甲山のとなりに


いま、闘われている冤罪事件

 甲山裁判は幸いに、無罪で幕を閉じました。その幸運のひとつは優秀な弁護団の熱意とともに、事件当初から多くの人の支援活動があったことです。その支援の力が,冤罪を押しとどめたと確信しています。ところが「甲山」の隣に、幾つもの「甲山」があります。人権を破壊され、真実が歪められる悲鳴が、この国のいたるところから聞こえてきます。
 私たちの人権というのは、同じ時代を生きるすべての人権であることを冤罪裁判の中から学びました。甲山を勝利した市民の力−その知恵や経験や勇気を社会的遺産として継承していくことが、冤罪を二度と起こさせない「甲山の未来形」ではないでしょうか。
 以下のご案内は、現に今も闘われている冤罪事件関連の紹介です。刑事裁判の段階だけではなく、有罪が確定してしまった再審請求事件など多種多様。また「甲山」の発端と同じく、冤罪を晴らすための国賠裁判や、刑事手続きの違法などについて審判を求める付審判請求事件などもあります。少しでも関心のある近くの「甲山」へ、あなたのご支援をお願いします。
 私たちの力不足もあって、この紹介は氷山の一角、連絡と了解の取れたほんの一端でしかありません。今後、拡充していく予定ですので、ご連絡・ご紹介をお願いします。
 なお、頂いた原稿をほぼそのままに、あいうえお順に掲載しました。


刑事審進行中 --------------------

■足利事件
 1990年5月、四歳の少女が行方不明となり、翌日渡良瀬川河川敷で遺体が発見された。翌年12月、もと幼稚園バス運転手の菅家さんが足利署に連行され自白。この自白と、被害者の下着に付着していた精液のDNAが菅家さんの型と一致するとして起訴される。拘置所移管後、菅家さんは無実を訴え続けてきた。
 公判では自白の信用性と、DNA鑑定をめぐって争われたが、93年宇都宮地裁で無期懲役、97年東京高裁で控訴棄却、その後上告。DNAが一致しない可能性があるという新鑑定を提出した。
 2000年7月17日、最高裁は上告棄却を決定。菅家さんの無期懲役刑が確定。現在、日弁連人権擁護委員会に救済申立をしており、再審弁護団の結成と、再審請求への準備が始まっている。
【連絡先】無実の菅家利和さんを守る会/栃木県足利市福町185 本沢仁三郎方/Tel:0284-21-5047
     菅家さんを支える会・栃木/〒326-0843栃木県足利市五部町785-7 代表:西巻糸子/Tel/Fax:0284-21-6988

 
■笠井事件
 1998年6月、当時タクシー乗務員の笠井さんが、突然警察から任意同行を求められた。その理由は、三ヶ月前東京都世田谷区経堂で、自転車に乗った人にタクシーをぶつけて倒し、車から降りて暴行を加え、全治一週間の顔面打撲擦過傷を負わせたというものでした。
 笠井さんは全く身に覚えがなく、想い出したのは同所で、道の真ん中の酔っ払いにクラクションを鳴らしたところ口論となり、そのうち縺れ合い二人とも倒れたという事でした。
 被害者の証言は、タクシー会社名も違い、この日に事件があったのかもタコメータからみて疑わしいが、警察は被害者の証言を一方的にきき、地裁は被害者の証言は信用できないとしながらも懲役六月執行猶予三年、高裁はたった二回の公判で有罪となった。警察、検察、裁判官にタクシー運転手に対する職業的偏見が感じられる。現在、最高裁で審理中。
【連絡先】笠井裁判を支援する会/東京都杉並区久我山5-5-16 東都自動車労働組合内

