参考資料 (第2次控訴審判決後の報道)
第二控訴審のみたび無罪判決を伝える新聞記事。新聞の社説です。
毎日新聞9月29日夕刊
山田元保母三たび無罪
「甲山事件」第2次控訴審判決
検察、上告困難に
「動機に事実誤認」と批判 初公判から21年
兵庫県西宮市の知的障害児施設、甲山学園(廃園)で園児(当時12歳)を浄化槽に落として水死させたとして殺人罪に問われた元同学園保母、山田悦子被告(48)の2回目の控訴審判決が29日、大阪高裁であった。河上元康裁判長は「園児の目撃証言や山田被告の自白は信用性が低い」として昨年3月の神戸地裁の無罪判決を支持し、検察側の控訴を棄却した。また判決は「検察が主張する動機には重大な事実誤認があり、捜査を見直すべきだった」と捜査のあり方を強く批判した。1978年6月の1審初公判以来、一度も有罪にならないまま3度目の無罪判決で、検察側が上告するのは極めて厳しい情勢だ。
公判では、水死体で発見された園児のH.s.君を山田さんが連れ出すのを見たとする知的障害児の目撃証言の信用性▽山田さんの自白の信用性▽犯行時間帯とされる74年3月19日夜の山田さんのアリバイ──などが争点になった。
河上裁判長は「(山田さんが)s.君を呼びに来て、2人で非常口の方に歩いて行った」との女児(当時11歳)の証言と、発生から3年後に出てきた「(山田さんが)s.君の両足を持って廊下を引きずり、非常口から外に連れ出した」との男児(同12歳)の目撃証言など5人の園児の証言を検討。「園児らは事件直後にs.君を捜していた学園職員らにはいっさい目撃を話していない。口止めされていたとも認められない。重要な園児供述は、あらかじめ情報を持っていた捜査官による暗示・誘導の影響を受けて引き出された可能性が高い」と判断した。
山田さんが74年4月、兵庫県警に逮捕された際にしたとされる自白については「動機が不合理な内答で、事実にも反しており、信用性は乏しい」とした。
さらに、s.君を連れ出したと検察側が主張する午後8時ころの山田さんのアリバイについては「事務室にいた園長が午後8時すぎまで一緒にいたとみられるなど、アリバイが成立している可能性が高い」とした。
また、検察側が唯一の物証としていた、山田さんのコートとS.君のセーターの繊維片が相互付着していたとの鑑定については「鑑定内容は科学的鑑定としての価値は低い。検察官の主張する繊維付着の事実が、犯行を推認させる間接事実としての意味があるとまでは言えない」と判断した。
検察側は「最初の控訴審は、園児証言や自白などについて『信用性を否定できない』とした。差し戻し審では、最初の控訴審の判断に拘束される」と主張したが、判決は「最初の控訴審は審理不尽を前提にしており、積極的に証拠価値を認めた判断ではない。差し戻し審判決に違法性はない」と述べた。
今回の控訴審で行われた実質審理は、元同学園指導員の多田いう子被告(55)=偽証罪で公判中=の証人尋問だけ。判決は、被告側主張を全面的に認めた。【和泉かよ子】
事実を正しく判断
甲山弁護団の麻田光広弁護士の話
裁判所は事実を正しく判断してくれた。第1次1審より検察側に厳しい判決で、完全に弁護側の勝利と言っていい。検察は上告すべきでない。これ以上、山田さんを苦しめることはやめてほしい。
判決は予想外のもの
大阪高検の佐々木茂夫次席検事の話
今回の判決は予想外のものと受け止めている。今後、判決内容を十分に検討、最高検と協議のうえ、適切に対処したい。
毎日新聞9月29日夕刊 解説記事
甲山事件で三たび無罪
新証拠提出、強引に
刑事裁判史上異例の長期裁判になった「甲山事件」で、山田悦子被告に3度目の無罪が言い渡された。今回の判決は過去2度の無罪判決よりも、さらに踏み込んだ形で証拠の矛盾を指摘し、捜査のあり方を批判した。1978年6月の初公判から21年。山田さんが、被告の立場に置かれた年月は既に、求刑の懲役13年をはるかに上回っている。山田さんの不利益の大きさからも「完全無罪」を明快に言い渡したとみられる。
