陳述書(松井やより)

陳述書

2001年10月3日

東京地方裁判所民事第5部合議B係り御中

原告  松井やより            

  私は、2000年12月8―12日東京で開催された日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」(以下「法廷」)の主催団体である国際実行委員会の3人の共同代表の一人として、また同委員会を構成する団体の一つである「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW−NETジャパン)代表として、意見を述べます。この「法廷」についてNHKが視聴者に誤解を与えるような番組を放送したことでどれほど精神的な苦痛を受けたか、NHKを提訴することにしたのはなぜか、裁判所にご理解いただきたいからです。そのためには、「法廷」がどのような意義のあるものであったかを知っていただきたいのです。

 「法廷」は日本軍性奴隷制(「慰安婦」制度)の被害女性たちが求める正義を実現するための一つの方法として国際市民社会が開いた民衆法廷です。国連など国際社会は戦争犯罪や人道への罪など重大な人権侵害について、真相究明、被害者への謝罪と賠償、加害者の処罰の三つが必要としています。(国連北京世界女性会議「行動綱領」) しかし、90年代に各国で名乗り出た被害女性たちがこれらの措置を要求し続けてきたのに、日本政府は今なお法的責任を認めず、その要求を拒んできました。

 被害女性たちは高齢化し、相ついで亡くなっていきます。苦痛の人生を閉じる前に、彼女たちが何よりも強く望むのは、日本軍「慰安婦」制度がどのような犯罪であったか、だれが責任者であったか公の場で明らかにされることによって、正義と名誉と人権を回復したいということです。これまで等閑視されてきた加害者処罰を訴えているのです。たとえば、97年に亡くなった韓国の「慰安婦」姜徳景さんが遺言だといって描き遺したのは「責任者を処罰せよ」という絵でした。

 しかし、各国の「慰安婦」が起している日本政府に対して損害賠償を請求する民事訴訟の判決はほとんどが原告の訴えを棄却していることからも、ましてや刑事責任を日本の裁判所で問うことは困難です。そこで、国家が加害者を裁く責務を果たさないなら、市民社会が裁くということは、60年代のベトナム戦争中に米国の戦争犯罪を裁く民衆法廷が英国の哲学者バートランド・ラッセルとフランスの文学者ジャンポール・サルトルらによって開かれた前例があります。しかも、近年、国際法の制定や実行監視には国家だけでなく市民社会が積極的役割を果たすという国際法の市民化の潮流が強まっています。この流れを背景に、国際女性運動の力で開廷したこの「法廷」は単なる模擬裁判ではありません。国家主権ではなく民衆主権による裁判で、戦時性暴力を訴追しなかった東京裁判の継続と位置づけられました。 

 日本の国家としては戦後、一人の戦犯も処罰しませんでした。それは、ドイツがニュルンベルグ裁判のあと特別法を作ってナチス戦犯を10万人以上逮捕して取調べ、6千人以上を処罰したのと対照的です。イギリスやフランスの裁判所も今なおナチス戦犯を裁判にかけ続けています。最近欧州連合が成立してドイツが中心的な役割を占めることができたのも、まさに、ドイツが自国の戦犯を厳しく処罰したからこそ、近隣の西欧諸国との和解が可能になったのです。正義、つまり、処罰なくして和解は成立しないのです。

 しかし、戦争犯罪の中でも女性に対する戦争犯罪についてはどこの国もきちんと裁きませんでした。性暴力の被害者は沈黙を強いられるからです。ところが、90年代初め、「慰安婦」が名乗り出たころ、旧ユーゴやルワンダ内戦での大量強かんが世界に衝撃を与え、武力紛争下の女性への暴力、戦時性暴力の不処罰が問題化しました。このため、国際女性運動は戦時性暴力不処罰の循環を断つためにキャンペーンし、その結果、旧ユーゴ国際戦犯法廷は戦場での強かんを初めて人道への罪や戦争犯罪として訴追したのです。98年に国連人権小委員会ゲイ・マクドゥーガル特別報告者が提出した報告も、「慰安婦」問題について、補償とともに処罰の必要性を強調しています。(VAWW−NETジャパン編訳『戦時性暴力をどう裁くかーマクドゥーガル報告全訳』2000年増補版 凱風社)

 従って、「法廷」の目的は、日本の戦争責任追及とともに、戦時性暴力不処罰の循環を断ち再発を防ぐという普遍的な女性の人権問題に寄与することでした。このため、「法廷」には、被害国だけでなく、現代の武力紛争の問題に関わる世界各国の女性たちも積極的に協力しました。「法廷」の裁判長は戦時性暴力を初めて裁いた旧ユーゴ法廷のガブリエル・カーク・マクドナルド前所長、首席検事の一人は旧ユーゴ、ルワンダ両法廷のパトリシア・ビサー=セラーズ法律顧問です。二人はこの「法廷」で旧ユーゴ法廷での現代の戦時性暴力訴追の経験を生かして半世紀以上前の日本軍の性暴力を裁いたのでした。

 裁判官はこのほか、国際法をジェンダーの視点で洗い直す世界的な動きで主要な役割を果たしているクリスチーヌ・チンキン、ロンドン大学教授、最近国連総会で旧ユーゴ法廷の裁判官に選出されたアルゼンチンのカルメン・マリア・アルヒバイ判事、ケニアの人権委員会委員長で世界的に知られる人権専門家のウィリー・ムトゥンガ、ケニア大学教授です。もう一人の首席検事ウスティニア・ドルゴポル、オーストラリア・フリンダース大学助教授は、国際法律家委員会(ICJ)が94年「慰安婦」問題で初めて日本政府へ勧告を出したときにスタッフとして起草にあたり、また、東京裁判でなぜ日本軍性奴隷制が訴追されなかったかを分析した論文を発表しているこの分野の第一人者です。

