1/13原子力委員会事務局との交渉報告
自らの決定にそむき、無責任極まりない姿勢
「原子力委員会決定は強制力を持つものではなく『考え』を示しただけ」
東電が「利用場所」明記できず→「そこまで厳格な判断をする必要があるのか」
「プルトニウム利用計画」の妥当性を確認する判断基準を示せず
「余剰プルトニウムを持たない」原則は放棄したのか?



 1月13日、10時〜12時半まで、参議院議員会館第3会議室で原子力委員会事務局と交渉を行った。電力各社が公表した「プルトニウム利用計画」が、原子力委員会の2003年8月5日付決定の要求を満たしているのか等が中心課題だった。
 出席者は、原子力委員会事務局 森本英雄(内閣府 政策統括官付企画官(原子力担当))                                        伊藤浩行(内閣府 政策統括官付き 主査)
 交渉で発言したのは、森本氏のみであった。
 市民側は、東京・静岡・京都・大阪から14名が参加した。
 この日の交渉は、福島瑞穂議員の尽力でもたれた。議員は会合等の都合で10分ほど参加され、プルトニウム利用に関する行政の責任が問題であることを主張された。福島事務所の政策秘書は最後まで同席された。
 交渉の初めに、市民側から要請書を手渡した。一つは、「電力各社が公表したプルトニウム利用計画について、貴委員会が自らの責任で直ちに『妥当性なし』と判断を下すこと」を求める要請書。これは、1月10日に公表した全国25団体の「見解」に基づくものだ。また、当日の交渉参加者一同による、「委員会として『利用計画』についての最終判断を下す前に、パブリックコメントの募集と各地での公聴会・ご意見を聴く会を実施すること」を求める要請書もあわせて提出した。交渉のいくつかのポイントについて報告する。

 電力各社は1月6日に「プルトニウム利用計画」を公表した。原子力委員会は10日の第1回委員会で、その計画内容について各社からヒアリングを行った。
 交渉の初めに、ヒアリングを受けて原子力委員会としてどのような検討が行われているのかを問うた。森本氏は「検討内容についてはさしひかえる」を繰り返す官僚答弁に終始した。
 電力各社の「利用計画」が、原子力委員会決定の要求を満しておらず、そのままでは、「妥当」などと言えないことは明白だ。しかし六ヶ所のアクティブ試験を実施するために、原子力委員会決定は「考え方を示しただけ」のもので、法的強制力も何もない、「利用計画」は単なる形式だけでいいというニュアンスを強く打ち出していた。この無責任極まりない姿勢に、参加者は厳しい追及を行った。

■原子力委員会決定は法的拘束力や強制力を持つものではない。「考え」を示しただけ。
 今回の電力各社の「利用計画」は、原子力委員会の2003年8月5日の決定を基に出されている。六ヶ所再処理工場のアクティブ試験によって、余剰プルトニウムが増えないことを示すためのものであるはずだ。
 しかし森本氏は、交渉の中で一貫して、原子力委員会決定は、罰則を伴うものでもなく規制法でもない。法的拘束力や強制力を持つものではない。そのため、アクティブ試験を止める法的力はないという主張を繰り返した。「利用計画」と再処理は別であるとも露骨に発言した。
 参加者からは、原子力委員会が決定に基づいて「利用計画」を出させたのだろうと問われても、「出させたのではない。決定は『考え』を示しただけである」と答えた。
 このように、原子力委員会決定を単なる「考え」としてしまい、何の権威も影響力ももたないものであると、その意義を自らおとしめることに終始していた。ただ、「何らかの要請をするかどうかは、現時点では予断をもっては言えない」と回答するにとどまった。