 
■少年冤罪・草加事件
 1985年7月、埼玉県草加市内の残土置場で、女子中学生の遺体が発見され、その少女を乱暴、殺害したとして、当時13〜15歳の六人の少年が、警察の取り調べで自白させられ少年審判で有罪とされました。
 しかし、その自白は変転し、強姦した跡もなく、被害者にAB型の唾液が付着していたが少年たちにAB型は一人もいないなど、物証と少年たちを結びつけるものは何もありません。
 ところが、再審規定のない少年法において、処分取り消しの求めに対し、最高裁は「処分の執行が終了している」と門前払いしました。その後、遺族の両親が起こした損害賠償の民事訴訟で、浦和地裁は少年たちの無実を認めましたが、東京高裁は賠償を命じる判決を下し、今年2月、最高裁は高裁判決の誤りを認め、破棄差し戻しの判決を下し、今後再び高裁で争われる事となります。
【連絡先】少年えん罪草加事件の少年たちを支援する会/URL http://www.alles.or.jp/-souka

 
■鶴見事件
 1988年6月、横浜市鶴見区で不動産・金融業社長夫婦が殺された強盗殺人事件。
 当日、高橋和利さんが約束より30分遅れて事務所を訪れたところ、すでに二人は殺されていた。札束が入ったビニール袋を見つけ、それを持ち帰ってしまう。10日後、高橋さんは逮捕される。
 金を盗った弱みと、厳しい取り調べでウソの「自白」をさせられる。公判で否認。自白した凶器は鑑定で否定され、また殺害順序も自白とは逆であり、検察の描いた証拠構造は完全に崩壊した。
 にもかかわらず横浜地裁は、95年、状況証拠だけで死刑判決。東京高裁に控訴するも、検察の答弁書提出が大幅に遅れ、99年になってやっと審理が始まり、現在も審理中。
【連絡先】「死刑」から高橋和利さんを取り戻す会/協力会費2000円/年/東京都新宿区西早稲田2-3-18 〒169-0051  日本基督教団社会委員会気付/Tel:03-3202-0544 Fax:03-3207-3918/ URL http://www.bekkoame.ne.jp/ro/gh10639

 
■広島港フェリー甲板長事件
 1994年1月、広島港の一万トンバースで瀬戸内汽船のフェリー甲板長の溺死体が発見された。この甲板長の口座から二回にわたり預金を引き出した二間さんが、強盗殺人の容疑で逮捕された。
 甲板長は前年11月から二間さん宅に居候しており、12月末から行方不明になっていた。この預金引出しは、以前からの貸し金と居候代としてのもので、生前の甲板長の態度から、事後承諾が得られるものとして行ったもので、金額もそれに見合うものであった。警察の取調べで二間さんは自白させられるが、客観的事実と合わないところも多い。警察への自白と検事への否認が並存しており、一審判決では自白の信用性を否定し、無罪となった。現在、検察官控訴により広島高裁で審理中。
【連絡先】広島市中区上幟町1-3/国民救援会広島県本部内/Tel:082-221-3678

 
■安田弁護士事件
 顧問会社に資産隠し(総額二億円余)を指示したとする強制執行妨害罪の容疑で、1998年12月に安田弁護士が逮捕された事件。安田弁護士は、不採算部門を切り離し分社化して再出発するように法的助言をしただけと、容疑を全面的に否定している。
 99年3月から始まった裁判では、警察・検察の杜撰な「でっち上げ」捜査が明らかになった。即ち、分社化の事実を切り捨て、安田弁護士関与による証拠隠滅を印象付けようとして担当検事が調書を捏造したこと、経理担当者らが公訴事実の金額を上回る二億一千万円を横領した事実が捜査中に発覚したが、これを見逃した上で安田弁護士を有罪にしようとしたこと、などが明らかになった。
 裁判は現在も続いている。死刑廃止運動のリーダーであり、オウム弁護団の主任弁護人でもある安田さんの活動を封じ込めようとした司法弾圧を私たちは見過ごすわけにはいかない。
【連絡先】安田さんを支援する会/東京都港区赤坂2-14-13シャトレ赤坂5階 港合同法律事務所気付/Tel:044-865-1851 Fax:044-865-1445