1審は7年4ヵ月、最初の控訴審は4年5ヵ月、上告審は2年1ヵ月を要し、差し戻し審も5年1ヵ月かかった。今回の控訴審で河上元慶裁判長は、検察側が申請した証拠16点の大半の採用を却下。初公判から判決まで8ヵ月という「迅速審理」を念頭に置いた訴訟指揮は、長期裁判の批判に対し裁判所として最大限の努力をしたと評価できる。
検察側が昨年4月に2度目の控訴に踏み切った"大義。は「翼実追及の義務」だった。今回の控訴審で検察側は「新証拠」として、77〜78年に検察官が園児を事情聴取した際の録音テープを出し、事件の最大の争点「園児証言」の信用性を補強しようとした。そのため、刑事訴訟法が、控訴審で証拠申請できるものを「やむを得ない理由で一蕃で申請できなかった証拠」としているのに対し、「従前の証拠で有罪立証は十分と考え証拠申請しなかった場合も『やむを得ない理由』に当たる」とする強引な法解釈を展開した。
河上裁判長は、テープの証拠採用を却下したが、最初の1審からテープも含めて審理していれば、第一次控訴審が「審理不十分」として差し戻す事態が避けられた可能性もある。その意味でも検察側の立証態度は批判を免れない。
この事件で検察側は21年前の起訴時点から終始一貫して、証拠の乏しさを強引な説明で補ってきた。園児・供述・証言が明確でないのは「職員からの口止め工作があった」とし、自白内容が断片的なのは「同僚の異常な支援活動」のせいであるとした。こうした主張をすべて退けた判決は、市民社会の「常識」に立ち返った判断と言える。
判決は捜査当局に、より高度な正義感を求めた。甲山事件では、迅速で有意義な審理という裁判の命が見失われ、3審制という法制度の階段の不毛な上り下りが行われた。刑事訴訟法上、検察の上告は可能だが「被告人は公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」との憲法37条の規定に照らした場合、検察が上告する〃正義〃は既に失われている。【和泉かよ子】
毎日新聞9月29日夕刊解説記事より
毎日新聞9月30日朝刊 社説
甲山事件
長期裁判防止に具体策を
兵庫県西宮市の知的障害児施設「甲山学園」(廃園)の中で1974年に起きた園児の死亡事件で、殺人罪に問われていた元保母について大阪高裁は29日、検察側の控訴を棄却した。
3回目の無罪判決だ。検察当局は上告するかどうか未定という。初公判から既に21年も経過した超長期裁判である。上告してこれ以上審理を続けるべきではないと考える。
真実を明らかにすることが裁判の信頼性を高めることは言うまでもない。しかし、地裁─高裁─最高裁の間で判決が5回も繰り返されたのはやはり異常だ。「真実発見の努力」は、国民のためというより捜査当局の体面のためではないか、といった批判も現に起きている。
この判決を機に、長期裁判防止策の検討を始めるべきではないか。
一連の公判では、証拠の乏しさが指摘され続けた。そのため裁判官の「心証」に依存するところが多くなり、結論が無罪、無罪破棄と分かれることにつながった。
だが、それ自体はいちがいに批判できない。刑事訴訟法は「事実の認定は証拠による」(第317条)としながら、「証拠の証明力は裁判官の自由な判断に委ねる」(第318
条)と規定しているからだ。
しかし、その状況に甘んじてしまうと、裁判が際限なく続くという事態を防げなくなる。長期裁判防止のためには、やはり制度的な歯止めが必要だ。
参考となる事例はある。起訴から判決確定まで20年かかった「高田事件」で、最高裁(72年)は憲法37条1項(迅速な裁判を受ける権利)についてこう述べている。
