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平成七年(ネ)第三四九五号、同第三五一七号、同第三五四四号各損害賠償等請求擦訴事件
(原審・大阪地方裁判所昭和六一年(ワ)第一五四二号)
判 決
【控訴人清水 住所 略】
平成七年(ネ)第三四九五号事件控訴人(以下「控訴人」という。)
清水一行こと
清 水 和 幸
右訴訟代理人弁護士 森 田 弘 [注 判決文末尾 参照]
同 森 保 彦
東京都千代田区神田神保町三丁目六番地五
平成七年(ネ)第三五一七号事件控訴人(以下「控訴人」という。)
株式会社祥伝杜
右代表者代表取締役 藤 岡 俊 夫
右訴訟代理人弁護士 那 須 克 己
東京都千代田区一ツ橋二丁目五番一〇号
平成七年(ネ)第三五四四号事件控訴人(以下「控訴人」という。)
株式会社集英社
右代表者代表取締役 若 菜 正
右訴訟代理人弁護士 星 二 良
同 高 木 佳 子
【被控訴人 住所 略】
平成七年(ネ)第三四九五号、同第三五一七号、同第三五四四号
事件各被控訴人(以下「被控訴人」という。)
山 田 悦 子
右訴訟代理人弁護士 浦 功
同 川 崎 伸 男
同 横 井 貞 夫
同 泉 裕 二 郎
同 氏 家 都 子
同 池 田 直 樹
同 福 森 亮 二
同 増 田 健 郎
同 片 見 冨 士 夫
同 須 藤 隆 二
主 文
一 本件各控訴をいずれも棄却する。
二 控訴費用は、平成七年(ネ)第三四九五号については控訴人清水和幸の、同第三五一七号事件については控訴人株式会社祥伝社の、同第三五四四号事件については控訴人株式会社集英社の負担とする。
事 実 及 び 理 由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
1 原判決中、各控訴人ら敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文と同旨
第二 事実の概要
原判決の「第二 事実の概要」のうち、控訴人らと被控訴人に関する部分記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、次のとおり付加訂正する。
一 原判決一四頁八行目の次に行を改め、次にとおり加える。
「本件小説は、最初から最後まで全編捜査官の視点で記述されており、捜査官が容疑者を追いつめていく推理小説であって、読者は、捜査官の立場で、本件小説を読み進むことが予定されており、一部の例外を除き、ほとんどの読者は、作者が予定した捜査官の目でこの小説を読むことになる。
そして、本件小説では、犯人ははじめから田辺悌子(以下「田辺」という。)と定められ、捜査官がその田辺を如何に追いつめるかがテーマとされていて、本件小説の捜査官の視点(捜査官の目的)は、その舞台とされた精神遅滞児施設「光明療園」における事件(以下「光明療園事件」という。)の犯人(田辺)を特定し、その決定的証拠を発見するか、犯人を自白に追い込むことにより犯人として断定することにある。
したがって、捜査官の視点で読み進んできた読者は、田辺が、本件小説の大詰めの章で、早い時期から同人を犯人と確信し、その自白を得ることを大きな目標にしてきた捜査官に追及され、捜査官の想定していたとおりに犯行を自白するに至ったことにより、やっと田辺が自白したかと安堵し、田辺が犯人であると確信するに至るのであり、作中において、田辺を犯人と断定する直接的な表現がされていないからといって、田辺が犯人でないとの印象を持つわけではなく、また、本件小説の最終場面での、本件小説の登場人物である捜査官桐原重治の「田辺以外に犯人がいるかもしれない」との独白も、担当検事が起訴に消極的態度を取るのに対し、再捜査の決意を固める桐原重治の脳裏を去来した述懐の一つとして出たものであるに過きず、本件小説の結論又は結末に当たっての作者の意見表明とは到底解することはできず、むしろ、この結末によって、読者は、これだけ証拠があっても起訴できないのか、ということで憤りを持ち、田辺=犯人説をより確信する効果を持つことになるのであり、作者の真の狙いもここにあったといえるのであって、本件小説は、田辺を光明療園事件の犯人と断定してい るものである。」
二 同二一頁六行目の次に行を改め、次のとおり加える。
「 本件では民法上の不法行為の成否が問題とされているところ、民事上の不法行為類型としての名誉毀損の要件は、人格権としての個人の名誉が侵害されたか否かであり、この点は犯罪構成要件として「事実の摘示」を必要とする刑法の名誉毀損罪とは異なる、したがって、本件で、民事上の不法行為として名誉毀損が認められるか否かは、本件小説によって被控訴人の社会的評価が低下させられるか否か、言い換えれば、本件小説によって被控訴人が甲山事件の犯人であるとの印象を一般読者に与えるものか否かという点にあって、小説全体から受ける一般読者の印象において、被控訴人の名誉が侵害されるものであれば、民法上の不法行為は成立する。
被控訴人が甲山事件の犯人であるということ自体は、事実でなく、主張ないし意見であるという控訴人集英社の後記主張は、新聞や雑誌などの事実報道を目的とする表現形態と小説との違いを全く考慮せず、一定の事実のあることを前提に意見ないし論評を加えることと、小説の中で展開される多岐に亘る事実の中から、読者が特定の事実を印象として特つこととの違いを区別せず、小説の読者が小説を読んで、印象を持つであろう事実、別の言い方をすれば、素材事実と虚構事実とから演繹される事実をもって、控訴人集英社は、意見ないし主張をしているにすぎない。」