 
■連続幼女誘拐殺人事件
 1997年四月14日、連続幼女誘拐殺人事件で死刑判決を受けた宮崎勤さんは弁護人に一言の挨拶をすることもなく、孤独に法廷を去っていった。その3年近く後、99年12月21日、東京高裁で控訴審が始まる。法廷における態度は、相変わらず、うとうと居眠りをするか、絵を書いているかという場面もあるが、一審法廷と明瞭に異なる点がある。
 二審弁護人の懇切な本人尋問に、一審の弁護人の場合とは全く異なり、10年前、逮捕された当時の記憶をふりかえり、前向きに答えようとしている必死の姿である。本来なら一審弁護人が、当然にも尋問していなければならなかった重要事項が全く尋問されていなかった事実にこそ、この事件の真相を解くカギがあるからである。逮捕された後、両親のつけてくれた弁護士に裏切られ、その両親にも裏ぎられたばかりではない(父親は自殺している)。国選の一審弁護人までが、頭から犯人と決めつけている状況に、完全な人間不信に陥らざるを得なかった本人として、一審死刑判決までの法廷態度は、苦しい拘禁症のもとで、本人の取り得る唯一の抵抗の姿勢であったのだ。いま、真相が徐々にではあるが、彼の口から語られて行く限り、事件の全貌が明らかになる可能性は十分にあるのだ。
 彼が、かなり重いと思われる拘禁症に耐え、真相を自分の口から明瞭に述べようとしている控訴審を、二審弁護人各位の努力に期待しつつ、見守って行きたい。
【連絡先】宮崎事件を考える会/東京都練馬区大泉 5-27-22木下信男方 〒178-0065/Tel/Fax 03-3924-4322

 
■「ロス疑惑」三浦和義さん事件
 1998年7月にみごとな逆転無罪を勝ちとって13年に及ぶ獄中生活から解放された三浦和義さんは、その四か月後に別件の有罪確定で再び収監されてしまった。
 その別件は、“殴打事件”と呼ばれているが、実は「転倒事件」と呼ぶべきもので、これまた冤罪である。元女優の供述が、ハンマー様の物で殴打したとなって、殺人未遂がでっち上げられたのである。その元女優は最初に産経新聞記者に“告白”をとられ、警察に上申書をとられ、逮捕後調書をとられ、その後複数回の法廷証言があり、重要な部分で供述を変転させている。私たちに言わせれば、この人もまた報道被害者である。三浦さんは2001年1月、再び解放されて社会復帰を果たした。
 本件・銃撃事件は、検察官の「氏名不詳の者との共謀」という卑劣な訴因によって上告された。まさか再逆転はないと思うが、最近の裁判状況では油断できない。2002年3月末現在、最高裁の結果はいまだ出ていない。
【連絡先】人権と報道・連絡会/山際 東京都杉並南郵便局私書箱23号

 
■広島大手町事件
 '86年5月、広島市内のマンションで、そこに住む女性の絞殺死体が発見され、被害者の知人の崎田さんが殺害し、キャッシュカードなどを盗んだ犯人とされました。
 崎田さんは、一貫して無実を主張し、犯行時間帯には、検察・裁判所も認めるアリバイがあるにも関わらず、広島地裁は、警察による捏造の可能性のある、被害者宅の鍵が崎田さんの知り合いの女性宅から「発見」されたという事を唯一の証拠として、犯行時間に幅を持たせた上で、無期懲役の判決を下しました。
 高裁では、真犯人のものと思われる現場から発見された手形について争われました。警察の鑑定で被害者のものとされていましたが、新鑑定で「被害者のものではない可能性が高い」という結果がでました。しかし、2000年2月、広島高裁は自ら採用した新鑑定を退け控訴棄却の判決を下し、現在は最高裁で争っています。
【連絡先】 崎田烈さんの公正な裁判を求める会/広島市中区上幟町1-3 日本国民救援会広島本部内

