年、1999年と出入国管理及び難民認定法の改悪を行い、罰則・規制を強化するなど、外国人を治安管理の対象として位置付け、管理・排外政策を強よめる方向に向かっています。
 日本政府によるこうした外国人政策の見直しを提言するために、外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会が「外国人住民基本法案」をまとめるにあたっては、NCCも在日外国人の人権委員会を通して、その法案作成に全面的に協力してきました。
 この「基本法案」では、1)「永住者」と「その他の外国人」という形での分断管理を認めず、「すべての」外国人の人権保障をもとめる、2)日本に住む外国人を「地域住民」として受けとめ、管理のための法でなく、住民サービスのための法をめざす、3)国際人権規約、人種差別撤廃条約をはじめとする国際人権規準を踏まえ、総合的な外国人の人権を保障しようとする、という3つの視点を前提として、日本における包括的な外国人政策を提言し、外国人住民と日本人との共生社会を創出することを目的としています。
 日本のキリスト教界において、こうした外国人住民の生活の問題、権利の問題を、人々の中にある教会の宣教の課題として受けとめ、教会自身が共生社会となっていくことができるように、また、日本政府の外国人管理政策の転換を促し、外国人住民も日本人も安心して暮らすことができる日本社会を実現するために、本総会において以下の決議を行います。

一、日本キリスト教協議会は、外キ協や他の市民団体とも連帯して、外キ協の提案している「外国人住民基本法案」推進のための活動に積極的に取り組む。

一、日本キリスト教協議会は、「外国人住民基本法案」を学ぶことを通して、外国人住民のおかれている状況への理解を深め、外国人住民の人権保障を求める取り組みを、キリスト教界に促す。

一、日本キリスト教協議会は、「外国人住民基本法案」の理念に基づき、日本政府に対して外国人管理政策の見直し、外国人住民のための総合的な人権保障法の設置を求める。

                       2000年3月14日
                       日本キリスト教協議会



[第4号 議案]
「生命倫理特設委員会」設置の件

 第34総会で「生命倫理特設委員会」を設置する。委員会の設置は、第34総会期に限定する。特設委員会で検討された結果は、随時常議員会及び第35総会に報告する。
○提案理由
 人の死の過程の中で私たちは、心臓が停止する瞬間までの間を、死にゆく人と、その人と深い関わりを持つ人(人々)との最も大切な時としてとらえている。この意味で脳死は、本当に人の死を意味するだろうか。人の脳死を前提とした臓器移植や、それに伴う臓器売買をどの様に理解すればよいのか。また、着床前・出生前診断は、「障害者」否定につながる危険性をもつている。今日の医療先端技術の前で、私たちは神から与えられている「いのち」をどのように考えるかが問われている。また、私たちはキリスト者として、それぞれの場で決断が求められている。NCC加盟教団・団体の中で個別に取り組まれている課題を共有し、各自の決断に対して指針となるものを示すことは、日本のキリスト教界に貢献すると思われる。また、同じ課題にむけて議論を進めているカトリック教会や福音同盟、そして諸宗教との対話の場を共有することにもなる。

 NCCでは「生命倫理特設委員会」を設置し、1.教会及びキリスト者への手引きとなる指針を示す、そしてそれに基づいて2.NCCとしての考えを明らかにする。
○委員会の構成
委員会の構成は、三役、生命倫理学者、「障害者」、医療従事者、教職、信徒、神学者などから各1名、計7名で構成する。委員会の要請によってリソ−スパ−ソンを加えることができる。
○委員会の検討課題
・「いのち」に関する神学的検討
・脳死・臓器移植/臓器売買
・着床前診断・出生前診断
・妊娠中絶
・体外受精・人工受精



[第5号 議案]
憲法改悪の動きを憂慮し、21世紀に向けて、日本政府に、恒久平和を希求する日本国憲法の「主権在民、基本的人権、戦争放棄」の遵守を求めるキリスト者声明