三 同二二頁九行目から一〇行目にかけての「承認されている。」の次に「被告人は、刑事裁判が進行している段階では、あくまで法律上無罪推定を受けている。これは、我々の社会が、犯人として疑われ、訴追された存在であっても、裁判で有罪が確定するまでは、個々人の内心における評価はともかく、社会的、対外的な関係においては、無実として扱うことが法律上のルールとして承認されている社会であることを意味する。とすると、この社会内で、被告人が享受しうる社会的評価の水準を測定するに当たっては、無罪の者(一般市民)と同程度もしくはそれに近いレベルが保証されるべきことが要請されていることになる。したがって、被控訴人が、逮捕され、さらに起訴までされたとしても、犯人と断定する表現行為が、被告人としての社会的評価を低下させることはもとより、本件小説のように、全体的なストーリー展開の中で、読者をして、犯人ではないかとの印象を与える事実を摘示していって、被控訴人が、甲山事件の犯人であるような印象を読者に持たせることも、被控訴人の社会的評価を低下させるものである。」を加える。
四 同二九頁一一行目の「拘留」を「勾留」と改め、同三〇頁九行目の次に行を改め、次のとおり加える。
「 小説に限らず、ストーリー性のある文書において、最も大切な部分は、結末ないし結論である。ことに推理小説では、この点は、一層重要であり、犯人が誰であるかが、最も読者の興味をそそるところである。そして、犯人が誰であるかということについての読者の印象は、小説の結末によって決定される。本件小説の結末は、右のとおり、主人公である捜査官も、田辺の容疑性について疑問を示し、それまでの捜査の結果だけでは起訴できないとした検事の意見に従って、田辺以外にも犯人がいるかも知れないと考え、さらに捜査を続けるということになっているから、法律的な知識のない一般読者でも、結末において起訴すらできない容疑者を有罪判決を受けた被告人と同視することは考えられず、まして、それ以上に確定的に犯人であるとの印象を持つはずがない(控訴人集英社が、本件小説につき、一般読者に対してなした読後感のアンケートによれば、一般的な読者の受け取り方や解釈は、田辺が本人であるとの印象を与えるものとは、到底言い難く、せいぜい黒っぽい(つまり疑わしい)という程度に過ぎない。)。」
五 同三四頁六行目の次に行を改め、次のとおり加える。
「 殺人罪のような重罪の場合、起訴されるのは検察官からみて確実に近い証拠がある場合に限られ、その結果、一〇〇パーセントに近い有罪率となっている。このことは、一般市民も十分承知しており、かつ、そのような認識を持っている。したがって、単に犯罪捜査を受けただけの容疑者と、実際に起訴された被告人との間には、社会的評価において、著しい開きがあり、後者の社会的評価は、前者の社会的評価を大幅に下回る。
本件小説は、田辺を「犯人としての容疑は否定できないが、検事に起訴を決断させるには至らず、決定的な証拠はない容疑者」として描いているに過ぎず、被控訴人の社会的評価を何ら低下させるものではない。」
六 同四五頁一〇行目の次に行を改め、次のとおり加える。
「(四) なお、本件小説は、単行本、新書判及び文庫版の三判とも、内容が全くといってよい程同一であるから、本件小説新書判、本件小説文庫判の発行は、新たな不法行為ではない。
仮に新たな不法行為であるとしても、本件小説新書判は昭和五四年五月一日の発行であって、被控訴人は、遅くとも、昭和五四年七月には本件小説新書判が出版された事実を認識していたのであるから、この時点を基準にして三年を経過した時点で時効が完成したと解すべきである。本件小説新書判は、在庫の一部が残っていたにせよ、少なくとも昭和五四年末ころにはほとんど在庫も流通に置かれなくなったというべきである。不法行為としての名誉毀損が成立する為には「一定範囲の流布」が必要であるから、ごくわずかな在庫だけではその程度に達しない。したがって、本件小説新書判に対する損害賠償請求権は、昭和五四年末ころから三年の経過により時効消滅している。
また、仮に、本件小説文庫判について、新たな不法行為であるとしても、被控訴人は、控訴人清水に対して、昭和五三年二月二七日以降、本件小説単行本について損害賠償の請求ができたはずであるところ、ずでに三年の経過によって、これが時効消滅している。したがって、後に本件小説文庫判が出されたからといって、同一内容の事件について、一度消滅時効にかかっている損害賠償請求権を、あらためて行使することは、権利の不行使による失効(失権効)として認められないというべきである。」
七 同五五頁一〇行目の次に行を改め、次のとおり加える。
「(五) 名誉侵害において、違法とされる対象行為は表現行為であり、表現物の中の事実摘示であり、事実摘示でない単なる意見は、原則として、名誉侵害の対象とはならない。すなわち、意見の表明、ひいては表現の自由は、民主主義の根幹として最大限に保障されるべきものであり、たとえ虚偽の意見、間違った思想であるとしても、それは名誉侵害の対象として処罰または民事上の損害賠償の対象とすべきものではなく、批判、反論など言論の応酬や多数の思想の共存の中で淘汰されていくべきものである。