 
■恵庭OL殺人事件
 平成12年3月16日、北海道恵庭市の農道で、運送会社勤務の女性が殺害、焼損され、遺体で発見されました。その2ヵ月後、同僚の女性が逮捕、起訴されましたが、彼女は一貫して犯行を否認し、無実を主張しています。
 ところが、平成15年3月26日、1審判決に於いて、不当にも懲役16年の有罪判決が言い渡されました。弁護団は即日控訴し、高裁での無罪を勝ち取るべく弁護活動を続けています。
 支援する会は会の名称を改め、引き続き支援活動を行います。みなさまのご支援よろしくお願い致します。
【連絡先】恵庭冤罪事件被害者支援会/北海道勇払郡早来町大町16/URL http://www4.ocn.ne.jp/~sien/

 
■東住吉冤罪事件
---上告趣意書が提出され、上告審に突入しました。---

 1995年7月、大阪市東住吉区で火災が発生、当時小学校6年生の長女が逃げ遅れて死亡しました。両親である青木惠子さんと朴龍晧さんは、子供にかけた生命保険 金目当てに共謀して、自宅に放火し子供を殺害したとして逮捕、起訴されました。
 しかし、この事件は取調室と言う「密室」において、狡猾で違法の限りを尽くした取り調べで得られた「自白」によって作り上げられた犯罪であり、大阪地方裁判所に おいて、客観的証拠に基づいて審理がなされていれば、無期懲役ではなく「無罪判決」が言い渡されたはずの事件です。
 青木さんの高裁での公判は2000年10月10日に始まり、本年4月25日で13回を、朴さんは2000年7月19日から5月15日で17回を数えるまでになりました。これまでの証拠調べによって、火災現場で実際に生じた火災状況と朴さんが『自白』したとされる放火行為を再現して生じさせた火災再現実験の火災状況とに著しい食い違いがあることが明らかにされてきました。特に、初期火災状況において、炎が燃えていた場所、燃え方、炎の燃え広がり方、黒煙の出現の有無・程度などがまったく異なっていることが、次々に明らかになってきたのです・・・。
 誰もが冤罪事件の被害者になりうる日本の警察・司法。この事件を見過ごしてしまうのではなく、支援の輪に加わってください!また、「東住吉冤罪事件」を支援する 会では、公正判決を求める要請署名を実施していますので、ご協力をよろしくお願い します。
【連絡先】「東住吉冤罪事件」を支援する会/〒530-0047 大阪市北区天神橋1-13-15 大阪グリーン会館  日本国民救援会大阪府本部気付 /Tel:06-6354-7215、Fax:06-6354-7212、
Eメール:higashi-sumiyoshi-enzai-jiken@yahoogroups.jp /URL http://www.jca.apc.org/~hs_enzai/

 
■ゴビンダさん冤罪事件
 1997年3月、東京都渋谷区で一人の日本人女性が殺される事件が発生しました。
 間もなく、近くに住んでいたネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリさんが逮捕されました。一審無罪、それにも関わらず勾留が続き、新しい証拠調べもないままに2000年12月高裁での逆転有罪・・・と異様な経過をたどる事となりました。
 彼は一貫して無実を訴え続けています。犯罪者扱いされやすく、言葉の問題などで不利な状況におかれている外国人であること、出されている証拠、裁判の経過から考えて、私たちはえん罪事件と判断しています。
【連絡先】無実のゴビンダさんを支える会 /〒160-0016 東京都新宿区信濃町20 佐藤ビル201 現代人文社気付/留守電・FAX:0426-37-8566
Eメール:oryzias@anet.ne.jp /URL hhttp://www.jca.ax.apc.org/~grillo/index.html


