11月8日、午後3時から5時前まで、参議院議員会館面談室で、近藤正道議員秘書による保安院からのヒアリングが行われた。保安院からは原子力発電検査課班長の森下氏と同関氏が出席し、近藤議員秘書と大阪・東京から市民4名が参加した。 この日のヒアリングの内容は、美浜3号機の破断した配管部位が未点検であったことを保安院が確認したのはいつなのかを中心に行われた。8月17日付で、原子力資料情報室や当会等の連名で出していた質問書に沿って行われた。 8月10日の読売新聞は、福井県警の押収資料や関電の社員からの聞き取り調査で、「関電は事故の1ヶ月前には破断した配管が未点検であったことを知っていた」と報じていた。これまで関電は、事故直前の7月末から8月初めに「未点検だと確認した」と主張し、保安院に提出した3月1日の関電報告書でもそのように述べていた。 ■破断した配管が未点検だと関電が知った時期は「8月3日か4日頃」と認識 「関電に電話して、報告に間違いがないか確認します」と約束 保安院は事故後の関電からの聞き取りで以下のことを確認したという。7月初めに見つかった大飯1号機の2次系配管の大幅減肉の水平展開として、他の原発の点検が行われた。 ・7月23日付で関電本店が点検の指示文書を出した ・7月30日付で若狭支社が点検の指示文書を出し、各発電所が書類調査 ・未点検箇所の集計表が8月3日か4日頃に作成されたと関電から聞いた よって、「未点検を確認した」のは、8月3日か4日頃だと関電から聞いたと保安院は言う。しかし、関電から見せられた表には日付は入っておらず、関電・東京支社の役所担当者の話を根拠にしているとのことだった。7月30日から書類調査を開始して、8月初めには未点検箇所の集計表ができていたという。やけに迅速な対応だ。7月30日以前から書類調査を行っていたのではないのかと疑わせる(10月20日の関電交渉では、作業日誌はつけておらず、未点検を確認した日時は作業員の「記憶」で7月末から8月上旬と答えていた。作業日誌がなかったことについて、この日保安院は、なくてもたいした問題ではないと平気で話していた)。関電の言うことを鵜呑みにしているだけだ。 読売新聞の記事では、事故の1ヶ月前には「未点検を確認していた」と報じられている。この記事が出て以降、関電に再確認はしていないのかと聞くと、「していません」とのこと。なぜかとたずねると、「自分たちが行った聞き取り調査があるから」と。さらに保安院は、福井県警には、「未点検であることを関電が確認したのは8月3日か4日」という情報も提供している、もっている情報は全て提供していると話し出した。しかし、読売新聞記事では、保安院のその情報が否定されているのだから、再度関電に確認すべきではないのかと問うた。すると、固い表情で「それはできません」を繰り返す。「関電はBNFLのMOX燃料データねつ造事件の時も国にウソをついていた」「地元では、美浜事故は今も重要な問題だ」「今でも関電は原発を運転しているのだから、不正がないか明らかにするのは当然」「以前は、『私が関電に電話して確認します』と言っていたではないか」等々の声が続く。そうしてやっと森下氏は、「読売新聞の記事と比べて、これまで保安院に報告してきたことに間違いがないか、私が関電に電話して確認します」と約束した。 また、関電の昨年7月16日プレス発表では、大飯1号の減肉対策として「協力会社を変更した際にデータ引き継ぎがなされなかったことを踏まえ、記録データを確実に引き継ぐことを当社の社内規定に定め、定期的に監査を実施します」とまで書かれている。この時既に関電は、美浜3号機の破断した配管が未点検であることを把握していた疑いがある。読売新聞の8月10日の記事では、「県警が同発電所の捜索で押収した資料などから、調査過程で、同発電所機械保修課の複数職員が遅くても7月中旬には、運転開始以来、配管が一度も点検されていなかったことに気づいていたことがわかった。」と書かれている。「7月16日」と「7月中旬」。時期的にも符号している。このことも、関電に確認すると保安院は約束した。 ■「未点検の確認時期」と「リスト漏れの確認時期」は同時期だと認める 破断した配管が28年間1度も点検されず、リストからも漏れていた件について、「未点検を確認した」ことと「リスト漏れを確認した」ことについては、これまで別のことのように言われてきた。