小説は、「事実」と「意見」の分類でいうならは、原則的に「意見」に属する。小説は全体としてフィクションであるが、場合によっては、小説中の一部の個別的記述、具体的記述を取り上げ、名誉毀損の土俵に乗せることは可能であり、十分あり得ることである。その場合、取り上げられた個別的記述、具体的記述は、事実そのものと言う場合もあるし、ストレートに事実とは言えないにしても、事実と評価できるという場合もある。この場合は、事実と主張された対象範囲を確定し、事実と言い得るかどうか判断したうえ、通常の法的判断に従って名誉毀損の有無を判断すればよい。
しかし、小説を一冊全体として名誉毀損の問題とするのならば、それは、事実の問題ではなく、意見として問題にすべきである。すなわち、本件小説は、当時報道されていた断片的事実を拾い集めて、事件全体を再構築したものであり、事実と事実の間を埋めている解釈された事実、推理された事実、フィクション部分が作家の責任において呈示される部分であり、本件小説は、小説家の目を通して、小説家が評価し認定した事実に関する意見というべきものである。
そして、意見に関しては、事実とは別の法理によって、名誉毀損の有無が判断されるべきである。なぜなら、意見については、事実の場合における真実性の証明や真実と誤信したことの相当性の証明は不可能である。しかし、意見が、名誉毀損的であるから、そしてそれにより社会的評価が低下されたからといって、それだけで直ちに名誉毀損とされるのは、表現の自由が憲法上の要請であることから正しい在り方ではない。問題とされる当該行為の内容を検討し、その上で、名誉毀損の要件としての違法性の要件、責任の要件を定めていくことが、表現の自由の観点から必要である。
小説のような表現物は、一つの事実や意見を書いたものと容易に決められるものではなく、多面的でかつ多義的な解釈があり得るものである。小説の骨格的要素に絞ってみたとしても、解釈が一つや二つはあり得るものである。表現が曖昧で、解釈が難しい多面的な意味を持つ表現に関しては、事実の言明とはみなすことができず、名誉侵害の根拠とすることはできないというべきである。
本件小説は、殺人事件の捜査手法を写実的に書いたというような解釈も当然成立するし、他方、田辺を殺人事件の被疑者として特定し、身柄を拘束した上で、自白に追い込んでいく過程を書いたことから、被控訴人が甲山事件の犯人であることを書いたと解釈することも不可能ではない。さらに、田辺が犯人である可能性が高いとするにとどまるものであった可能性もあり、捜査官の報われることのない苦労を書いた、この程度の証拠では有罪とすることが難しいことを書いた、容疑者と支援団体が捜査妨害ともいえる活動を行っていることの問題を指摘したもの等々、種々の解釈がありうるし、読み方も、現実をあるがまま中立に書いた、肯定的に書いた、否定的に書いた等、本件小説の解釈については、読者が立つ立場によって、いろいろ解釈が可能である。また、読者に考えさせる、あるいは任せたと考えられる部分も多くある小説である。
このように、多様な解釈が可能な本件小説については、結局のところ、ある特定の事実の言明とはみなされず、意見ないし主張と考えられるので、前述の理由から、その一つを取り上げて名誉毀損の摘示事実とすることは許されないというべきである。」
八 同五六頁一行目の冒頭に順番号「(一)」を加え、同八行目の次に行を改め、次のとおり加える。
「(二) 名誉毀損的事実の言明が、起訴された被告人について、「犯人である疑いがある」程度にとどまり、起訴された公訴事実を踏み越えていない限り、当該犯罪の被告人として、起訴されていることが主張立証されたときは、その証明があったものとして、違法性が阻却されると解すべきである。
名誉毀損における違法性阻却事由の立証責任は、立証テーマとの関係において、個別的に考えるべきであり、名誉毀損が問題となる表現内容によって異なるものである。
逮捕又は勾留されるなど、社会の表面に出て問題となる以前に、ある者が「○○が○○事件の犯人である」旨表明すれば、その者は、○○が犯人であることの真実性又は誤信の相当性について立証責任を負い、逮捕、勾留あるいは起訴後に、その者が「○○が○○事件の犯人である」旨表明する場合には、その者が、被疑事実又は公訴事実を超えて、名誉毀損的表現を付加しない限り、犯人である疑いがあることの真実性又は誤信の相当性について立証責任を負わない(ないしは形式的に負ったとしても、立証は尽くされている。)というべきであり、付加的表現がある場合には、その者は、付加した部分の真実性又は誤信の相当性について立証責任を負うというべきである。
本件小説は、被控訴人が甲山事件の犯人であるとの印象ないし疑いを抱かせる程度のものであり、かつ、起訴された公訴事実を踏み越えていないから、真実性または誤信についての立証責任を負わない(ないしは形式的に負ったとしても、立証は尽くされている。)というべきである。」
九 同五七頁八行目の次に行を改め、次のとおり加える。
「 日本で有数の出版社(控訴人集英社)より単行本が発行され、その出版社あるいは著者(控訴人清水)から、作品の内容に関して特クレームがあった旨の報告も受けていない場合、版型を変えて「小説」を発行する出版社としては、当該作品の記述、表現、構成、描写等作品自体から、問題が容易に想起される場合はさておき、さらにそれ以上の内容に関する調査をする注意義務はないというべきである。
また、現実に起った事件を素材にして作品が書かれていることを知り得る場合においても、出版社において、作品の基礎となった事実まで調査する義務はなく、基礎となった事実が誤りであることを知っていた場合、あるいは、基礎となった事実が誤りであってもかまわないとの意図のもとに、出版がなされた場合のみ、責任を負うものと解すべきである。