 今、「数合わせ」と言われる政治の流れに乗じて、日米軍事協力のための新ガイドラインをてこに、日米安保条約の枠組みを大きくはみ出した「戦争のできる国家」づくりが、慌しく進められています。第145回通常国会では、周辺事態法など新ガイドライン関連法、「国旗・国歌」法、盗聴法、中央省庁再編法、地方分権一括法、入管法改悪ど、重要な法案が成立、または強行されました。
 かつて、沖縄の人々の土地を取り上げて米軍使用に供してきた政府は、この使用期限が切れると、米軍に継続使用させるため、返還を求める人々の明確な意志をねじ伏せるように特措法の改悪を行い、さらに「振興策」と絡めて、普天間基地の県内移設受け入れを、県知事・名護市長に表明させました。これは、民を守るために権力を委託されているはずの政府による、民からの土地の収奪であり、抗うものを恫喝して恭順させる非民主的なやり方です。戦場とされ数多くの犠牲を強いられ、日本の最高戦争責任者である天皇自身によって切り捨てられ、戦後も切り捨てられ続けた沖縄の人々が、どれほど日本国憲法に希望を見、「本土」復帰を待ち望んだか、を思えば、今、その憲法に掲げられた「主権在民、基本的人権、戦争放棄」の基本が、ことごとく政府自身によってないがしろにされていることは、痛恨のきわみです。米兵の性暴力の被害を受けた沖縄の少女の訴えと人々の怒りに対して、政府は、沖縄での演習の一部を「本土」5地域での演習に拡大し、名護への新たな基地建設・強化を行うことで、答えようとしているのです。日本政府は、民の犠牲を省みず、民主主義を踏みにじって、米軍が東アジアから遠く湾岸地域をも視野にいれた軍事的影響力を行使するための協力体制を強化しています。
 一方、政府は、憲法の柱である基本的人権の「思想・信条の自由」をもないがしろにしています。平和人権教育に熱心な広島県の校長が、教育委員会による「日の丸・君が代」の強制に苦しんだ末自死に至ったことをてこに、「日の丸・君が代」を「国旗・国歌」として法制化しました。さらに、教育基本法の変更も意図されていると報道されています。犠牲者を踏みつけてのこのやり方は、専制君主的な暴挙です。どこに、憲法の高い精神が反映されていますか。私たちは、内心の自由にいのちをかけている信仰者として、このような日本政府のやり方に、強く抗議します。どうか、憲法の精神に立ち返ってください。

 強大な攻撃力・破壊力を有する日米軍事協力が東アジアに存在することは、アジア地域の平和と安定をもたらしているのではなく、民族の分断を深め、猜疑心を強める役割を担っています。自らの経済権益を守るために軍事力を誇る米国と、日米安保条約という事実上の軍事同盟関係をもって、かつて自分たちが侵略し、分断を招いたアジア近隣諸国を「仮想敵国」として、軍備強化を図る日本のありようは、アジア地域に緊張をもたらしているのです。
 憲法前文には、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。沖縄への基地押し付けと、日米の軍事同盟関係強化とは、憲法の精神に真っ向から対立するものです。

 日本の役割とはいったい何でしょうか。
 ハーグ平和会議で、日本国憲法第9条の先見性が各国からの参加者の共通認識とされました。この第9条の精神を軸にした国際関係の構築こそ、21世紀に人類が生き残るために不可欠な土台です。
 日本は、実戦での核兵器攻撃を受けた最初の国として、国際社会に対し、明確なことばで核廃絶を訴えていく責任があります。東アジア地帯の非核化、新しい国と国との平和的な連携協力の枠組みづくりこそ、この憲法をもつ国としてなすべき第一のことではありませんか。
 しかし、そのためには、戦時下性奴隷制の被害者をはじめとして、これまでなおざりにしてきた戦争責任にもとづく公的謝罪と戦後補償を、早急に、責任をもって行うべきでしょう。これは、アジアの隣人たちとの連帯の第一歩です。
 第147回通常国会から、「憲法調査会」が開催され、遅くても5年後に改憲案が出されるといわれています。しかし、21世紀を迎えようとする今、必要なのは改憲ではなく、憲法の「主権在民、基本的人権、戦争放棄」を基盤とする恒久平和希求の精神を具体化し、そのような社会を実現することです。国は、この具現化の方策を、広くNGO、住民の声を聞き、共に真剣に考えなければなりません。私たちは、天皇制―軍国主義に屈服した罪を神の前に悔い改め、日本のアジア侵略など過去の戦争に協力をしてしまった負い目をもつキリスト者として、いかなる戦争にも二度と荷担しないという決意を新たにするものです。
 沖縄の痛みは、沖縄を切り捨て続け、漫然として憲法の言葉の内実化を怠ってきた「本土」政府と「本土」で生きる者たちの怠慢に起因するものです。私たちキリスト者は、日本政府に、憲法の精神に立ち返ることを呼びかけます。
 平和は、軍隊によってもたらされることはありません。殺戮は殺戮を呼ぶだけです。 私たちは、「NCC戦後50年の時に」の認識に立ち、NCC宣教宣言と、日米NCC協議会声明、日比NCC協議会声明、日韓NCC女性委員会連帯・交流会議声明を踏まえ、世界人権宣言と日本国憲法にもられた精神にたち、その希求の実現に向けて祈り、かつ行動するものです。

