か ぶ と や ま じ け ん 甲山事件・裁判 |
1974年の3月17日、兵庫県西宮市、六甲山系甲山(かぶとやま)の山麓にある知恵遅れの子供たちの施設「甲山学園」において一人の女子園児が行方不明になり、二日後の19日には男子園児(いずれも12歳)が行方不明となりました。捜索の結果その夜遅く、二人とも園内のトイレ浄化槽から水死体で発見されました。
そして同施設の保母をしていた山田悦子さん(旧姓沢崎・22歳)が園児殺害の容疑で逮捕された事件です。
異例な経過
山田さんは一度は「犯行」を認めましたが、その後は一貫して無実を主張。当然ながら、警察・検察はキメ手となる証拠がないとして彼女を釈放しました。三ヶ月後、山田さんは園の職員と共に、逮捕は不当な人権侵害であるとして国家賠償請求訴訟をおこしました。この国賠裁判は順調に勝ちすすみ、一年後には神戸地方検察庁が山田さんの不起訴処分を発表。しかし、その一年後には逆に、神戸検察審査会が「不起訴は不当」の決議を出し、警察による再捜査も始まり、事件から四年後、山田さんへの再逮捕−再デッチあげが強行されたのです。
裁判の争点
1978年3月、山田さんは男子園児一人について殺人罪で起訴。国賠裁判で山田さんのアリバイを証言した同僚指導員の多田さん・同園の荒木園長も偽証罪で逮捕−起訴されました。裁判の争点は四点。@山田さんが男子園児を探し、連れ出すのを見たとする園児五人の証言、A最初の逮捕時の『自白』調書、B犯行時間帯のアリバイ、C死亡した園児のセ−タ−と山田さんのコ−ト双方に付いていたとされる「繊維の相互付着鑑定」などです。
裁判の経過
一審の神戸地裁は7年の審理を経て、85年10月、すべての争点について検察主張を退け完璧な無罪判決を出しました。(荒木園長・多田指導員の偽証罪裁判も無罪)
検察は殺人罪、偽証罪ともに控訴。大阪高裁でも検察は何の立証も出来ないまま結審。ところが大阪高裁は90年3月、「一審判決には事実誤認があり、審理が不十分」として、神戸地裁に差し戻すという、実質有罪判決を出したのです。山田さんは最高裁へ上告。しかし二年後の92年4月、九万人もの無罪要求署名を提出した十日後、最高裁は上告棄却の決定を出したのです。
これによって高裁の差し戻し判決通り、93年2月一審の神戸地裁へ戻って、審理のやり直しが始まることとなりました。神戸地裁での差し戻し審が始まって5年、98年3月神戸地裁は山田さんたち3人に再び完全な無罪判決を下したのです。
検察はこの二度目の無罪判決に対し不当にも、大阪高裁へ二度目の控訴をしました。
大阪高裁も<長期裁判>という世論の批判を意識してか、99年1月に始まったこの第2次控訴審は、異例ともいえる早さで審理を終え、1999年9月29日、山田さんに対して3度目の、完全な無罪判決が出されました。(山田さん判決要旨はこちら。)
また10月には偽証罪にとわれていた荒木さん、多田さんにも相次いで無罪判決が
なされ、検察は最高裁への上告を断念し、それぞれ3人の無罪判決が確定しました。
(第2次控訴審、荒木潔さん判決要旨はこちら、多田いう子さん判決要旨はこちら。)
25年の裁判といま
これで「冤罪・甲山事件」の刑事裁判はすべて、無罪終結となりました。
これまでご支援、お見守りいただいたすべての人と共に、勝利を喜びたいと思います。ありがとうございました。
しかしまた、この当然な無罪確定までに、事件から25年以上もの歳月が費やされました。被告とされた人たちの取り返しのつかない人生を思うとき、怒りと無念を禁じ得ません。何故、このような誤った裁判がなされたのか。私たちは冤罪を生む捜査のあり方や人権無視について、捜査当局に対し猛省を促したいと考えます。
また何故、3度の無罪判決が出されるまで長期にわたる裁判が続けられたのか。その最大の理由は、検察官による<上訴権>の乱用です。日本では、無罪判決がでても検察官の勝手、都合で控訴や上告が出来る仕組みになっています。弁護団や救援会
は、「憲法に反する長期裁判を防止するため、検察官の上訴権を禁止・制限すべき」という論調を展開しました。これは今後の課題ですが、法曹関係者ばかりでなく社会の潮流として、この刑事訴訟法の改正を是非とも実現させて行きたいと考えます。
この甲山事件・裁判を機に、冤罪という公権力の犯罪とその悲惨を、二度と起こさせてはならないという思いを強くします。ひとつの事件の教訓が、21世紀への、人間としての共有の財産となることを願っています。今後とも、皆様と歩みを共にしたいと思います。
■■■■ 事件や裁判の経過など、詳細は以下のページをお読みください。■■■■
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