この日のヒアリングでも保安院は当初、「関電が未点検を確認した」のは、8月4日か5日頃で、「リスト漏れを確認した」のは事故翌日の8月10日だと答えた。当時関電は、「破断した配管がリストから漏れていたのを知ったのは事故後である」「事故後に初めて知った」と繰り返していた。しかし、これは全くの虚偽である。この日のヒアリングの中で、「未点検の確認時期」=「リスト漏れの確認時期」であることを保安院は初めて認めた。 「未点検を確認した」のは、事故直前の大飯1号の配管減肉の水平展開の過程だという。その時、点検票を過去に渡って調べた過程で「28年間未点検」であることが事故直前に分かったという。下請け会社の日本アームは、それまでリストから漏れていた破断した配管部位を、2003年2月から7月に付け加えていた。当然2003年以前の点検管理票には破断部位は掲載されていない。過去の点検票をくっていけば、一度も検査されていないことと、2003年以前の点検票に破断部位が掲載されていない=リストから漏れていたことが同時に分かったはずだ。ヒヤリングの中でこのことを指摘されると、保安院は当初否定し、そして「うーーん」と考え込みながら、「その通りですね」と認めた。 ■破断した配管が未点検であることを知った時期を闇に葬ろうとする関電・保安院 関電がいつの時点で破断した配管が点検されていなかったことを知ったのかは、事故原因、事故の予見可能性の問題、そして責任の重大さに関係して重要な点である。にも係わらず、保安院の「最終報告書」(3月31日付)には、そのことが一言も書かれていない。なぜ書かれていないのかと問うと、「重要なことではないから」と言う。「それより重要なのは、過去のリスト漏れの経緯や、関電が技術基準に違反していた問題です」とはぐらかす。 関電は事故調査の最終段階で出した3月1日付の報告書で初めて、大飯1号の減肉の水平展開の過程で、破断した配管部位が事故直前に未点検であると確認したと書いた。しかし保安院の「最終報告書」では、「・・・当初から漏れていた要点検箇所に対するチェックが行われないままになってしまったものと推測される」(33頁)とだけ書き、関電が未点検であることを知った時期等についての記述は一切ない。 関電が事故の1ヶ月前、あるいはそのずっと以前から未点検であることを知っていたとすれば、それを放置してきた関電の責任は一層重大になる(事故直後の報道では、関電が未点検であることを事故前年の11月頃に知っていたと報じられていた)。「最終報告書」は、関電が未点検であることを知った時期について、故意に問題にすることを避け、事故の予見可能性の問題を闇に葬ろうとしている。関電の言うことを鵜呑みにして、事故直前に未点検であることに気づき、目前に迫っている8月14日からの定期検査で点検する予定になっていたというストーリーで、関電の責任を不問に付している。 ■余寿命評価もやらなかったが、「関電はよくやっていた」 保安院は、事故直前の大飯1号の水平展開について、「関電はよくやっていた」と何度も強調していた。関電は破断部位が未点検だと知っていながら、余寿命評価もやらず放置していた。それでも「よくやった」と言えるのかと問われると、「余寿命評価ではなく、他の点検作業などを優先させたのは間違ってはいない」「昨年5月の新保安規定以降、関電はよくやっていた」と言う。しかし、破断した配管の余寿命評価をやっておれば、配管がぺらぺらに薄い状態になっていることは推測できる。それもやらずに定期検査まで点検を引き延ばした関電を「よくやっていた」と言うのだ。参加者からは、「美浜事故は、起きるべくして起きた事故だということですね」と確認されると、保安院は黙り込んでいた。安全規制当局といいながら、一体どちらを見ているというのだろうか。 最後に、機械学会で進めている二次系配管の規格策定は、当初の予定では9月だったが、「会議を開く度に、先生方から意見が出て」、年内は無理だとのことだった。 また、10・11日に美浜発電所へ立入検査を行い、破断した配管のステンレス鋼に取り替えた箇所の測定等を行う予定だという話があった。 関電の原子力事業本部に電話を入れ、上記の件を確認すること、来週中を目処に電話してその内容を伝えてくれるよう念を押して終了した。 破断した配管が未点検だということを関電・保安院がいつ知ったのかについては、多くの疑惑がある。保安院からの回答をまって、継続して問題にしていきたい。 |