 このように世界的に著名な国際法や人権の専門家から裁判官4人と首席検事2人を迎え、被害加害10カ国の法律家や歴史家などからなる検事団が膨大な証拠と被害者証言をもとに起訴状を作成して歴史的な「法廷」が開催されたのです。8カ国から64人というかつてない人数の被害女性が参加して証言し、連日海外国内合わせて1100人前後が傍聴し、内外の報道陣300人以上が取材しました。3日間の審理のあと、提出された証拠と証言に基づいて、当時の国際法に照らして、最終日に判決(「認定の概要」)が下されました。日本軍性奴隷制は人道への罪、戦争犯罪であるとして、国家の賠償責任と昭和天皇の有罪を認定したのです。軍部や政府上層部の被告10人については、今年12月3日ハーグで「法廷」が再び開廷されて判決が下されます。

 「法廷」の判決をだれよりも喜んだのは被害女性たちでした。14歳のときに自宅に侵入した日本兵たちによって目の前で父親が首をはねられ,自分は強かんされて「慰安婦」として連行されたフィリピン女性はこんな感想を寄せています。「10年間苦闘して求め続けた正義を女性国際戦犯法廷がやっと私にくれました。私たちに耳を傾け、真実を求めた私に尊厳を返してくれた裁判はこれが初めてでした」(VAWW−NETジャパン『ニュース』2001年5月号)

 「法廷」の詳細や意義については、私の論文(神奈川大学評論『女性国際戦犯法廷の歴史的意義』2001年39号所収等)に書きましたが、海外の著名な学者たちも米国のノーマ・フイールド教授、マーク・セルデン教授など「法廷」を高く評価する論文をあいついで発表しています(VAWW−NETジャパン編『裁かれた戦時性暴力』白澤社2001年10月刊等)。また、国連のクマラスワミ「女性への暴力」特別報告者は今年4月国連人権委員会に提出した今年度報告書で、「国際的に著名な裁判官によって構成された女性国際戦犯法廷は日本政府の法的責任と加害者の訴追の必要性を確認した。日本政府は出廷しなかった」と述べ、「法廷」が国連文書に公式に記録されました。

 戦後初めての天皇有罪判決は海外のメディアでも大きな反響を呼び、被害国のメディアだけでなく、米国や西欧のテレビ局、通信社や有力紙が大々的に報道しました。ところが、日本のメディアは天皇の戦争責任をタブー視しているのか、いくつかの例外を除けばほとんど報道せず、言論統制下の戦争中を思わせるような内外格差でした。(VAWW−NETジャパン編『女性国際戦犯法廷―世界と日本の報道からー』等)

 そんな中で、NHKが「法廷」の番組を制作することに期待して、VAWW−NETジャパンは取材に全面的に協力し、私自身ドキュメンタリー・ジャパンの1時間半のインタビューに応じました。姜徳景さんの絵を示しながら「法廷」を開くにいたった動機、目的、準備過程を説明しました。とくに、「慰安婦」問題でなぜ今処罰が必要なのかを視聴者に理解してもらわなければならないと思ったからです。

 ところが、右翼の放映中止要求が強まっていると聞き、不安を感じながら放送された番組を見てショックを受けました。「法廷」というのに起訴内容も判決さえも紹介せず、私のインタビューも全くカットされていたのです。翌日の国際公聴会の番組で、前日の私と同じ立場である主催団体である女性コーカスのバヒダ・ナイナー代表のインタビューが放映されているのと対照的でした。この夜の番組では国際刑事裁判所に関するシンポジウムも紹介しましたが、並んでいるパネリストの中で私だけが不自然にカットされ、結局、両夜とも私は一切画面から消されていました。右翼の攻撃対象だからと、このように私を意図的に外したとしたら、それは私が主催者として代表する「法廷」全体への侮辱としか考えられず、許すことはできません。

 NHKが「法廷」を批判的に報道することは自由です。しかし、その場合には批判対象である「法廷」について、名称や主催者や判決など最小限の情報を伝えることが報道の基本であると、33年間ジャーナリストだった経験からいえます。だれが見てもここまで異常な番組改ざんは、外部からのどんな圧力があったのか、NHK上層部のだれがなぜ指示したのか、制作担当者はなぜ抵抗できなかったのか、そして、私たちの抗議にもなぜ沈黙し続けるのか、NHKには内部の自由がないのか、NHKが説明拒否の理由としている編集権は、憲法が保証する表現・言論の自由に優先するのか、裁判所が公正な判断を下されるように心から願うものです。

 私たちが制作したビデオ『女性国際戦犯法廷の記録―沈黙の歴史をやぶって』をごらんいただければ、NHK番組の改ざんが「法廷」に関わったすべての関係者―被害女性、判事・検事、各国検事団、支援団体、専門家証人、国際諮問委員会、延べ五千人の内外の傍聴者を傷つけ、視聴者の知る権利を侵すものであることを実感していただけると思います。NHKがこの裁判で、真相を明らかにして説明責任を果たし、被害女性を初め「法廷」関係者の名誉を回復するかどうか、日本の表現・言論の自由のあり方の問題として「法廷」を支えた世界のすべての人々がこの裁判の行方を注視していることを申し添えます。

以上

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