N 弁護士からの回答 |
当職は、栗本慎一郎(以下「筆者」という)の代理人として、一九九二年六月二九日付貴救援会の質問状 に対し、次のとおり回答いたします。
一、1アについて、
「殺人」と断定していません。
「警察の判断は、『他殺』となった。」ということを前置きした文脈ので、二人が「殺されて」いるがと記述したものです。わざわざ「」をつけて殺人と断定していないことを表現するよう努めています。
二、1イについて、
ご指摘の通りです。誤解によるものなので是正いたします。
三、1ウについて、
@ 昭和五十三年六月五日(日曜日)付サンケイ新聞朝刊の、「なかでも山田被告が悟君を連れだし、浄化槽付近に行くまでの行動を見たとする園児の新証言」、「山田被告が悟君を連れ出すのを目撃した園児、浄化槽付近で悟君を抱きかかえていた山田被告を見掛けた園児など。証言能力も高い」との記事。
A 昭和五十三年六月五日(月曜日)付サンケイ新聞夕刊の、「検察側が起訴状の釈明で、『悟ちゃんを抱きかかえ、マンホールのフタを開け、足から投入し、マンホールのフタを閉めた』と具体的な犯行の方法を述べた際も、」との記事。
B 昭和五十三年三月九日付毎日新聞夕刊の、「この結果、新証言が得られたもので、これによって従来からの証言を総合すると、@事件当夜八時前、山田が青葉寮の女子棟の部屋で遊んでいた悟君を呼びに来た。A山田が悟君を部屋から連れ出した。B二人は青葉寮の非常口へ立って歩いていた。C浄化槽付近に二人がいた。D同八時三分頃、同学園は悟君がいなくなったと大騒ぎになった。E同十時、悟君の死体がマンホールから発見された。―という一連の経過がつながり、」との記事。
C 昭和五十五年二月五日付読売新聞の「兵庫県西宮市の福祉施設『甲山学園』園児殺害事件の第二回非公開証人調べが四日、神戸地裁尼崎支部会議室で、元園児二人に対して行われた。うち一人は、藤原悟君(当時十二歳)を殺害したとして殺人罪に問われた同園保母山田(旧姓沢崎)悦子(二十八)の行動について、『沢崎先生(山田被告)はいやがる悟君を同園青葉寮女子棟の非常口から屋外に引きずり出した』と検察側の主張を裏付ける詳しい証言をした。これに対し、弁護側は、『体験ではなく、後日教え込まれた疑いが強い』と反発している。この証言をしたのは、悟君と同じ青葉寮にいたA君(十八)。検察、弁護側双方の話を総合すると、A君は『女子棟保母室にいると、沢崎先生が悟君の背中を両手で押すようにして廊下を非常口に向かって歩いて行くのが見えた。すぐに女子棟便所に行き、かがみ込んで廊下を見ていると、悟君は非常口付近に座り込み、沢崎先生は両手を悟君のわきの下に差し込んで立たせようとした。悟君は、手で石を投げるような格好をし『アンアン』と声を出し、居間にあるDルームの方へ四つんばいではって行こうとした。沢崎先生は追いかけ、悟君の両方の
足首を両手でつかんで引き戻した。この後先生は片手を放して非常口のとびらを開けようとりた際、悟君は片足で沢崎先生の顔をけった。沢崎先生はドアを開け、悟君を屋外に引き出した。すぐ非常口の所へ行き、ドアの横の窓から外を見たが、暗くて何も見えなかった』などと証言した。」との記事などに基づくものです。
四、1エについて、
@ 昭和五十三年六月五日サンケイ新聞朝刊の、「弁護側は・・・・・園児らはいずれも知能が低く、証言能力が劣っていると反論している。」 表の中の弁護側の主張として記載された「園児はいずれも証言能力が劣っ ている。」とする記事。
A 昭和五十三年六月五日付サンケイ新聞夕刊の、「弁護側は、証言能力は低く誘導した疑いがある。」との記事。
B 昭和六〇年一〇月一七日付毎日新聞夕刊の表の中の弁護側の主張として記載された。「園児は誘導や暗示を受けやすく体験事実と他人からの情報を混同しやすい。」との記事。