     そのため、私たちは、以下のことを、日本政府に要請します。
(1)沖縄への、地域振興策と引き換えの基地押し付けをやめること。
(2)沖縄の米軍基地を撤去すること。また、全国の米軍基地も撤去すること。このことを、米国に強く申し入れること。
(3)「思いやり予算」をなくし、軍事費を福祉予算にまわすこと。
(4)日本政府は、今世紀中に、戦後補償の課題に誠実かつ十分に答えること。
(5)思想、信教の自由を侵す「日の丸、君が代」の強制を、学校現場、公共施設等どこの場でも行わないこと。
(6)PKF凍結解除と自衛隊の海外派遣を行わないこと。
(7)憲法に「国家非常事態の規範」など、有事法制整備を行わないこと。
(8)第145回通常国会においては、市民生活に多大な影響を与える盗聴法について、十分な審議も行われないまま、強行採決が行われた。この非民主的な法案を廃止すること。
(9)外国人、少数者への一切の差別を防止するため、差別禁止法、外国人住民基本法等の具体的な政策づくりを行うこと。
(10)主権在民、基本的人権の尊重、戦争放棄を柱とする憲法を、政府は率先して遵守し、恒久平和に資すること。
                       2000年3月14日
                       日本キリスト教協議会

※5月8日付けで 内閣総理大臣・森 喜朗 、衆議院議長・伊藤宗一郎 、参議院議長・斉藤十朗 、防衛庁長官・瓦 力 、文部大臣・中曽根弘文に送付


[第6号 議案]
2000年核兵器廃絶と脱原発を求める声明

○私たちは、核兵器のすみやかな完全廃絶を求めます。
 核兵器の完全廃絶とは、核兵器に関する一切の研究、開発、実験、所有、使用を放棄することです
 新しい千年紀を迎えたにもかかわらず、核軍縮はほとんど進展しておらず、人類は依然として核兵器による全滅の脅威にさらされています。これはひとえに、核兵器を保有する国々が世界法廷の勧告を無視して、核抑止力に固執し、核軍縮をなおざりにした結果であります。

 インドとパキスタンの例から明らかなとおり、核軍縮を誠実に遂行しないならば、核拡散をさらに促進するでしょう。このことは、世界の軍事緊張を高めるばかりか、核兵器が些細な人為的過ちや機械の誤作動から始動する可能性を増大させ、一部のテロリストや危険な為政者の手に渡る確率を高めるものです。今や核兵器から生ずる危険は、それより生ずる利益よりもはるかに大きく、かつ現実的であると判断せざるを得ません。
 しかし日本は国連において、期限を付けない核廃絶の提案国になっています。 この案は核廃絶になんの実効性も持たないばかりか、期限付き廃絶案を妨げるので、核兵器保有国を喜ばせています。これは本当に恥ずかしいことです。
 日本はかつて核兵器のこの上ない非人間性と残虐性、あらゆる生命に対する敵対を余すところなく体験させられたのです。核兵器の使用はもちろん、その保有も、人倫にもとるだけでなく、創造者なる神に対する反逆です。私たちは、日本政府が国連では少なくともまず期限付き核廃絶の提案に参加しながら、非核三原則を法制化し、自ら米軍の核の傘を脱却するよう政策を改め、東アジアの非核化を推進するよう、強く求めるものです。また広く市民にこのことを訴えていきます。