本件小説新書判発行に際し、控訴人祥伝社は、出版社として、必要な注意義務を怠っておらず、控訴人祥伝社には、責任がない。」
一〇 同五八頁六行目の次に行を改め、次のとおり加え、同七行目の順番号「2」を「3」と改める。
「2 違法性阻却事由
本件小説は、次のとおり、違法性阻却事由がある。
(一) 本件小説には、具体的な記述において、名誉毀損となるような部分がない。
(二) 本件小説は、警察の捜査陣を主人公として犯罪捜査の難しさを訴えるものであり、同時に、甲山事件の真相を推理するものであったとしても、犯罪行為の真相を究明すること自体は、何ら非難されるべきではない。
(三) 本件小説新書判が出版された当時、被控訴人は、殺人事件の被告人として起訴されていた。嫌疑がなければ起訴されることなく、日本の刑事裁判の有罪率が九割を上回るものであることは、公知の事実であって、被控訴人が当時享受していた社会的評価は、このような殺人事件の被告人としてのものである、それ以上のものではなかった。本件小説は、現実にはすでに被告人とされている人物を、被疑者として描いているに過ぎず、それも公訴提起さえ行うことのできない程度の被疑者に止めている。本件小説は、どの部分をとっても、田辺を犯人と断定している部分はなく、あくまで被疑者の一人として描いており、当時すでに被告人であった被控訴人が享受していた社会的評価をさらに低下させるものではない。
(四) 甲山事件は、精神薄弱児施設で、園児二名が浄化槽で溺死したという極めて悲惨な事件であり、右事件につき作品を書くことは、公共の利益と直接的な係わりがある。
(五) 被控訴人は、甲山蓼件の保母であったもので、事件発生後、施設関係者は、事実の究明にあたるよりは、むしろ反権力を提唱して、警察と対立する運動を行ったが、一方死亡した園児に対する配慮は殆ど感じさせないものであった、被控訴人は、釈放後、自らマスコミに登場し、さらに支援団体を組織して、多数の出版物も発行していた。
これらの事実からすれば、甲山事件に関する限り、被控訴人の地位は公的人物と同様であり、論評の対象となることは避けられない立場であった。
(六) 甲山事件のような重大事件で、かつ、右のような諸要素がある場合、一般人が未解決の刑事事件につき意見を言うこと自体は、何ら制限されない。そして、既に、被告人として公訴が提起されている人物を描くにつき、一定の事実が認められるとすれば、あるいは一定の事実が認められる以上、容疑が濃厚であるとの意見を述べることは原則として許される。本件小説において、田辺を犯人と断定した記述はなく、表現においても不穏当な部分はない。
以上(一)ないし(六)のとおり、本件小説は、違法性阻却事由に該当する事由がある。
なお、本件において、真実性の証明の対象は、被控訴人が甲山事件の犯人であるということではなく、被控訴人が甲山事件を犯した疑いがあるということであり、かつ、被控訴人が甲山事件の犯人として、起訴された場合には、有罪判決がない段階においても、真実性の証明はなされたものとして、違法性は阻却されるというべきである。」
一一 同五九頁三行目の次に行を改め、次のとおり加える。
「(四) 名誉毀損に基づく損害賠償請求においては、被害者の社会的評価が、小説の発行により低下されたことが必要であり、かつ、それをもって足りると解されるところ、社会的評価の低下は、小説の発行後一定期間(書籍がある程度広く流布されたと認定できる期間)経過後に発生する。そして、その後さみだれ的にごく少部数の書籍が流通に置かれたとしても、既にその段階では、被害者の社会的評価は低下した状態となっており、新たな社会的評価の低下をもたらすものではない。したがって、社会的留保ポ低下した後の書籍の流通が継続的不法行為とされるためには、新たな社会的評価の低下をもたらすと認定できる程度の、一定範囲、一定数量の書籍の流布が必要である。
控訴人祥伝社は、本件小説新書判を二万部印刷し、その殆どは、昭和五四年五月に流通に置かれ、遅くとも、半年経過後には、流通に置かれなくなった。その後、返品されたものがさみだれ的に流通に置かれたことはあるが、ごく少部数に過ぎず、一定範囲、一定数量の書籍の流布とは到底いえるものではなかったから、被控訴人に対して新たな社会的評価の低下をもたらすものではなかった。」
一二 同六一頁八行目の次に行を改め、次のとおり加え、同九行目の順番号「九」を「一〇」と改める。
「九 控訴人らの違法性阻却事由の主張に対する被控訴人の主張
1 控訴人集英社は、前記六3(二)のとおり主張するが、右主張は、犯罪報道に関して、犯罪を犯した疑いがあるとして報道された記事を前提とした主張であるところ、犯罪報道と小説とは表現目的に違いがある上、本件小説は、田辺を光明療園事件の犯人と断定しているのであるから、被控訴人集英社の方主張は、その前提を欠くものである。
2 控訴人祥伝社は、前記七2のとおり、本件小説には、違法性阻却事由がある旨主張する。
しかしながら、本件小説における名誉毀損にかかる摘示事実は、被控訴人が、甲山事件の犯人であるとしていることであり、本件小説は、甲山事件の当時の極秘捜査資料を、殆ど原形をとどめたまま用いているのであって、いわゆる暴露小説や実録小説と異ならず、仮に警察の捜査陣を主人公として、犯罪改査の難しさを訴える小説を描くとしても、甲山事件における捜査資料や事実関係を、そのまま用いるような必然性は何もなく、かえって、犯罪捜査の難しさを訴えるものとする以上、捜査陣に追及される被疑者が真犯人でなければ成り立たない構成になるのであって、この点からも、モデルとされた被控訴人の名誉を毀損することは避けられないものであり、本件小説の主題から、その違法性を弱めるようなものとは解し得ない。