「迅速な裁判を受ける権利は基本的人権の一つであり、それを保障するために必要な立法や司法行政上の措置が求められる。現実に遅延の結果、被告の権利が著しく害された場合は、審理打ち切りという非常救済手段(免訴)を取るべきだ」
この条項は、目標を掲げただけのものではないという指摘である。
今回の第2次控訴審で、被告弁護団は無罪判決に対する検察官の控訴を禁止する立法の必要性を訴えた。米国などでは1審無罪の場合、明らかな法律違反がない限り検察官は控訴できないことになっている。わが国でも同趣旨の学説がある。一考に値する提案だ。まして無罪が二度も出た場合の上訴制限は当然のことではないだろうか。
上級審による安易な「差し戻し」も避けなければならない。これが乱用されると裁判が長期化し、地裁、高裁、最高裁の3審制が、実態として「5審制」にも「6審制」にもなってしまう危険性をはらんでいる。
もちろん、迅速な裁判は裁判所、検察庁だけの努力では実現できない。被告の出廷拒否や意図的な審理引き延ばしなどによる遅延は、弁護側の協力なしでは防げない。捜査当局に、初動から起訴に至るまで綿密でしかも民主的な捜査が求められるのは当然のことだ。
真相が解明されないまま裁判が終結することに、国民は釈然としない思いを抱くかもしれない。死亡した園児の親たちの気持ちもいやされないだろう。
しかし、その責は捜査当局が負うべきである。20年以上も人を「被告の座」に縛り続けるのでは、もはや裁判とは言えない。
毎日新聞9月30日朝刊 社説
朝日新聞朝刊9月30日 社説
長期裁判に終止符を
知的障害を持つ園児が、施設の浄化槽から水死体で見つかった「甲山事件」の第二次控訴審判決で、大阪高裁は差し戻し審の無罪判決を支持し、検察剣の控訴を棄却した。
当時の保母で、殺人罪に問われた山田悦子さんにとっては、三度目の無罪の判断である。「深い判決」と語ったという。
判決は、検察側が主張する元同僚らによるアリバイ工作を退け、「被告人のアリバイが成立している可能性が高い」と述べた。最大の争点となった元園児の目撃証言についても、「捜査官による暗示・誘導の影響を受けて引き出された可能性が高く、その信用性は低い」と断じた。
検察側には、最高裁に上告する道が残されている。
しかし、事実認定をめぐり、ここまで明確な判断が示された以上、さらに審理を求める理由があるかどうか疑問である。上告は断念すべきだ。
何よりも、被告人が受けた苦痛と不利益は、あまりに重い。事件が起きてから二十五年、起訴から二十一年という時間の経過を考えると、これ以上の裁判に実質的な意味があるとは思えない。
憲法は「迅速な裁判を受ける権利」を被告人に保障している。
昨年の司法統計年報によると、地裁の審理期間が三年を超えたのは百三十人、控訴審までだと七年超が四十三人だった。期間は年々短縮されているとはいえ、迅速な裁判への道は、なお半ばである。
それにしても、甲山事件はなぜ、これほどの長期裁判になったのか。その大きな原因としては、初動捜査の不手際を指摘せざるを得ない。
園児の死亡は、高さ二メートル余りの金網で仕切られた施設内の出来事だった。捜査側は当初から内部犯行との見方に立ち、元保母の逮捕に踏み切った。
それに対し、判決は「捜査は、初めから犯人を絞り込んでいたためか、極めて不十分であり、今となっては事実関係が不明といわざるを得ない」と言及した。
当初の対応の誤りが、行きつ戻りつの裁判に結びついたのではないか。
さらに、差し戻し審の神戸地裁が五年の審理をへて無罪判決を言い渡したにもかかわらず、検察側が二度目の控訴をした判断には、大いに疑問が残る。
弁護側が、「検察のメンツにとらわれ、国民の権利の保護という感覚を失ってしまった」と批判したのも無理はない。
構造的な問題にも目を向けたい。
弁護土の絶対数が少なく、いくつもの事件を同時並行で手がける。この実態を改めることが必要だ。