○私たちは原発依存からの脱却を求めます。
 「平和利用」の名目で推進されてきた原子力の商業利用は、軍事利用と変わらない問題を抱えています。それは第一に、原料は核兵器同様、本来安全性と相いれない性質のものです。ウラン、特にプルトニウムは際立って不安定な物質で、けた違いの破壊力を持ち、極めて毒性が強く、使えば必ず大量の死の灰を産み出します。第二に、その破壊力を制御して電力に利用するために、政府は産業界の要請を至上命令として巨大技術プロジェクトを打ち建て、安全を軽視してしゃにむに突き進んできました。このことは核兵器保有国が軍事的優位を至上命令として核兵器開発に突き進んできたパターンとまったく同じです。第三に安全軽視は人間とあらゆる生き物の生命(いのち)の軽視を意味します。日本で原発が稼動し始めてから33年、その間の被曝労働者数は30万人を越え、癌・白血病が多く伝えられるのに、労災を認定されたのはただの7人です。しかも近年は原発の老朽化、原子炉の高放射能化、炉内の大工事、コスト理由の定期検査短縮、被曝による技術者減少などのために、安全管理はますます困難になり、このことは原発で働く人々と現地住民を大きな不安に陥れています。原発は多くの人を犠牲にして成り立っているのです。第四に、核拡散の問題があります。商業利用はもと軍事用の技術を商業に転用したもの、したがって政治条件次第でまた軍事用に転換できるものです。日本がプルトニウム利用計画に固執し、そのうえ、核兵器に最適の高密度プルトニウムをつくり出す工場RETF(リサイクル機器試験施設)の建設を続行していることは、国際的に疑惑と脅威を呼び起こしています。
 昨年9月30日の東海村JCO臨界事故は、日本原子力関係の最悪の事故と成り、労働者ばかりか多数の住民が被曝しました。原発に同種の事故が起これば、全国民に広がるでしょう。
 私たちは何よりも、使用済み核燃料の再処理(プルトニウムを取り出す)の中止と、プルトニウム利用計画の廃止を、政府に求めます。理由は、上記の意味で軍事用とつながるからです。しかしそれだけではなく、(1)再処理工場は1日で原発1基1年分の放射能汚染を引き起こす。(2)プルトニウムは毒性が消えるまで何十万年も生き物の環境から隔離しておかなければならない物質である。
(3)高速増殖炉の実用化は技術的、経済的に不可能なことは明らかであり、プルサーマルも事故と汚染の危険がウラン燃料を使用する場合の数倍である、という問題があるからです。
 原発も、プルトニウムを含む放射性廃棄物を産み出すので、その廃止に向けて政策を変えるよう、政府に求めます。原発がなくても必要な電力が十分賄えることは、すでに論証済みです。今後行政と技術の力は、産み出してしまった膨大な量の放射性廃棄物の安全管理と、省エネルギー・自然エネルギーの推進に向けられるべきです。市民も原発がつくった電力浪費の生活を止め、欲望肥大の「開発・成長・競争」文明を脱して、神が与えてくださる自然エネルギーを感謝して用いれば、誰をも犠牲にすることなく、すべての人が共に平和な生活を楽しむようになるでしょう。私たちはこの目標に向かって、この国が一日も早く原発を廃止するよう、政府、国会、企業、市民に働きかけます。

                       2000年3月14日
                       日本キリスト教協議会

※5月8日付けで 内閣総理大臣・森 喜朗 、衆議院議長・伊藤宗一郎 、参議院議長・斉藤十朗 、科学技術庁長官・中曽根弘文、通商産業大臣・深谷隆司に送付

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[第1号 建議案]
子どもの商業的性搾取・虐待を根絶する運動に取り組む件
 趣旨:70年代から問題化したセックスツアーは、80年代に入って買春対象の低年齢化を来たし、アジアだけでも10歳以下を含む100万人以上の子どもたちが買春・ポルノ野木性になっています。91年からの国際的根絶運動(ECPAT)の後押しもあり、99年5月日本国会は「子どもの権利条約」の趣旨を生かした「児童買春、児童ポルノに関わる行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」を成立させ、同年11月に施行しました。これから法改正までの3年間が新法の実体化にとって重要な時期となります。国内外を問わない日本男性の買春率の高さ、インターネット上の商業的子どもポルノの80%が日本発信(98年インターポール報告)、日本独特の買春「援助交際」の横行等の現状を一刻も早く改善し、子どもの人権の視点から声を挙げ、このような買春構造の中にある日本社会の性問題を変革していくために、NCCとしても引き続き行動を起こしていくことが必要ではないかと考えます。


