今回は、先に(4月25日)朝日新聞「第2回明日への環境文化賞・森林文化特別賞」を受賞された“時の人”速水亨さんをご紹介します。速水さんは三重県海山町に1070haの山林を所有する林業家。1790年創業以来、5代にもわたって豊かな森を守ってきたことが評価され今回の受賞となりました。昨年5月には、持続可能な森林経営に与えられる世界的な森林保護組織の認証(FSC)を日本で最初に取得されるなど第一線の活動をされています。
◆春は桜、秋はいちょうが美しい速水さんの山
あるシンポジウム。速水さんの山だったが、若い桧の人工林の中に何本もの桜が華やかに咲くスライドを見た。「100年を超える桧の人工林のなかに、常緑の照葉樹が繁茂し、地表植生はウラジロシダなどが覆っている」という速水林業の山の様子は有名だが、桜を残して山を作っていた美意識は素敵だ。「美しい森林の創造は豊かな川、豊かな海、豊かな地域を再興する一助となり、世界に発信できる貴重な森林管理技術となると考える。そして携わる人々に誇りを取り戻し、地域の誇れる財産となっていく」とつねづね標榜する速水さんならではの森づくりは一見の価値がある。
2年前、JUON(樹恩)NETWORKでバスを仕立てて速水林業に行った時、まず見学したのは、作業所の中だった。山に来たのに、と最初は不思議に思った。さまざまな機械のパーツや工具がたくさんの引き出しに整理されていた。機械の修理や整備は、ほとんど自分たちでやる。使用するオイルも環境に優しい植物性の物を早くから使用、コスト高になる分は大量購入することでクリアーできる、といった経営の合理化や機械化による作業の効率化、その安全対策などをまず聞かされる。山に行けば、土が大事としゃがみ込んで樹の根元をすくって見せる。そこで受けた団粒構造の土の説明は確か、有機農業の畑に行っても聞かされたことだ。速水さんの山への考えは、有機農法で頑張る人たちが口にする自然への思いとよく似ている。林業も農業も自然を克服しようとするのではなく、自然と共生しながら恵みをいただくという点で同じなのだろう。
◆自然との共生、山村の大切さを一緒に考えて欲しい
人間が森林という自然の産物を”林業”という名のもとに管理する限界を見て、これからの林業は、経営の中に、環境との調和を考えた施業を行っていく努力が必要となっていくと10年も20年も前から速水さんは考えていた。そして一般の市民にもその流れを理解してもらいたいと思っている。そのためにも、「森林の姿を遠くから眺めるだけでなく、林の中に人って木を見上げてほしい。年老いた木、若い木、よく手入れされた林、見捨てられた林、それぞれが語り掛けてくる言葉を聞いて欲しい」と訴える。森林に関心を持つ人々、今まで森林と最も長い付き合いをしてきた林業者、森林や河川や山村の研究者等が、共通のテーブルで議論する必要があるとも説く。そこには山村を再認識し、森林を守る産業の林業を存続させ、文化や誇りも取り戻した山村社会の維持を図ることは文化国家として、日本が世界に認められる大事な事ではないのかという思いが根底にある。
◆速水家のボランティア歴は長い
速水さんの山の見学に行った時に感じたもてなしの温かさは、山の風景や星降る夜に灯るかがり火の美しさとともにいつまでも心に残る。これまでお父上の勉氏は、たくさんの心ある人々を援助してこられた。例えばあとで紹介する自由学園の海山の森作りは自分の山以上に気をかけ、内村鑑三の流れをくむ愛農学園の山作りにも協力している。ここは全国で唯一の「有機農業」の科目を持つ私立農業高校であり、現在は亨氏が後援会理事。また、中国留学生の私的応援組織である財団法人の副理事長もしていた。サポートを続け、その財団は20年間に渡り、延べ100人の中国青年を日本に招き一年間田舎の寮に住まわせ日本語と林業を教え、勉強させた。彼らはそこから三重大や京大等に巣立っていった。物心両面での援助は、その時は小さい種だったが、きっと今あちこちで大きく花開いているに違いない。また亨氏は三重県の県立美術館の運営委員もされている。美術にも造詣が深い。
◆世に人工林批判の声が大きくなる中で
お父上から受け継いだ理念を信じて、「すべて生命あるものに豊かさを与える森林を作りたい。なおかつ、そこで働く人、その家族も含めて、豊かに暮らせるように、」そしてそのために「何にでも取り組んできたことが、今回の受賞につながった。」と明日への環境賞を取得された際、挨拶された。ご両親や山を愛して一緒にやって来た従業員の皆さんに感謝するという言葉も添えられた。速水林業は、個人企業である。従業員の海外研修をはじめ、若者達に意欲と誇りを持たせて林業に従事するよう腐心しながら26名もの従業員を擁し、厚生年金もつけ、退職金もきちんと支払う。1990年の台風で被害が出た時は、億の単位の損害だったという。それでも存続可能なのは、「新しいことに挑戦する気概をずっと持ち続けていたからではないか。」というのがご本人の弁。もちろん先を読む目がそれ以上に的確なのだと思う。それが「FSC認証取得」であり、今回の「明日への環境賞受賞」となって現れているのだろう。
◆好きな言葉、尊敬する人