C『創』一九八〇年一〇月号「甲山事件の暗い霧」の二〇九頁に記載されている、 「弁護側ははっきりこう指摘した、『捜査官は証人五人(元園児)の精神遅滞という状況に乗じて、"供述"を誘導したものと考えざるを得ない。』」との文章。(右、『創』論文の筆者は、「この精神薄弱者(児)の証言にどれだけ信用と任意性があるのだろうか」と書いている。)
五、2アについて、
@ 昭和五三年一〇月三日(火曜日)付読売新聞の、 「悟君殺人の状況などの部分では、山田、多田両被告が顔を見合わせてにっこり。
一五人の弁護団も腕を組んだり、顔に手をあてて聞き入っていたが、具体的な殺害方法などでは失笑する弁護士もいて、遺族側とは全く違った対応を見せた。」との記事。
「記者団から『冒頭陳述の時、笑ったように見えましたが・・・・』と聞かれると、山田被告は『内容があまりにもハレンチだったので、噴き出さずにはおられませんでした。』といい」との記事。
A 昭和五三年一〇月三日(火曜日)付神戸新聞の、「冒頭陳述を聞きながら思わず噴き出しそうになったともいう。」の記事に基づくものです。
六、2イについて、
『週間新潮』一九八五年一〇月三一日号三二頁の、「これは、殺された悟君の母親藤原愛子さん(五〇)の話だ。彼女は、山田元保母を今も『沢崎』という旧姓で呼ぶ。『沢崎が最初に逮捕されて間もない頃でした。私、学園の父母集会に行ったんです。それは沢崎連行の際、学園側が警察に抵抗したことに対する抗議のためだったんですが、その時、園児の一人が私の所へ来て、"オバちゃん、悟君は殺されたんや"と言うんです。誰が殺したのと私が聞くと、"そんなこと言ったら僕も殺される"って言うんです。このことはもちろん警察にも伝えましたし、園児も証言してい ますよ。そやけど、これも裁判で取り上げて貰えなかったわけですよ。』という記事に基づくものです。
質問状では、不確かな事柄を根拠に「被告が真犯人」との重大な推測が許されるのですか?との質問をされています。筆者は、甲山事件についての「脱帽的ニュース新論」で、報道についての見解・意見を記述しているのであって、「被告が真犯人」であると推測しているのではありません。この被告が本当に冤罪だったら問題だとも書いていますし、もし逆に真犯人だったら・・・なるからである。」と書いており、ともに仮定の書き方をしていることからしても、この点はご理解下さい。
七、3について、
前記したとおりです。
八、4について、
@ 「フタは重くて子どもが持ち上げれるようなものではない」については、昭和六〇年一〇月一九日(土曜日)付毎日新聞社説の「しかし、二人の園児が浄化槽内で死んだ際、誰かが重さ一七キロもあるフタを閉めたことは、大人の手による仕業と推定される。」に基づくものです。
A 「報道はごく一般的にいって最初権力による冤罪というトーンであった」については、昭和四九年四月二九日(月曜日)読売新聞などの記事に基づくものである。
B 「園児がおそらく内部(?)のものによって殺されたものだ。」については、昭和五五年八月二七日付読売新聞記事の「その犯行は、当時学園内にいた部内者によって行われたとの疑いが強い」に基づくものです。
C 「慎重な配慮が必要」であるという点はご指摘のとおりで、そのようにいたしております。
九、5について、
筆者は、本コラムの執筆に当たっては、裁判に無用な影響を与えないように、また、被告人の名誉が侵害されないよう、「」や()をつけるなどして断定を避けるなど慎重な配慮をするよう努めました。
本コラムは、報道の批評として書きましたので、いずれ機会がありましたら事件それ自体の裁判記録を読んで、事件それ自体に触れる論述を書きたいと思います。誤解や不十分な認識については、その時点で正して行く所存です。ご了解下さい。
栗本 慎一郎 代理人
弁護士 N
|
|