[第2号 建議案]
「慰安婦」問題解決のために引き続き取り組む件
 趣旨:1991年の第30回総会に初めて提出し、来日中のユンジョンオク韓国挺身隊問題対策協議会共同代表が参加、アピールがあった。爾来、総会ごとに提出し、それぞれの場で活動を継続している。日本政府は「慰安婦」問題は法的には解決済みと主張し、固塗策としての女性のためのアジア平和国民基金を創設、問題を複雑化している。国連人権委員会の特別報告者たち(チャベス、クマラスワミ、マクドゥガル)は日本政府の責任を挙げており、被害国を始め国際世論は日本に厳しい。いま、国会では野党による法案提出がみられるが、現政治状況では法案成立は難航が予想され、保守層の不同意もあって、早急な解決は難しいであろう。しかし、「慰安婦」問題を思うとき、自らの痛みとして解決しなくては、国際社会において日本は名誉ある地位を占める事は出来ない。戦後責任の一端を果たすために「慰安婦」問題を立法による解決を、またそれぞれの場からの取り組みを推進する。


[第3号 建議案]
キリスト教主義学校・教会における人権教育の推進に取り組む決議
  提案理由:
 今年2000年は、国連が決議した「人権教育のための国連10年」(1995〜2004)の中間年に当たります。この「人権教育のための国連10年」は、冷戦後の民族主義の台頭や宗教的非寛容が引き起こす、難民、先住民族、性的少数者や子どもなどの社会的弱者に対する集団的暴力をはじめとする、人権の危機的状況に対応することを目的としています。
 日本政府も1995年に「人権教育のための国連10年」の国内推進本部の設置を決定しました。97年に発表された「国内行動計画」では、「女性、子ども、高齢者、障害者、同和問題、アイヌの人々、外国人、HIV感染者など、刑を終えて出所した人」が具体的な重要課題とされ、「学校教育、社会教育、企業、その他一般社会、特定職業の従事者への人権教育の推進」に取り組むことが訴えられています。すでに人権施策推進法に基づき、人権教育・啓発、被害・救済の施策推進に関する協議も行われています。
 21世紀を「人権の世紀」とすることは、私たちの社会において重要な課題です。人権教育の推進は、すべての人間にとっての現代社会の重要なニーズとなっています。
 一方、日本キリスト教協議会でも、人権関係の委員会を通して全国キリスト教学校人権教育研究協議会の設立・運営を支援し、地域や全国レベルの人権教育セミナーの開催に協力してきました。また、部落差別問題委員会では、新版『いばらの冠』の発行など、部落問題を中心とした人権教育の教材開発がすすめられています。キリスト教界でも「国連人権教育の10年」の具体的な実質化を一層押し進められていく必要があります。私たちは今後、キリスト教学校や子どもの教会(教会学校)、教会教育における一層の人権教育の推進を図ることによって、すべての人間の尊厳ある社会を築いていくために、本総会において以下の決議を行います。

決議項目:
一、日本キリスト教協議会は、日本キリスト教協議会に加盟する各教派・団体の教会及び教育機関、またその関係キリスト教学校に対して、人権教育の取り組みを積極的に推進するよう働きかける。
一、日本キリスト教協議会は、キリスト教界において人権教育を推進するための教材開発と教育研究活動を推進し、その普及に努力する。

                       2000年3月14日
                       日本キリスト教協議会
                        第34回総会決議 

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☆去る5月18日午前11時、総幹事、議長、ならびに靖国神社問題委員会委員長が総理府を訪ね、以下の抗議文及び申入書を手渡した。その後、午後1時より3時まで衆議院第2議員会館第3会議室において抗議集会を開催し、約60名の参加があった。社民党から4名、共産党から2名の国会議員の参加もあった。
内閣総理大臣 森 喜朗 殿


森首相の不当・違憲発言に強く抗議します

 

 5月15日の森首相の神道政治連盟国会議員懇談会結成30周年祝賀会での発言は、日本国憲法の精神を真っ向から否定するものです。さらに、「日の丸・君が代の国旗・国歌法制化」、「昭和の日制定」という一連の政治の流れの中で、この発言が出てきたことは、「石原発言」と共に、現在の政治全体が日本民族の優位性を主張する国家主義、全体主義に向かっていると強い懸念を覚えます。

国歌法制化」、「昭和の日制定」という一連の政治の流れの中で、この発言が出てきたことは、「石原発言」と共に、現在の政治全体が日本民族の優位性を主張する国家主義、全体主義に向かっていると強い懸念を覚えます。