事件の複雑さから長期審理が予想される場合は、裁判所、検察庁、弁護士会の三者が協議して特別案件に指定し、通常と異なる態勢で臨むことにしてはどうだろう。
その際は、弁護士が専念できるよう、公費で助成する。検察側も証拠を事前に全面開示するなど、迅速審理に協力し、例えば二年をめどに一審判決を得る。
こうした方法を含め、「長過ぎる裁判」をなくしていくための抜本策を真剣に検討する時期がきている。
子を失った両親はもちろん、被告人の名を着せられた人、何度も供述させられた元園児らの心の痛みは消えない。
これ以上の苦難を負わせてはならない。せめて、長期裁判に終止符を打つべきだ。
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( 朝日新聞 1999年9月30日 朝刊 社説 )
読売新聞9月30日朝刊 社説
無罪三度の異常な長期裁判
「裁判の遅延は裁判をしないのと同じ」と言われるが、これほど審理が長期化しては、わが国の刑事司法制度そのものに対する国民の信頼が損なわれかねない。
審理が始まって、すでに二十一年を超えている。兵庫県西宮市にあった知的障害児施設で一九七四年三月、園児が行方不明になり、施設内の浄化槽から水死体で発見された「甲山事件」の裁判である。
殺人罪に問われた元保母に対する二度目の控訴審判決が大阪高裁であり、検察側控訴が棄却された。三度目の無罪である。もとの控訴審で差し戻し判決が出ており、審理が、地、高裁の間を行き来していた。
なお上告の道が残されているとはいえ、度重なる無罪判決は、検察の立証構造に基本的な問題があることを示す。そのことを重く受け止めるべきだ。これ以上の長期裁判は、もはや多くの理解を得られまい。
捜査段階では、検察がいったん元保母を嫌疑不十分で不起訴にしたものの、これを不当とする検察審査会の議決を受けて再捜査、四年後に起訴に至った経緯がある。
捜査、公判を通じて、検察あるいは裁判所の判断が大きく揺れたわけだ。
直接的な物証がなく、間接証拠の積み重ねで立証しようとする検察側と、弁護側が全面的に対立し、長期裁判となった。
元保母が被害園児を連れ出すのを見たという別の園児らの目撃証言や、最初の捜査段階における元保母の自白の信用性などが繰り返し争われてきた。
今回の判決は目撃証言が事件から三年以上を経て初めて出てきたことを指摘、「不自然な変遷があり、捜査官の暗示・誘導で形成された可能性が高い」とした。
自白についても「断片的で不完全なものであり、具体性がなく、信用性に乏しい」として、地裁における二度の無罪判決と同様に検察側の主張をことごとく退けた。
ことに、犯行動機を供述した自白の内容は「極めて不合理で、客観的事実に反する部分がある」とした。元保母に事件当時のアリバイが成立する可能性まで言及する踏み込んだ判断を示した。
刑事裁判の大きな目的は、真実の発見である。犯罪者は処罰しなければならない。甲山事件は知的障害児が収容先の施設内で殺害されるという無残なものだった。被害者遺族の悲痛は察するにあまりある。公訴権を付託された検察の責任は重い。
しかし一方で、迅速な裁判は憲法に保障された基本的人権の一つだ。
加えて裁判が長引けば長引くほど、証拠が散逸し、事件関係者の記憶は風化して、真相の解明自体が著しく困難になる。
二度目の控訴審が公判前の準備期間を大幅に短縮し、審理も二か月ほどで終えたことは評価できるとしても、これまでの時間の経過が取り戻せるわけではない。
迅速な裁判の実現は、司法の大きな課題であり、内閣に設置された司法制度改革審議会の論点の一つにもなっている。
改革論議を進めるのは当然として、まず審理促進に向けた検察、弁護側の努力が必要なことを改めて指摘しておきたい。
読売新聞9月30日朝刊 社説
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