本件小説の骨格的事実と、モデルとされた個人の社会的評価の係わりの点についても、本件小説が犯罪捜査の段階を描いているため、田辺が被疑者として登場しているに過きず、本件小説が、田辺が犯人であるとの印象を与えるものである以上、刑事被告人とされている人物の社会的評価を下げるものであることは、明らかである。
甲山事件は、園児二名が浄化槽で溺死したという、極めて無惨な事件であったが、公共の利益との係わりで問題にすべきは、その事件をモデル小説として取り上げることが、社会的にどのような積極的な意味、社会的貢献があるか、という点であって、事件の無惨さそれ自体が公共の利益ではない。
被控訴人が甲山学園の保母であるとしても、それ自体は社会的に見て公的人物と評価しうる立場ではなく、また、犯人としていわれなき責任を追及される以上、それに対して、反論・防御の行動をとるのも当然のことであって、これをもって、公的人物と同様の評価を与えることはできない。
無罪を争っている被控訴人にとって、多数の部数が出版される小説でもって犯人とされることは、社会に与える影響が大きく、裁判で無罪を得ても、小説を読んだ読者には、それでも真犯人は被控訴人であるとの印象を与えかねないものであって、その名誉毀損行為の与える結果は、決して軽いものではなく、また、本件では殺人事件の犯人ということであり、その名誉毀損の内容としても、重いものがある。
控訴人祥伝社は、本件における真実性の証明対象は、「被控訴人が甲山事件の犯人である」ということでなく、「被控訴人が甲山事件を犯した疑いがあるということである」と主張するが、本件小説には、被控訴人が甲山事件の犯人であるとした点について、名誉毀損行為があるのであって、控訴人祥伝社の主張には理由がない。」
一三 同六二頁三行目の次に行を改め、次のとおり加える。
「 本件小説の単行本、新書判及び文庫判の内容が同一であるとしても、各小説は、いずれも控訴人清水と他の控訴人らとの間で、別個の出版権設定契約を締結し、これに基づき、各々別個に編集、出版されたものであるから、各々別個の不法行為を構成するものというべきである。
本件小説新書判は、昭和五九年二月の段階では、その在庫があり、流通に置かれていた。」
第三 当裁判所の判断
当裁判所も、被控訴人の控訴人らに対する請求は、原判決が認容した限度で理由があり、その余は失当と判断するが、その理由は、次に付加訂正するほか、原判決の「第三 当裁判所の判断」記載のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決六四頁八行目、同七〇頁一〇行目、同七一頁八行目及び一一行目の各「第八号証」をいずれも「第八号証の一、二」と、同六五頁一一行目の「小太り」を「小肥り」と、同六八頁四行目の「保母の一人を田辺悌子を」を「保母の一人に対し、同女が田辺を」とそれぞれ改め、同七〇頁一〇行目の「成立に争いのない」の次に「甲」を加える。
二 同八○頁二行目の「いうべきである」の次に「(控訴人清水は、モデル小説も小説である以上、原則的に表現の自由として、認められるべきであり、その中の具体的描写が個人のプライバシーや名誉を侵害するに至った場合、初めて違法性を帯びるのであって、モデルとなる人物、モデル事件がある場合、これらを素材に書いた小説が、原則的に違法性を帯びるとなれば、もはや表現の自由を否定することになりかねない旨主張する。しかしながら、モデル小説も小説である以上、表現の自由として、認められるべきであるとの控訴人清水の主張を前提としても、個人のプライバシーや名誉との関係において、小説における表現の自由が常に優先するものといえないこと、モデル小説のうち、前記1(二)(2)掲記の「素材事実と虚構事実とが渾然一体となって、区別できない場合」に該当するモデル小説においては、一般読者に対し、前記説示のとおりの誤信をさせる結果となることから、右小説の中の摘示事実が、モデル事件又はその素材事実に関係した個人にとって、そのプライバシーにかかる事実もしくは社会的評価を低下させるものである場合には、プライバシーあるいは名誉の侵害となり、右説 示にかかる違法性阻却事由がない限り、原則として違法性を有するというべきであって、右のように解したとしても、モデル小説につき、小説として有する表現の自由を否定するものということはできないので、控訴人清水の右主張は、前提を異にするものとして、採用することができない。)」を、同八四頁四行目の「前記」の次に「三2」をそれぞれ加える。