■東電が「利用場所」を明記できなかったことについて−−「そこまで厳格な判断をするのですかね」
 新潟県と福島県の強い要求によって、東電がプルトニウムの「利用場所」としてのプルサーマル実施原発名を書くことができなかったことは、今回の「利用計画」が全く実現性もなく、絵に書いた餅であることを端的に示している。参加者一同は、このような計画を「妥当」と判断すべきではないと強く追及した。
 このことは原子力委員会にとっても頭の痛い話であり、苦々しい思いをしている風ではあった。しかし驚くことに森本氏は、「利用計画」について「そこまで厳格な判断をするのですかね」等とまで述べた。そして、「利用目的を示せばいい」と繰り返し、一般的にプルサーマルで利用するという「利用目的」で足りるかのような発言だった。市民からは、「利用計画の現実性は判断基準になるのではないのか」と問われても、じっと沈黙していた。ただ、新潟県と福島県がプルサーマルを白紙撤回していることについては、判断する場合に「考慮には入れる」と語った。さらに、柏崎市の会田市長が東電の「利用計画」について「強い違和感を抱かざるを得ません」と語っていることについて持ち出すと、森本氏は持参していたファイルを開けてその記事らしきものを見ながら、「会田市長には、原子力政策大綱を直接説明に行ったりして話しをしている」と前置きし、「彼はよく勉強している。よく勉強している」と繰り返した。「勉強すればプルサーマル推進に変わると言いたいのか」と問われると、否定することもなく苦笑いを浮かべていた。会田市長が聞いていたら、どう感じただろうか。
 また福島県の佐藤知事は、東電の「利用計画」に対して「プルトニウム利用計画がどのようなものであれ、県内の原発でプルサーマル計画を実施することはあり得ない」と述べている。新潟県と福島県の立場を「考慮に入れる」のではあれば、電力の「利用計画」は「妥当性なし」と判断する以外にないはずだ。

■「妥当性を確認する」ための判断基準を示せず
 原子力委員会決定では、電力各社が公表した「利用計画」に対して、「利用目的の妥当性については、原子力委員会において確認していくこととする」と明記されている。「利用計画」の現実性さえ判断基準にすると言わないことに対して、市民側は、では一体、何をもって「妥当性を確認するのか」と追及した。そもそも「確認」のためには、その基準なり指針なりが必要なはずだ。判断基準を具体的に示してほしいと問うても、何も答えられず、「決定」を繰り返し読み上げるだけだった。具体的な判断基準もなく、ただ形式的にプルサーマルを実施するという全く形式だけの「利用目的」だけで、妥当だと判断するなどもっての外だ。参加者一同、判断基準を明らかにするよう強く要求した。

■「余剰プルトニウムを持たない」ではなく「利用目的のないプルトニウムを持たない」
 具体的なプルサーマルの見通しもないままアクティブ試験を開始すれば、より一層の余剰プルトニウムが生まれる。「政府は1997年に国際的に余剰プルトニウムを持たないとの約束をしている。それにも反するではないか」と追及した。すると森本氏は「国際的約束とは何を指すのか。国際的約束とは条約等を意味するものだ」と、そんな約束などないという風な官僚的回答を繰り返した。そこで、97年の政府文書を示し、「余剰プルトニウムを持たない」と書かれていることを確認した。森本氏は自ら持参した資料でも、その箇所に黄色のマーカーを引いていた。よほどこの箇所が気になっているらしい。しかし森本氏は、「余剰プルトニウムを待たない」ではなく、「利用目的のないプルトニウムを持たない」ということだと繰り返す。しかし、原子力委員会決定では「利用目的のないプルトニウム、すなわち余剰プルトニウムを持たないとの原則を示す」と明記されている。そう追及されると、「原子力政策大綱では『余剰プルトニウム』という言葉は使っていない」と述べ、なぜ「余剰プルトニウム」という言葉を使わなくなったのか等については一切答えることはできなかった。
 「余剰プルトニウム」という言葉はよほど都合が悪くなり、現実性などおかまいなしに一般的に「利用目的」を示せばそれでよしとする意向だ。核拡散問題が国際的問題となっている中で、こんなあいまいな話で「国際的な懸念」が払拭できるとでも思っているのだろうか。97年に国際的に宣言した「余剰プルトニウムを持たない」という原則を今も堅持していることを、国際社会に対して、再度明らかにすべきである。

■市民の意見募集や公聴会などについては、委員会に伝えるだけ
 交渉参加者は、冒頭に「委員会として『利用計画』についての最終判断を下す前に、パブリックコメントの募集と各地での公聴会・ご意見を聴く会を実施すること」を要請した。電力からの一方的なヒアリングだけでなく、地元首長や市民からの意見を聞くべきだと要求した。森本氏は、当初は「検討します」と答えていたが、すぐに「委員会に伝えるだけです」と発言をひるがえした。市民側は、それでは原子力委員会の判断過程も全く不透明になってしまうため、意見募集を強く要求した。