再審進行中 --------------------

■川嶋事件
 1981年11月、千葉県市原市の麦畑で散弾銃による男性の射殺体が発見された。翌年5月、被害者から店舗を借りてスナックを経営し、猟銃を所持していた川嶋さんが逮捕され、代用監獄において長時間で暴力的な取り調べが行わた結果、自白調書に署名をさせられた。しかし、死体発見現場の状況や銃創形成及び現場遺留の3個の空薬きょうの撃針痕が川嶋さんの銃のものと違うなど、川嶋さんの「自白」との矛盾も多く、川嶋さんも「自白」後すぐに無実を主張したが、一、二審で懲役16年の有罪判決、94年の上告棄却で確定した。
 弁護団は、確定判決の有罪根拠となった撃針加工について、その痕跡が川嶋銃にはないことを明らかにした新鑑定など6つの新証拠をもとに96年に再審を請求するが、2000年1月千葉地裁で棄却、即時抗告して現在は東京高裁に係属。
 川嶋さんは同年3月、刑期よりも長い18年近くたってようやく仮釈放になり、2001年9月に刑期を「満了」した今も、運送業務につき生活の確立に努めながら東京高裁要請や支援者との現地調査などを通じて無実を訴え続けている。
【連絡先】 えん罪川嶋事件の再審を求める会/〒260-0854 千葉市中央区長洲1-10-8自治体福祉センター 房総合同法律事務所気付/Tel:043-225-1461/Fax:043-225-9488 /e-mail:fwkp1872@mb.infoweb.ne.jp

 
■狭山事件
 狭山事件は、1963年に埼玉県狭山市でおきた女子高校生殺害事件で、被差別部落出身の石川一雄さん(当時24歳)が犯人に、でっちあげられたえん罪事件。
 一審死刑、二審で無期懲役判決が出され、77年上告棄却により確定。現在、第二次再審請求中。99年7月、東京高裁は、13年もの歳月を費やしながら、一度も証人尋問も現場検証もせず再審請求を棄却し、現在、東京高裁に異議申立中。石川さんは獄中32年の後、94年12月に仮出獄し、無実を叫びつづけている。
【連絡先】狭山事件再審弁護団事務局/Tel:03-3586‐5064
     部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部/Tel:03‐3586‐7007/email:honbu@bll.gr.jp
     狭山事件の再審を求める市民集会実行委員会

 
■渋谷事件
 1971年11月、沖縄返還協定に反対する示威行動の中、東京渋谷で機動隊員が火炎瓶で死亡した事件。
 殺害容疑で逮捕された数人のうちの一人、星野文昭さんは現場付近のデモ隊のリーダー。何ら実行行為をしていないにもかかわらず、機動隊員に対する殴打、火炎瓶投擲の指示をしたとして、東京高裁で無期懲役の判決。上告も棄却され、現在徳島刑務所に在監。
 星野さんは当初から否認し、証拠といえるものはデモ参加の学生など「共犯者」六人の、警察・検察での供述のみ。うち五人は公判廷で自分のウソの供述を撤回、残る一人も証言拒否をしたが、無期が確定。
 96年、東京高裁へ再審請求。2000年2月請求棄却。現在、異議申し立てを行い、異議審を闘っている。
【連絡先】星野さんを取り戻そう!全国再審連絡会議 /東京都港区新橋2-8-16 石田ビル4F /Tel/Fax: 03-3591-8224 /URL http://www3.cnet-ta.ne.jp/f/fhoshino/(北海道から沖縄まで全国19カ所に救援会あり )

 
■帝銀事件
 1948年1月26日、一人の男が帝国銀行椎名町支店に現れ、「近くに集団赤痢が発生したため、この予防薬を飲んで下さい。進駐軍の命令です」といって、16人の行員を集め、第一薬を飲ませ、1分おいて第二薬を飲ませた。うち12人が死亡するという大量殺人事件。
 捜査本部は犯人が毒物の効果と時期や量について深い知識と経験を持っていることに注目し、戦時中中国で、青酸毒物の人体実験を行っていた七三一部隊等旧陸軍関係者の犯行と断定し、捜査をすすめた。ところが捜査は一転して、48年8月、毒物に知識も経験もない、テンペラ画家の平沢貞通さんを逮捕。平沢さんは34日間否認を続けたが、自殺未遂三度の末、ついに自供。
 第一回公判の冒頭で、その自供を翻し、すべての犯行を否認、無実を訴えた。しかし、一審二審とも死刑。上告は棄却され、55年5月、死刑が確定した。平沢さんは再審を訴え続けたが、87年5月10日、獄死した。享年95歳。
 現在、死後の再審請求が東京高裁で審理中。
【連絡先】平沢貞通氏を救う会 /東京都杉並区阿佐谷南3-34-7/Tel/Fax:03-3391-7925