三 同八九頁一〇行目の「解することはできない。」の次に「控訴人らは、本件小説において田辺を犯人と断定している部分はないし、小説の解釈においては、その結末が重要であるところ、本件小説の結末部分は、右のとおり、犯人が不明のまま終了していること等からして、本件小説が、一般読者に対し、前記説示にかかる印象を与えるものではない旨主張する。しかしながら、前記説示のとおり、本件小説は、前記三1(二)(2)の類型のモデル小説であるということができるものであって、控訴人清水において、被控訴人が甲山事件の犯人であるとの推理に確信を得て、本件小説の執筆にあたったもので(控訴人清水本人)、甲山事件の要素となっている諸事実をそのまま用いた設定の下で、桐原重治以下の捜査官が田辺を殺人事件の被疑者として特定し、身柄拘束をした上で、自白に追い込んでいくという過程を捜査官の視点から描いたものであり、前記二1認定のとおりの本件小説の内容、構成、殊に、田辺が殺人事件の容疑者として絞られて、捜査官から追及され、逮捕後自白に至る経緯等を勘案すれば、本件小説において、直接的に田辺を犯人と断定している部分はないとしても、被控訴人をモ デルとする田辺が、甲山事件をモデルとする本件小説中の殺人事件の犯人である(ひいては、被控訴人が甲山事件の犯人である)との印象を一般読者に与え、右事実をその骨格的要素として、摘示しているとの前記説示を左右するものということはできないし、また、本件小説の結末部分は、右掲記のとおりであるとしても、前記説示に照らせば、一般読者に対し、犯人が不明のまま本件小説が終了しているとの印象を与えるものということはできないから(むしろ、本件小説の結末部分により、一般読者に対しては、これだけの証拠があっても、田辺を起訴できないのかとの気持ちを抱かせ、田辺が右殺人事件の犯人であるとの印象を、より確信させる面があることを否定し得ないということができる。)、控訴人らの右主張は、採用できない。」を加える。
四 同九〇頁一行目の次に行を改め、次のとおり加える。
「 控訴人らは、本件において、名誉毀損となるべき事実の摘示がない旨縷々主張するが、本件小説は、素材事実と虚構事実とが渾然一体となり、その演繹的事実として、一般読者に対し、被控訴人をモデルとする田辺が、甲山事件をモデルとする本件小説中の殺人事件の犯人であり、ひいては、被控訴人が甲山事件の犯人であるとの印象を与え、右事実をその骨格的要素として摘示することにより、被控訴人の社会的評価を低下させ、その名誉を侵害するものであるというべきであるから、控訴人らの右主張は採用できない。
控訴人集英社は、本件小説は、作家である控訴人清水の目を通して、控訴人清水が評価し、認定した事実に関する意見ないし主張というべきものであり、これらに関しては、事実とは別の法理によって、名誉毀損の有無が判断されるべきである旨主張する。しかしながら、本件小説が、一般読者に対して、右のとおりの印象を与えることをその骨格的要素として、摘示したものであり、本件において、有摘示された事実が被控訴人の名誉を毀損するものであるか否かが争点となっているのであるから、控訴人集英社の右主張は、その前提を異にするものとして、採用することができない。」
五 同九四頁五行目の「認めうるが、」の次に「甲山事件は、昭和四九年三月に発生し、被控訴人は、同年四月七日、B男殺害の被疑事実で逮捕された後勾留されたが、同月二八日処分保留のまま釈放され、昭和五〇年九月二三日、不起訴処分となり、以後、本件小説単行本が出版された時まで約二年五か月経過していたこと、被控訴人は、昭和五〇年八月結婚し、昭和五一年六月長女を出産して、夫婦及び長女の三人で生活していたこと(乙二二の2、被控訴人本人)、被控訴人は、昭和四九年七月、甲山事件につき被控訴人は無罪であり、右逮捕勾留が違法であった等として、国及び兵庫県を被告として、慰籍料の支払及び謝罪広告の掲載を求める旨の訴訟を、神戸地方裁判所尼崎支部に提起し(右訴訟では、被控訴人のほか、甲山学園の指導員であった二名が原告となり、兵庫県に対し、被控訴人の逮捕時に警察官から暴行を受けたこと等に基き、慰籍料の支払を求めている。)本件小説単行本出版当時においても、同裁判所で、右訴訟の審理が継続してなされていたこと(乙二、三、一六ないし一八、被控訴人本人、弁論の全趣旨)に加えて、前記第二の二1のとおりの被控訴人の年齢、職歴等に鑑み れば、」を、同行目及び同九五頁五行目の各「原告は」の次に、「、その品性等の人格的価値について、一市民として、」をそれぞれ加える。
六 同九五頁八行目の次に行を改め、次のとおり加える。
「 控訴人らは、本件小説新書判及び文庫版が出版された当時、被控訴人は、起訴され、刑事事件の被告人の地位にあったことを前提に、前記第二の四3(一)中、後段のとおり主張する。しかしながら、前記認定にかかる被控訴人が甲山事件で一旦逮捕勾留された後に釈放され、不起訴処分となった後、再逮捕されて起訴されるに至った経緯、右刑事事件においては、被控訴人の罪責の有無を巡って、検察側と被控訴人側とが、真っ向から対立し、被控訴人は刑事事件の審理において、当初から一貫して無罪を主張してきたこと(乙一六ないし一八、二四、被控訴人本人)、右刑事事件における一審判決は、被控訴人の無罪を宣告したこと等を考え合わせれば、当時、被控訴人について、検察官からみて確実な証拠があったから起訴されたのでありその結果、一〇〇パーセント近い有罪率となることを、一般市民において、十分承知し、そのような認識を持っていたとの、控訴人らの主張には、にわかに肯認し難いものがあり、むしろ、本件小説が、一般読者に対し、被控訴人が甲山事件の犯人であるとの印象を与えることにより、被告人として、甲山事件について無実を主張していて、かつ、前記説示のような 社会的評価を享受していた被控訴人の右評価を低下させるものであったということができるから、控訴人らの右主張は採用できない。」
