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読者の多くはまだ生まれたばかりだった'74年。神戸で起こったこの事件を今SPA!が取り上げるのは、5年前SPA!で掲載されたニュースコラムでこの事件の被告である山田悦子さんの人権を侵してしまった反省からである。7月1日、この甲山事件の差し戻し裁判の論告求刑(懲役13年)を受け、もう一度この事件がどんなものだったか、神戸少年殺人事件など、現実の事件報道を参考にしながら考えてみた。
かまたさとし ○'38年、青森県生まれ。早稲田大学を卒業後、業界紙記者を経てフリーに。対馬のカドミ中毒事件を扱った『隠された公害』でデビュー。常に自ら現場を体験、弱者の立場からのルポルタージュを書き続けてきた。『自動車絶望工場』『逃げる民』『教育工場の子どもたち』『反骨、鈴木東民の生涯』『六ヶ所村の記録』など、社会問題、教育問題を中心に、多数の著書がある。現在『週刊女性』にエッセイを連載中。
これまで、財田川事件をはじめ多くの冤罪事件に取材する側としてかかわってきた鎌田さんは、23年前にこの事件が起こった当時のマスコミの状況をこう説明してくれた。
「マスコミの人々の間で、冤罪事件が大きく扱われ始めたのは十数年前頃からでした。免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件など、いったん死刑判決が出た事件が無罪になり、冤罪が大きく扱われたんです。記者たちも冤罪に大きな関心を持つようになっていました。逮捕された人間に、"容疑者"という肩書を付けて報道するようになったのもそのあとだったと思いますよ。
23年前に起きたこの甲山事件の頃は、マスコミはみんな警察発表をそのまま原稿にしていました。逮捕当時の記事には『若い保母逮捕 事件後の言行不審』『懺悔の日記を押収』『あいまいなアリバイ』『捜査そらす名演技? 葬儀の日、泣いて合掌』などといった、まさに犯人視としか言いようのない記事しかありませんでした。ほかにも3億円保険金詐欺事件では、容疑者に対してマスコミが"九州一のワル"というキャッチフレーズを付けたことすらあったんですよ。そこには警察発表に誘導されやすい記者の体質があったんです。甲山事件の報道には、当時のそういう記者たちの人権意識が大きな影響を与えてしまっていたんだと思います」
現在、神戸少年殺人事件に大いに関心があるという鎌田さんは、この事件を例に取ってこう続けた。
「神戸少年殺人事件でも、目撃証言がいかにいい加減かはおわかりのことと思いますが、甲山の場合も、園児の目撃証言にほとんど依拠しているんです。"物的証拠"といえるかもしれないものはたった1件。亡くなった園児の洋服に付着していたごく微量の繊維が山田さんの着ていた洋服の繊維と酷似していたいう一点だけなんです。しかも、彼女の場合動機がない。あるのは、彼女の自白調書だけです。
普通の人は"やってない人間は自供しない"と思うでしょう。そんなことはないという人でも"取調官の執拗な追求を避け、いったん嘘の自白をしても、裁判ではっきりさせれば大丈夫"と考えるでしょう。でも、そんなことはない。"自白調書"っていうのは十分証拠にされるんです。甲山事件の山田被告もそうして自供してしまった。でも、裏付けがないから釈放され、不起訴決定も出されたんです。それを数年たってから、自白調書に沿うように園児供述を新たに持ち出して再逮捕、起訴されることになったんです。
大人でも取り調べを受けると緊張してしまいます。それが子供だったらどうでしょう。少年犯罪には冤罪が多いんです。公開されないし、家庭裁判所で決まってしまう。大人でも取調官に迎合してしまう傾向があるのに、目撃証言したのが園児だったわけです。繰り返しますが、目撃証言というのは神戸少年殺人事件でも完全に間違っていた。証言者が園児だけであるというのが、どういうことか考えてみる必要があります」
結果として、甲山事件の審理は20年に及び、いまだに差し戻し審の判決も出ていない。自白に頼った捜査、信憑性の少ない目撃証言などの問題点のほかに、もっと大きな問題点が隠されているからだ、と鎌田さんは考える。
「逮捕されてまもなく、山田さんは釈放されている。僕はこれを警察や検察の自信のなさの表れなんじゃないかと思うんです。それに、裁判官だって正義のためだけに生きているわけではありませんから、国の方針には反発しにくい。有罪にする根拠がなくても、自分では無罪にしにくい場合があるんです。それは上級審の判決をひっくり返しにくいとう、人間的な心理です。社長の方針に逆らってまで企画を通す部長が少ないのと似ています。裁判官にも出世意識みたいなものが強いんです。
それは報道するマスコミの側にもありました。警察発表で記事を作っていると、それをいかにセンセーショナルにするかが付いて回ることになりますよね。マスコミだって売らなきゃいけないのですから。そのとき"これは普通よりひどい事件だから"というエクスキューズがいつも付いて回る。神戸少年殺人事件でも"これは異常な事件だから"という意識が見えました。少年の顔写真掲載をいい例に、顔写真こそ出さなくても各社とも、証拠が発見されない段階から、犯人視競争をしているかのような報道をしていました。売るだけのために人権が潰されるのは、僕にはどうしても納得がいきません」