 
■日産サニー事件
 1967年10月福島県いわき市内の日産サニー営業所で、宿直員が殺され現金が奪われ、翌年4月斉藤さんが窃盗容疑で別件逮捕され、本件強盗殺人を自白させられた。斉藤さんには明白なアリバイがあり、凶器とされるナイフ、ドライバーには血液反応もなかったが、69年一審で無期懲役、70年控訴棄却、71年上告棄却で確定。
 88年の仮釈放後、「凶器とされる果物ナイフとドライバーではできない傷がある」とする船尾鑑定を新証拠として再審請求。福島地裁いわき支部は、これまでの誤判救済から教訓化されてきている自白評価の方法を踏まえ、斉藤さんの自白を再吟味し、船尾鑑定と合わせて92年再審開始を決定した。
 しかし検察の即時抗告により、高裁は95年再審決定を取り消し、斉藤さんの特別抗告による最高裁は99年棄却決定を行った。
 現在新たな再審請求に向けて準備中。
【連絡先】日産サニー事件・斉藤嘉照さんを守る会 /Tel:0246-25-2285 渡辺法律事務所内

 
■野田事件
 1979年9月、千葉県野田市で幼女殺人事件が発生。遺体の発見状況から、警察は「変質者よる犯行」と断定し、現場近くに住む青山正さんという知的障害の男性に目をつけ、逮捕した。取調べで嘘の「自白」を強要され、「障害者ならやりかねない」という予断と偏見の中で、一・二審とも懲役12年の 有罪判決。
 92年、最高裁での審理中、最大の物証とされた「カバンのネーム片」が、警察にねつ造されていた事が明らかになったが、93年12月上告棄却決定。
 94年8月に満期出所した青山さんは、その後大阪に転居し、知的障害者の授産施設に通っている。弁護団と救援会は青山さんとともに、再審請求に向けた新証拠の発見、旧証拠の再鑑定などを進めている。
【連絡先】青山正さん救援会/東京都港区新橋2-8-16 石田ビル4F/TEL:03-3591-1301/FAX:03-3591-3583/email: CZX00547@nifty.ne.jp /URL http://club.pep.ne.jp/~h.atuta/aoyama.htm
    青山正さんを救援する関西市民の会/大阪市東淀川区東中島4-1-15 障害者問題資料センターりぼん社気付/TEL:06-6323-5523/FAX:06-6323-4456/email: walker@yo.rim.or.jp /URL http://www.yo.rim.or.jp/~walker/

 
■袴田事件
「無実の死刑囚・袴田巌さんの再審・無罪を早期に勝ち取ろう!」のスローガンの下、確定死刑囚・袴田巌さんの再審請求を支援する目的で、1994年に静岡地裁が再審請求を棄却した時期に、主として袴田事件・他の情報を提供する活動を開始して今日に至る。
 月一回の割合で発行し、この4月の発行で第71回目となる。毎月第二水曜日の夜7時からJR神田駅構内の喫茶店「エリゼ」で定例会を開催している。多くの皆さんの参加を歓迎します。本会世話人の多くが個人の責任で「袴田ネット」の賛同人となり、連携した活動を行っている。
【連絡先】袴田事件の報道を収集し配布する会 /東京都品川区南大井5-11-5-706 平野方 /Tel/Fax:03-3766-3072