速水さんの大好きなことばは、「最も美しい森林は、また最も収穫多き森林である」。ドイツの著名な林学者でプロイセンの森林監督官でもあったアルフレート・メーラー(1860年〜1922年)の恒続林思想に出てくる言葉です。そして影響を与えた人は、東京にある自由学園の先生をされていた宮島真と言う先生。学園時代は名栗、黒羽と植林し、最後に海山に植林した。自ら汗を流し(本当に学生の先頭にたって働いていた)小屋まで建て、森林事業が一段落すると、教員をやめて信州の奥地に共同学舎という心身障害者の共同の生活の場を作られた。今は病気で目が見えなくなられたが、それでも農業をしながら、多くの人たちと共に暮らしている。北海道にもできた。この人々と話していると世俗を忘れさせられ、本当の生きる価値をかいま見ることがある。常にどこかに忘れずにいたい心を持った人たちで、そんな生き方をされる宮島先生を尊敬している、とのこと。
◆経歴
さて、速水さんの話に戻るが、中学受験のため上京し、大学卒業まで東京で過ごした。多感な青少年時代を、市ケ谷から三田まで毎日都電で通ったというから、今の東京人よりは、山の手の美しい風景や情景をよく知っているのかもしれない。不思議なことに大学は林学科ではなく法学部政治学科。ちなみに大学では、体育会の主務をやっていたそうで自分が前に出るよりも、他人の世話をする方が昔から好きだったようである。しかし物心ついた時から、(いつも家には林学の学生が入り浸っていたとか、色々の研究者が良く訪ねて来られていたとか)この山を継ぐのは自分という気持ちもあったし、お父上の勉氏が「超楽しそうに」(ご本人の言葉です)林業(”山づくり”と言った方があっていると思うとのこと)をやっていらしたので、継ぐことになんのためらいもなかったとのこと。大学を出て三重に帰り林業の現場についてから、「これは本当に林業を科学しないと大間違いをするなと思い」、もう一度東京に戻って林学の研究生になった。以来林業一筋である。
◆エピソード
◇去年どこそこの名のしれた林業家に若造呼ばわりされて、「僕は小学校にはいるときから腰鉈さげて山行ってましたから、大人になって始めたあなたより長いです」と言ってシンポジウムの会場の喝さいを浴びたという話が、私の耳にもはいってきた。慣習からの脱皮が必要なことを皆に判らせるアジテーターだと自負するところもあるらしい。
◇また、小学館が子供向けに通信販売しているドラエモンバッヂ(裏にFSCの説明がされている)も知る人ぞ知る、速水林業で作って納入しているが、「発想は最高、実行は最悪」と嘆くほど、作れば作るほどの赤字にため息ばかりとか。でもこういう夢のある仕事は大好きらしい。
◆最後に
「今は対外的なことが忙しいけれど、もうじき落ち着いたら林業の現場に戻りたいと思っている。環境だ機械だではなく育林が好きだ。」と言われる「日々前進」を掲げる速水さんからこれを読んで下さっている皆さんへのメッセージは、「本当の人工林の姿を見に来てください。もう一度日本の林業を見直しますよ。」前回(67号)の理事紹介のなかにあった、立松和平さんにも一歩先をいくこの人工林の姿を見てもらおう。私たち人間の寿命なんてどんなに頑張っても100年ちょっと。速水林業の山が今後どんな表情を見せていくのか見られないのは残念。でも常に時代の最先端の森づくりをしていくことでしょう。先を進みし者の重荷を負いながら堂々と邁進なさる速水さんと速水さんにつながる方々に敬意を表しながら、続きを速水さんにバトンタッチ。
◆速水亨が書きました
「森づくりフォーラム」とはなんだか知らない内に関係していました。森林ボランティアはそれ自体で手入れ不足の森林管理の現状を解決するには至らないと思いますが、森林の重要性や林業の現状を多くの方に知ってもらうには、最も有効な運動です。また、政策提言「新たな森林政策を求めて」を読むと、林業経営者とはまた異なる視点で、真剣に森林の事を考えている事に気づかされています。林業経営者の一人として、心強い応援団が出来たと思うと共に、「しっかりと見ていますよ」言われているようでもあります。さて、私の森林管理が環境的な配慮に富んでいると言われますが、それはもともと尾鷲林業の中でも最も集約的な経営でしたから、人工林の中の人工林という感じの管理でした。その様に人手をかけると単に環境配慮が良いというのではなく、集約管理の経営的な限界も見えてきます。そんな中で自然と共生する人工林の発想が出てきたのです。むろん父の代からの森林管理が基盤にあったのですが、上記の様な経営判断も転換のポイントでした。
こんな思いは世界各地の林業を見るチャンスに恵まれたことが大きなきっかけです。特にスイスのベルンの南にあるエーメン・タール地方の森林は何度訪れても魅力的な森林です。ドイツの恒続林の思想をスイスで実現させています。また、昨年訪れた北カリフォルニアの海岸地帯にあるFSC認証を受けたアーケータ市有林のレッドウッド(センペル・セコイヤ)の森林はすばらしい森です。昔、米国の人工林を訪ねる旅の途中、サンフランシスコ湾の対岸にあるミュアーウッドと言うレッドウッドの森林公園の印象が強くて、いつも頭の中に残っていたのですが、レッドウッドの森はどこでも魅力的です。結局、持続的なゆったりとした林業が好きなのです。この2つの森林は、皆様に訪れる事をお勧めします。人工林の考え方が変わります。森づくりフォーラムの理事として、微力ですが活動に協力できればと考えています。また私の森林には、小さな山小屋もありますので、是非お遊びにいらしてください。
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