私たちは、森首相の発言に以下の点で強く抗議の意志を表明します。

1.「日本は天皇中心の神の国」という発言は、日本国憲法の主権在民の原則を犯します。
 「日本は天皇中心の神の国」ではなく、主権在民の国です。それは、日本国憲法「前文」および第一条に明記されており、憲法の大原則です。
 この大原則は、かつての大日本帝国憲法における天皇の主権の下における国民統合の 原理とは根本的に異なるものです。現憲法下の象徴天皇は、「国政に関する権能を有しない」(四条前段)と明示されており、国民主権こそが現憲法の象徴天皇制の根拠です。

1.「神の国」を「国民に承知してもらう」ことを求めることは、日本国憲法の「信教の自由」「政教分離」の原則を犯します。
 信教の自由は、信仰の自由、宗教上の行為の自由、宗教上の結社の自由を始め、信じない自由をも包含します。同時に、国家による個人に対する信仰告白の強制、特定の宗教の抑圧、優遇などは禁止されているのであって、公人である森首相が、特定の宗教である神社神道を公教育に於いて公然と教えることを勧めていることは、信教の自由・政教分離の原則を誤解の下に、蹂躙するものです。

1.今回の発言は、かつて日本が神格天皇の絶対支配のもとにアジア・太平洋地域に侵略と加害を繰り返した歴史認識を欠いており、諸外国との関係を著しく損ないます。
 かつて日本が長期にわたってアジア太平洋地域の国々に対する侵略と加害を繰り返した背景には、「神格」天皇の絶対的支配を許した天皇制・国家神道体制があり、その結果、国の内外に甚大な戦争の惨禍を及ぼしました。現在の憲法は、そのことを反省し、再び政府によって同じ悲惨な戦争を繰り返さないことを決意し、主権が国民に存することを宣言して確定されたものです
 日本が「天皇中心の神の国」であるとの森首相の発言に対し、近隣諸国は日本が再び同じ道を歩む恐れを感じ、強い警戒感を示しています。

森首相が、主権在民、平和主義、基本的人権など、日本国憲法の三大原則を確認し、憲法擁護の義務を政治の場に生かし、国の内外に、正義と平和の享受に道を開く憲法政治を履行するよう、私たちは強く要望します。

2000年 5月18日
日本キリスト教協議会
議 長  鈴木 伶子
総幹事  大津 健一



内閣総理大臣 森 喜朗 殿


4月29日を「昭和の日」とする法律制定に反対する申し入れ

 

 「昭和天皇」の誕生日の4月29日を現在の「みどりの日」から「昭和の日」に改める「国民の祝日に関する法律」改正案が、3月30日、議員立法で参議院に提出されました。

 私たち日本キリスト教協議会靖国神社問題委員会は、かつて「建国記念の日」を祝日として制定される時以来、天皇賛美を求める政府のあらゆる動きに対して、思想・信教の自由を守る立場から反対の意思を表してきました。今回の法案の上程にあたっても、私たちは、以下の理由でこの法律の制定に反対します。

1.「国民の祝日に関する法律」は「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」にふさわしいことを理由に制定されようとしている。しかしこの日は、「昭和天皇」の誕生日であり、この日を「昭和の日」として国民の祝日にすることは、「昭和天皇」に対する祝意を国民に押し付けることになり、思想・信教の自由を抑圧することになる。

2.この法案は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代をしのび、国の将来に思いをいたす」ことを制定の理由としている。しかし「昭和の時代」は、アジア諸国に対する侵略と加害の時代であり、私たちキリスト教界も侵略と加害に荷担した歴史を持っている。このような歴史の事実を直視する時、最高責任者であった「昭和天皇」の戦争責任をはじめ、戦後責任を未決にして、「国の将来に思いをいたす」ことは、私たちの良心が許さない。

3.21世紀において平和をつくりだすために日本に強く求められていることは、20世紀が戦争の世紀であったことを深い反省とともに顧みつつ、戦争責任・戦後責任を明確にし、あらゆる面において平和をつくり出すにふさわしい国、社会のあり方を真剣に考えることである。

 したがって、私たちの代表である国会議員が今なすべきことは、「昭和の日」を制定することではなく、日本国憲法「前文」の「名誉ある地位を占める」ことができるために、アジア太平洋地域の国々・民衆に対して、「専制と隷従、圧迫と偏狭」を強制し、無数の人々を死に追いやった侵略と加害の事実を心に刻み、具体的に国の責任を明らかにすることにあります。


2000年 5月18日
日本キリスト教協議会
靖国神社問題委員会
委員長  森山つとむ

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