七 同九七頁三行目の「及ぼすものではない。」の次に「控訴人清水は、本件小説のモデルとされた被控訴人が甲山事件の犯人であると信じるにつき相当の理由があった旨主張するが、控訴人清水は、三人体制の取材スタッフを組織して、マスコミを中心とした周辺取材、甲山事件に関する新聞雑誌類の記事等を収集し(ただし、取材の過程で、被控訴人や甲山事件の被害園児の遺族等に直接面会して取材する方法は取らなかった。)、その過程で、被控訴人が甲山事件の犯人であるとの推理につき確信を得て、本件小説を執筆したものであるところ、控訴人清水は、右のとおり収集してきた新聞雑誌類のコピー、取材スタッフが右新聞雑誌類の担当記者等から聞いてきた情報の基礎資料をもとに、右資料の裏付け取材のために、二回ほど神戸市を訪れたこと、そして、マスコミ関係者を紹介され、同人から、供述調書、鑑定書等の捜査資料から引用した箇所もあるメモ(二センチメートルほどの厚さで、B五版の二つ折りをしたものと、その半分ほどのものの二点で、内容は、マスコミに報道されていたようなことが中心で、時系列的に整理してあった。)を借りたこと、甲山事件の捜査主任であった兵庫県 警察の警部高橋亨と会ったが、捜査に関連した話を聞くことができなかったこと、取材スタッフの一人が不起訴を不当する検察審査会の議決書のコピーを入手したこと(もっとも、控訴人清水は、検察審査会の組織や職務等については、あまり知らない。)、取材スタッフが繊維メーカーや電子顕微鏡の製作会社を訪問したこと、控訴人清水は、捜査資料そのものを見たことはなく、本訴が提起された後、同控訴人の代理人から、ロッカー一杯分の捜査資料を見せられ、こんなものを、これだけ見なければならなかったなら、甲山事件を素材にしなかったとの感想を抱いており、当時、物理的のにこれだけの資料を読んで、小説の構想を練る時間的余裕はなかったこと(控訴人清水)、以上のとおりの控訴人清水の取材方法、執筆の基礎とした資料等に加えて、前記認定にかかる、被控訴人が甲山事件で起訴されるに至った経緯、控訴人清水が本件小説を執筆した当時の被控訴人の置かれていた状況、被控訴人自身、甲山事件については無罪を訴えており、国と兵庫県を被告として、損害賠償等を求める訴訟を提起し、右訴訟は審理中であったこと等を勘案すれば、控訴人清水が、本件小説のモデルとされた被控訴 人が甲山事件の犯人であると信じたとしても、これにつき相当の理由があったということはできない。」を加える。
八 同九七頁五行目の次に行を改め、次のとおり加える。
「 控訴人集英社は、前記第二の二の六3(二)のとおり主張する。しかしながら、前記六2説示のとおり、本件小説が、一般読者に対し、全体として、被控訴人が甲山事件の犯人である可能性が非常に高いとの印象を強く与え、これにより、本件小説出版当時における被控訴人の社会的評価を低下させたものであって、本件小説が、一般読者に対し、被控訴人が甲山事件の犯人である疑いを抱かせる程度にとどまったものということはできないから(犯人である可能性が非常に高いことと、犯人である疑いが同一のものであるということはできない。)、控訴人集英社の前記主張は、その前提を異にするものであって、採用できない。
控訴人祥伝社は、前記第二の七2のとおり主張する。しかしながら、前記説示のとおり、本件小説は、被控訴人の社会的評価を低下させるものであって、被控訴人の当時置かれていた立場や状況、甲山事件の内容等を勘案すれば、控訴人祥伝社主張にかかる事実を考慮しても、本件小説に、違法性阻却事由に該当する事由があったということはできない。また、控訴人祥伝社は、本件小説では、田辺を公訴提起さえ行うことのできない程度の被疑者に止めていることを前提に、真実性の証明の対象は、被控訴人が甲山事件を犯した疑いがあるということであり、被控訴人が甲山事件の犯人として起訴された場合には、有罪判決がない段階においても、真実性の証明はなされたものとして、違法性は阻却される旨主張するが、前記説示のとおり、本件小説は、一般読者に対し、被控訴人が甲山事件の犯人である可能性が非常に高いとの印象を強く与え、これにより、当時の被控訴人の社会的評価を低下させたものであるから、控訴人祥伝社の右主張は、前提を異にするものであって、採用することができない。」
九 同一〇二頁一〇行目から一一行目にかけての「目を通し、」の次に「本件小説が甲山事件をモデルないし素材としたものであること、右事件については再捜査中であること、被控訴人は無罪を訴えていたことを知っており、」を、同一〇七頁七行目から八行目にかけての「記載していること」の次に「及び右記載により実際の事件を素材にしていること」をそれぞれ加え、同一〇八頁四行目の次に行を改め、次のとおり加える。
「 控訴人祥伝社は、日本で有数の出版社(控訴人集英社)より単行本が発行され、その出版社あるいは著者(控訴人清水)から、作品の内容に関して特にクレームがあった旨の報告も受けていない場合、版型を変えて「小説」を発行する出版社としては、当該作品の記述、表現、構成、描写等作品自体から問題が容易に想起される場合はさておき、さらにそれ以上の内容に関する調査をする注意義務はないというべきであること、また、現実に起った事件を素材にして作品が書かれていることを知り得る場合においても、出版社において、作品の基礎となった事実まで調査する義務はなく、基礎となった事実が誤りであることを知っていた場合、あるいは、基礎となった事実が誤りであってもかまわないとの意図のもとに、出版がなされた場合のみ、責任を負うものと解すべきであること、本件小説新書判発行に際し、控訴人祥伝社は、出版社として、必要な注意義務を怠っておらず、控訴人祥伝社には、責任がない旨主張するが、右説示のとおり、控訴人祥伝社は、本件小説が甲山事件をモデルにしたものであることを容易に認識したものと認められ、したがって、前記説示のとおり、本件小説は、被控訴人 をモデルとする田辺が、甲山事件をモデルとする本件小説中の殺人事件の犯人であり、ひいては、被控訴人が甲山事件の犯人であるとの印象を一般読者に対して与え、右事実を骨格的要素として摘示しているもので、控訴人祥伝社が、右小説を出版することにより、被控訴人の享受していた社会的評価を低下させることになることを認識していたものということができるから、控訴人祥伝社の右主張は、その前提を欠くものであって、採用することができない。」