 
■晴山事件
 1972年5月北海道空知郡で、8月には樺戸郡で、いずれも19才の女性への婦女暴行殺害事件が起きた。捜査は難航。74年5月、空知郡で起きた強姦致傷事件で、車の色や型が似ているとして晴山広元さん(当時40才)が逮捕、二年前の事件も「自白」。強姦致傷・殺人で起訴。
 一審の第四回公判以降否認に転じたが、一審判決は「殺意」は認定せず無期懲役(1976)。二審は未必の故意の殺意を認定して死刑判決(1979)。最高裁も上告棄却(1990)。
 92年札幌高裁へ再審請求。血液型、現場遺留の新聞紙、布きれなどの物証もあるが、最大の争点は「自白」である。DNA鑑定の結果も出て、裁判所の決定が注目されていた。
 が、2001年2月16日、札幌高裁は再審請求を棄却。現場に残された4種類の血液型=複数犯行説、という弁護団が提出した新証拠には何ら答えてはいない不当な決定である。晴山さん、弁護団は同じ高裁に異議を申し立て、異議審を闘っている。
【連絡先】晴山さん救援会 /札幌市山鼻郵便局私書箱28号/救援ニュースを発行、購読料年1000円

 
■布川事件
 1967年8月、茨城県利根町布川で独り暮らしの老人が殺されているのが発見され、同年10月、当時の不良青年の中から桜井さんが窃盗容疑、杉山さんが暴行容疑で別件逮捕され、二人とも代用監獄の下で本件強盗殺人を自白させられる。
 その後検事の取調べに対し無実を訴え、窃盗、暴行で各々起訴されたが、強盗殺人は起訴されなかったところ、担当検事が交代して二人は代用監獄に逆送、ふたたび自白に追い込まれ、同年12月強盗殺人で起訴される。
 第一回公判で犯行を否認した後、突如として事件当夜被害者宅前で二人を見たという目撃者が現れた。その内容の変転や情況から、常識的にみて信用できるものではない。裁判官は有力な情況証拠とし、直接犯行と結びつく物証がなにもないにも関わらず、78年最高裁で無期懲役が確定。96年仮出獄がやっと認められ、現在第二次再審請求を準備中。
【連絡先】布川事件桜井さん、杉山さんを守る会/東京都港区新橋6-19-23平労会館5F/Tel:03-3431-3562

 
■福井女子中学生殺人事件
 1986年3月、福井市営住宅で少女が殺害され現場の状況から顔見知りの犯行として捜査が開始される。中学生時代の上級生で暴力団員の証言により、前川さんが逮捕される。前川さんは一貫して否認したが、先の証言と被害者宅から発見された髪の毛を証拠に起訴された。しかし公判において、暴力団員の証言もくずれ、前川さんのものであるという髪の毛も新鑑定により否定され、90年福井地裁は無罪と判決した。
 ところが検察官上訴により、高裁はくずれたはずの証言を認め、懲役7年の逆転判決となり、97年上告棄却、異議申し立ても棄却され刑が確定。現在再審請求を準備中。
【連絡先】日本国民救援会福井県本部/福井市若杉1-1204 /Tel:0776-36-7259

 
■三崎事件
 荒井政男さんは1971年12月、神奈川県三浦市三崎で起きた一家三人殺害事件の「犯人」として逮捕されました。裁判所は、荒井さんの無実の訴えを無視し、強制による「自」、目撃証言などを根拠として死刑判決を下しました。1990年10月に上告棄却となり死刑が確定し、現在東京拘置所に収容されています。
 荒井さんは、その事件の犯人では決してありません。偶然現場の近くに車を駐車させて中で眠っていた荒井さんが事件に気付き、立ち去ったに過ぎません。
 目撃者証言は、現場から立ち去ったもう一人の男(真犯人)と荒井さんを混同したものです。荒井さんを犯人とする物的証拠は何もありません。だいいち、荒井さんは過去の交通事故により足に重い障害を負っており、三人もの人を殺したり、家の中を走り廻ったり、2階に駆け上がったりすることが出来ません。
 また犯人が現場に残した足跡(25.5 or 26cm)が荒井さんの履いていた靴(27cm)と一致しません。さらに凶器とされた刃物が特定されていません。犯人であれば当然浴びたはずの大量の返り血が荒井さんの衣服や車に全くありませんでした。荒井さんがとられた「自白」と客観的な事実のあいだに多くの矛眉があります。
 荒井さんは、1991年1月に横浜地裁横須賀支部に再審の申立てをしました。裁判所は、一日も早く再審の開始を決定すべきです。
【連絡先】荒井政男さん救援会/ 東京都千代田区神田錦町1-1-6錦町ビル3F 大手町共同法律事務所 伊藤まゆ気付/Tel:03-3291-0806