裁く側だけでなく、報道する側も陥ってしまいがちな"病"から逃れる最良の方法とは何なのか。
「神戸少年事件でも、マスコミは少年の異常さを"これでもか"と強調してきた。例えば、
『少年は拳に腕時計を巻いて前歯が折れるほど殴った』『ネコの目玉や舌をビンに入れて捨てた』『ゴミ置き場でゴミを漁るネコに部屋の窓からナイフを投げつけて殺した』とか、いろんな週刊誌が書いてきた。僕は実際に現場に行って見てきましたが、僕が知る限り前歯を折られたという少年というのは見つかりませんでしたし、彼の家からゴミ置き場までは、間に家が一軒あてナイフを投げられないんです。これは、ニュースソースを少年の同級生に求めているからなんじゃないでしょうか。彼らも伝聞で話しているんです。もしかしたら少年が強がりで彼らに語ったことをそのまま"事実"としてしゃべっているのかもしれません。
もちろん、僕は彼が前面シロだと言っているのではありません。マスコミは、これまで活字になっているものを、事実として報道してしまっているのではないかと、疑っているだけです。それがどんどん事実化してしまって、根拠がないうちに情報だけが増殖していっているような気がしてならないんですよ。家族で腕立て伏せや卓球をしていたという話も"仮面家族"の証明のように書いていますが、これってごく普通のことじゃないですか。
甲山事件の被告、山田さんもそういう報道の被害に遭ってきたんです。『子どもを殺したヤツ』ってね。
もちろん、報道する立場でこれを回避する方法はあります。『人権オタク』と言われる可能性をあえてかぶっても、他社との競争に敗れても、根拠のはっきりしないことは書かないということです。書くほうが間違っているんですから。一人の人権をスキャンダリズムで潰してはいけないでしょう。これは編集方針や見識の問題だと思いますが、人権を潰してでも売るのではなく、人権を守るためには売らないほうを選ぶ。僕にはそれしかないと思います。僕にはそれしかないと思います。だから今こそ警察発表や、噂を丸のまま信じないで、取材して自分の判断で書くという基本に帰らなくてはならないんじゃないでしょうか」
23年の時を隔てて、奇しくも同じ神戸で起こった事件で、容疑者となった少年と山田さんはマスコミの"犯人視"という凶器の餌食となってしまったのだ。そして、かつてはSPA!も犯人視にまみれた甲山事件の一次報道を鵜呑みにして、ニュースコラムを発表してしまった。被告の山田さんにしてみれば、とんでもないところから、20年ぶりに報道被害に遭遇するハメになってしまったのだ。
これは報道による二次被害とでも言っていいのかもしれない。そしてこんな二次被害を防ぐのもやっぱり、確信できないことは書かないという単純なことで解決できるのだ。
「僕は世代も違うからSPA!をほとんど読みません。でも、かつてSPA!は、オウム事件のときに判決が出るまでオウムを犯人視しないという方針だったと聞きます。結果としてそれはかなり批判されたようですが、僕は立派な姿勢だと思いますよ」
鎌田さんは、最後にこう言った。
「僕は、この甲山事件については原稿にしたことがないんですよ。10年以上前ですが、大阪で開かれた人権問題の集会で、初めて山田さんにお会いしました。その後も何度かお会いしてお話はうかがっています。でも僕は、実はこの事件に関しては何一つマスコミに原稿を発表していないんですよ。
僕が守るのは2つの原則だけです。まず第一は、自分で見たものしか信じないということ、そして、第二はニュースソースには迷惑がかかるものは書かないこと。神戸少年殺人事件については、犯罪事件じゃなくて教育問題だと思ったから書いているんです。
甲山事件についても、僕は捜査資料とかの元資料にあたってもいないし、事件発生当時の現場も踏んでいない。だから、この事件については原稿を書いたことがないんです。
それでも、僕は被告になっている山田さんにお目にかかって、彼女は子どもを殺すような人じゃないと直観できたんです。もちろん、そのあと何冊かの関連書は読んでいます。彼女には何の動機も証拠もないんです。あれだけの犯人視の中で、23年間頑張り抜いたアイデンティティのしっかりした人です。明るくて、視野も広い方で、なによりざっくばらんでお話に嘘があるとは思えなかった。僕は自分で調べて書いたことがある"財田川事件"が冤罪であることに責任を持ったのと同じように、発言こそしていませんが、山田さんの無罪を責任を持って主張しています。
今回、インタビューをお受けしたのも、僕が話すことで少しでも山田さんの力になれればと思ったからなんです。冤罪は即刻正すべきです。今のところ甲山については書くつもりはありませんが」
マスコミが書き手としての鎌田さんの姿勢を見習えば、報道被害は生まれようがない。