一〇 同一一二頁六行目の「成立する」の次に「(被控訴人清水は、本件小説は、単行本、新書判及び文庫版とも、内容が全くといってよいほど同一であるから、本件小説新書判、本件小説文庫版の発行は新たな不法行為と考えるべきでない旨主張するが、本件新書判は控訴人清水と同祥伝社との間で、本件小説文庫版は控訴人清水と集英社との間で、それぞれ、出版権設定契約が締結され、これに基づき、それぞれ、本件小説の新書判及び文庫版として、単行本とは別に編集、出版されたものであることに照らせば、右各行為は、それぞれ独立の不法行為を構成するというのが相当であって、控訴人清水の右主張は採用することができない。)」を加え、同一一三頁六行目の「乙第三号証」を「乙第三三号証」と改める。
一一 同一一七頁四行目から五行目にかけての「相当である」の次に「(控訴人清水及び同祥伝社は、本件小説新書判は、在庫の一部が残っていたにせよ、少なくとも昭和五四年末ころには、殆ど在庫も流通に置かれなくなったこと、不法行為としての名誉毀損が成立するためには、一定範囲の流布が必要であるところ、わずかな在庫では、その程度に達しないことからして、本件小説新書版に対する損害賠償請求権は、昭和五四年末ころから三年の経過により時効消滅した旨主張する。しかしながら、本件小説新書判は、初版二万部が出版され、殆どが直ちに流通に置かれたことによって、不法行為が成立したのであり、その後も、これが流通に置かれる等してきたことにより、不法行為が継続し、昭和五九年二月に在庫なしの扱いにされたことにより、新たに流通に置かれなくなり、不法行為は完了したというのが相当であるから(不法行為としての名誉毀損が成立するには、一定範囲の流布を必要とするとしても、右のとおり流通に置かれ、一定範囲の流布がなされた本件小説新書判が、その後も継続して流通に置かれてきたのであるから、消滅時効の起算時との関係では、控訴人祥伝社において、昭和 五四年末ころ以降、一定範囲の流布といえない程度の流通量であったことを主張立証すべきであるというのが相当であるところ、これについての控訴人祥伝社の主張立証はないから、本件小説新書版に対する損害賠償請求権は、昭和五四年末ころから三年の経過により時効消滅したとの右控訴人らの主張は採用できない。)」を加える。
一二 同一一七頁一〇行目の次に行を改め、次のとおり加える。
「3 本件小説文庫版についての控訴人清水の責任について
控訴人清水は、被控訴人は、控訴人清水に対して、昭和五三年二月二七日以降、本件小説単行本について、損害賠償の請求ができたはずであるところ、既に三年の経過によって、時効消滅した後に、本件小説文庫版が出版されたからといって、同一内容の事件について、一度消滅時効にかかっている損害賠償請求権を改めて行使することは、権利の不行使による失効(失権効)として認められない旨主張する。しかしながら、本件小説文庫版の出版は、本件小説単行本の出版とは別の新たな不法行為を構成することは前記説示のとおりである上に、被控訴人は、本件小説単行本出版後、間もなくこれを知り、本件小説を読んで、被控訴人が犯人として書かれていると理解し、控訴人清水に抗議しようと思ったが、その矢先に甲山事件で再逮捕され、その後起訴され、刑事裁判が始まったため、それどころではない状況にあったこと、被控訴人は、右刑事裁判につき、一審で無罪判決を受けたが、これに対し、控訴人清水が、右判決が言渡されたにもかかわらず、被控訴人が犯人だとのコメントをし、これが複数の新聞に掲載されたため、擦訴人清水を許せないと思って、本件訴訟を提起したこと(甲六の1な いし4、控訴人清水、被控訴人各本人)、等に照らせば、被控訴人が、本件小説文庫版が出版されたことに対し、控訴人清水に対し、損害賠償の請求をすることが、権利の不行使による失効(失権効)として認められないということができないので、控訴人清水の右主張は採用できない。」
一三 同一二一頁一一行目の「被告集英社に対し」を「控訴人祥伝社に対し」と改める。
第四 結論
以上の次第で、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
大阪高等裁判所第一民事部
裁判長裁判官 田 畑 豊
裁判官 神 吉 正 則
裁判官 奥 田 哲 也
[転記者注] 控訴代理人の弁護士 森田は判決文の記載のままでは、森田 弘となっている。しかし、これは活字の字体に一致するものがないため後から手書きで書き込む予定であったのを忘れたものと思われる。森田弁護士の名は漢字2字から成り、1文字目は人偏【イ】に旁が【青】である【イ青】。JISコード表などでは【倩】となっている。
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