 
■横浜事件
 戦時下1942年から45年にかけて、侵略戦争を批判する多数知識人が治安維持法の名により横浜の特高警察官に激しい弾圧を受ける。拷問による獄死者四人を数え、辛うじて生き残った者も捏造された証拠で有罪の判決を受けた。戦後、その冤罪であることが判明したにも拘わらず、政府は責任を一切とろうとはしなかった。
 86年、被害者またはその遺族九名は、裁判のやり直しを求めて第一次の再審請求闘争を起こすが、裁判所は敗戦による混乱のため裁判記録が紛失したとの理由で、無法にも再審請求を棄却する。94年、被害者一人の家族は第二次再審請求の闘いを起こすが、一審、二審で、やはり請求は棄却されている。
 98年、被害者またはその家族八人は。第三次再審請求を提起し今日に至っている。八人のうち実際に拷問を受けた生存者は三人であったが、その二人も、老齢のため相次いで物故し、現在拷問を受けた生存者はただ一人である。その一人、坂井庄作さん(事件当時、電気庁勤務)は言う。私は単なる名誉回復などを求めるものではない。命あるかぎり、政府の犯罪行為を何処までも糾弾するものである、と。
 戦後民主主義が大きく反動の方向に転回しつつある現在、横浜事件再審裁判の闘いは、再び戦禍をこの国に起こさせないためにも、不可欠の闘争になりつつある。
【連絡先】横浜事件の再審を実現しよう! 全国ネットワーク/東京都杉並区阿佐谷北5-27-11 〒166-0001/ Tel: 03-3330-8270 Fax: 03-5364-7504

 
■名張毒ぶどう酒事件
 1961年3月28日、三重県名張市葛尾所在の葛尾公民館で生活改善クラブ「三 奈の会」(三重県側18戸、奈良県側7戸の計25戸で構成)の懇親会に出されたぶどう酒を飲んだ女性のうち5名が死亡し、12名が重軽傷を負うという事件が発生した。警察の捜査の結果、飲み残しぶどう酒、被害者の吐しゃ物などに有機リン系農薬(テップ剤系)が混入されていたことから死因はテップ中毒であることが判明。重要参考人として警察の取り調べを受けた奥西さんは昼夜分かたない厳しい監視のもとにおかれ、自白に追い込まれた。起訴後一貫して無実を訴え、第6次再審請求審に及んだが、本年4月8日付で最高裁は特別抗告を棄却。4月10日名高裁刑事第1部に第7次請求。
 日弁連名張弁護団は、第7次審において、最高裁(第5次審)が王冠(外蓋)の2度開けはないという新判断に対し、封緘紙を破らずとも2度開けは可能という新証拠を提出している。
【連絡先】えん罪名張毒ぶどう酒事件の再審を勝ち取り奥西勝さんを死刑台から取り戻す全国 ネットワーク/ 三重県津市丸之内33−26 城北ビル2F/Tel: 059-226-0451


その他 --------------------

■国賠ネットワーク
 やられたらやり返す、泣き寝入りしない、というスタンスで公務員の「故意又は過失」による公権力の横暴はゆるさないという裁判を闘うネッワークです。冤罪の被告とされた者が国や警官、検察官、裁判官の責任を明らかにし、補償を求める国賠裁判があります。なかなか勝てませんが(勝ちませんが)、敗訴を教訓にして、勝訴をバネにして、冤罪デッチアゲの攻撃をさせない、許さないというモットーです。
 一一年めですが、再審、証拠の全面開示等がんばっていこうとおもっています。
【連絡先】国賠ネットワーク/横浜市磯子区洋光台4-26-18 土屋方/Tel:045-831- 4993 /URL http://www.jca.apc.org/kokubai


 
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