'74年3月19日に、兵庫県西宮市の知的障害者施設「甲山学園」(現在は廃園)で行方不明になっていた園児2人が、園内の浄化槽から水死体で発見された。そのうち一人の園児については事故死とされたが、もう一人の園児については、兵庫県警は、保母の山田悦子被告を殺人容疑で逮捕した。山田被告は一時犯行を自供したが、その後、全面否認。神戸地検は'75年9月「証拠不十分」で不起訴とした。山田被告は逮捕による被害の賠償を求めて、国家賠償裁判を提訴。しかし、遺族の申し立てを受けた神戸検察審査会が「不起訴不当」を議決した。神戸地検は「園児から新しい目撃証言を得た」として'78年、山田被告を再逮捕、起訴した。'85年、神戸地裁で無罪。'90年、大阪高裁が一審判決を破棄、差し戻し。'92年、最高裁が山田被告の上告を棄却し'93年2月から差し戻し審が行われている。この7月1日、検察側は山田被告に対して差し戻し前の一審と同じ懲役13年を求刑した。
'92年4月7日、最高裁が山田被告の上告を棄却した報を受けて、SPA!は連載ニュースコラムで甲山事件について論じた。この記事に、数点の事実誤認があったことを甲山事件救援会から指摘された。調査の結果、著者の事実誤認だけでなく、SPA!が参考にした新聞記事にも事実誤認があったことが判明。誤報がさらなる誤報を生んでしまった形となった。事実を誤認してしまったSPA!の記事を読んでのさらなる誤報の発生を防ぐため救援会とSPA!で話し合いを続けた結果、現時点では図書館などに資料として置いてある週刊SPA!当該号に事実誤認があったことを知らしめる告知を行うこと、また、誤った理解を是正するために、甲山事件の記事を新たに掲載することなどを取り決めた。
裁判の争点はだいたい5つに要約できる。@山田被告の「自白」A犯行時間帯のアリバイB死亡した園児と山田被告の服の繊維片相互付着C山田被告が園児を連れ出したとする「園児目撃供述」D死亡園児の胃から見つかったミカンの房と山田被告が買ったミカンの同一性。なかでも重要な争点は「園児供述」と「アリバイ」。事件3年も経って初めて現れた供述を、弁護側は捜査官が誘導して作り上げたものと批判している。また、国家賠償裁判で山田被告のアリバイを証言した荒木園長と同僚の多田さんは偽証罪で逮捕、起訴され、同じ裁判所で審理されている。
写真のように、山田さんたち被告を囲んで話を聞く機会をただ作るだけではなく、神戸の裁判の傍聴、機関誌『しんじつ』の発行など。報道被害に関しては、出版社と交渉を行ってきた。今回の記事掲載に関しては「甲山は23年前の事件です。一つの冤罪事件として、それを忘れ去られぬよう、若い読者に知らせることは意味があると思う。この記事を通じて改めて若い人に理解してもらえれば冤罪をはらすいい機会になるのではと思う」
「山田さんと一緒にいた」と証言したことを、かばっているとか、事実と違うと言われ、偽証の罪に問われています。被告としての20年間は辛い日々でした。でも、事実と違うことは証言できるものではありません。
7月12日に東京・田町で開かれた「山田さん・荒木さんを囲む会」には風邪で欠席。会場には「山田さんにお会いできなくて残念」という支援者がたくさん集まっていた。誰からも好かれる女性だ。
事件発生段階の新聞・テレビ・雑誌による集中豪雨的な犯人視報道。それを鵜呑みにしたまとめ記事やコラムなどの二次報道。この繰り返しで、人は容疑者・被告を犯人と思いこむ。甲山事件で20年以上も続く被告や周辺への嫌がらせは、報道被害の深刻さを如実に示すもの。
甲山救援会から批判されたコラムも、新聞各紙の"飛ばし記事"を、事実であるかのように考えた点が致命傷。コラム筆者も誤報の被害者でありながら、報道被害上塗りの加害者に。それを読んだ人は「犯人の保母がね……」。こうして被害は増幅され、世論となる。
一部雑誌により、神戸の小学生殺人事件容疑者の顔写真掲載。批判は当然だが、多くのメディアの"飛ばし""誤報"こそ不当ではないか。顔写真や実名を載せなければ、いくら人を傷つけてもいいのか。それに気づかないほど感性がマヒしているとしたら怖い。彼らに「問題を顔写真掲載の是非に矮小化せず、自分たちの報道を根本的に見直しなさい」と言いたい。報道の使命に忠実なら、本来「被害」など起こりようがないではないか。
『甲山報道に見る犯人視という凶器』(あさを社刊。元毎日新聞記者の木部氏の著書
僕自身が被告人となった裁判をやったこともあって、大学では文学部だったんですけど、甲山の裁判に支援者として関わるようになりました。そして、支援を続けるうちに、弁護士もいいものだなと思うようになったんです。その頃、他に就職口がなかったこともあって、この世界に入ることになりました。一事件の支援者から弁護士になったのは、僕の知る限りでは、そういないんじゃないかと思います。裁判がかなり長期化しており、その責任が弁護団にあるような言われ方をすることもありますが、そうではないんです。根本的には再逮捕、起訴した検察にあります。甲山事件は、本当は単純な事件で、総論だけで無罪だとわかる事件です。そこに重点をおいて、11月の最終弁論に全力を傾けていくつもりです。
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