被害者家族の救出体験記
同意説得に成功したHさんの体験談
妻は2年間証人でした。私は夜勤が多い仕事でした。諫早に転勤になったときに、住んでいたアパートの隣の住民が証人でした。妻はその人に優しくされて、親切にされて研究を始めました。気がついた時には、妻から「証人になりたい」と打ち明けられてしまいました。正直、驚きました。幸せに暮らしていたのにと思うと打ちひしがれる思いでした。最初に取った行動は、佐賀の妻の実家に妻を帰し、子供とも離して半ば監禁状態で家族全員で強制的に頭ごなしに止めるように強要したことでした。妻の言い分を聞きませんでした。とにかく止めろと、一方的に命令しました。そのとき妻はエホバ神が助けると信じ、はまりこんでいました。目つきが変わっていました。逆効果になっていました。どうしていいか、全く分かりませんでした。
そのとき、妻の姉夫婦からインターネット上での岡山の高山牧師の働きを知らされました。救出してくれるならば、妻を岡山に連行するつもりでした。直方の原田さんを紹介され、相談してみて初めてエホバの話を聞けました。友人にも、誰にも相談できなかったときでしたから彼にいろんな話をしていただいたと思います。話をさせていただいて楽になりました。そのころは情報が少なくて、ものみの塔の反対派にたどり着くまでの時間は長く感じられました。精神病院や役所にも相談しました。すべて玄関払いでした。不安でたまりませんでした。原田さんからのアドバイスを得てみるとそれまでの妻に対する行動はすべてうらみからのものだったと分かりました。やればやるほど逆効果でエホバにのめり込んでしまうと教えられました。輸血禁止などの浅い知恵だけで行動していましたから、それ以来、対策を勉強しました。
そのころは別居していましたから妻と話をして、子供とともに夫の実家で生活基盤を作るようにしました。妻にすれば夫は話を聞いてくれなかったと思われたようでしたので、妻と同じ趣味を持つようにしました。一緒に過ごす時間を多く持つようにしました。エホバの話を聞いて理解をしてくださいと言われてましたから、エホバの話を聞きますと妻は生き生きとして得意げに答えます。内心、かちんときましたが、病人に接している思うと優しくなれました。
救出活動にかかわる家族の人は浅い知識しかないのが当たり前です。ある程度の知識が皆んなに必要です。両親を原田さんの元に連れて行って何が必要か勉強しました。救出にかかわる人はその場で水を差さないよう、家族全員が直接事前に聞いてもらった方がいいのです。本人の状態、エホバの組織の状態、全員がよく知ってないと救出は難しいのです。それと家族の中の誰をリーダーにするかを決めておいたほうがいい。個人プレイがあるよりも、一本化したほうがいいのです。一任を受けて今回は夫がその役目を果たしました。勧められたビデオを見て草刈先生に救出を頼みました。部屋に入れればあとは牧師がするといった、他人任せな安易な一面がありましたが、「これからは奥さんの同意がないと救出できません」と言いわれてしまいました。心のどこかに他人任せな面がありました。同意させる力があるかどうか、不安がありました。眠れない毎日が続きました。それでも、前に進まないといけません。そのころは、妻と信頼関係がなかったものですから、会話の中でエホバとはどんなもんかとか聞いたりして、妻の警戒心を解くために、徐々に同意を得るまで進んでいこうとしました。あせってしまって、「こういう人に会ってみないか」などと誘ってみて、断られたらおしまいだと思っていました。考えに考え、タイミングを見るよう、自制しました。二人で勉強してみて「お前が聖書がいいというなら聖書に何かいいことが書いているはずだ。一緒に集会に行ってみようか」とも提案しました。もちろん、妻には抵抗があります。すんなり集会には行けません。抵抗があると答えました。「ふつうの人たちもクリスチャンも聖書を読んでいる」と言えば、「あれは嘘だから」「でも同じ聖書だろう。慣れるためにもそちらの聖書の話も聞いてみたい」。「一人で行けないから二人で行かないか」。「それなら行ってもいい」。そこまで話は進みました。
日程を調整して数日後、草刈牧師が事故に遭遇しました。とたんに私はパニックになってしまいました。妻にどう説明していいか分からなくなりました。妻と勉強しようとする手はずになっており、妻の実家の部屋を借りていました。部屋では独りよがりの勉強をする夫妻をしかりつけるよう、妻の母親に芝居するように依頼していたのですが、現実にそれが延期しないといけなくなりましたので、本気で怒りを買ってしまいました。妻と二人で、「暴走をしてしまったね」と話をしました。次回は妻の母親にも事前に言っておいて、一緒に聖書の勉強をするようにしようとお互いに同意しました。
一緒に聖書を勉強を続ける間、草刈先生からも電話がありました。先生が退院できるまで自分でやれる分はやりました。数ヶ月、チャンスを待ちました。準備オーケーになるまで待ちました。妻の親にも、一緒に勉強するように頼みました。
妻にしてみれば、救出牧師といえば、暴力を振るう怖い人だというイメージを持っていました。妻はやっぱり会わないと言い出した。妻の父親が、怖い目に遭わせないと言ってくれたので妻もしょうがないと、言ってくれました。そのとき、父親はすごいなと思いました。草刈先生と出会い、世間話をし、自己紹介をし、本題に入りました。先生はものみの塔の資料を手にして優しげに聞いてきました。夫も「おかしいね」と話す方法を取りました。妻は一日で間違いに気がつきました。内心、これでよかったと思うと、ついそれが顔に出てしまいます。表に出さないようにしたのは、妻にしては間違いだと分かってしまうとショックですから、傷口に塩を塗るようなことはしないように言われていました。極力、我慢しました。救出後のフォロー、対策は大事です。妻にすれば心の中に穴が空いた状態ですから、宙ぶらりんにさせてしまうと大変です。元証人の方たちとセミナーなどで交わりを持っていただいて、妻の心がほぐれるようにしました。みなさんによくしてもらい、子供とともに昔よりも楽しい生活を送れています。これから救出される方々も楽しい思いをしていただけますよう、がんばって欲しいと思います。
出席者からの質問
問:具体的にどんな勉強をしましたか。
答:実態が分かりませんでしたから、ビデオを見たり、資料を見てどういう組織か、その中身を学びました。原田さんと会話をした中で調べていきました。昔の教義、輸血と臓器移植の教え、敵を知るにはよく調べないといけません。諫早では自分一人で資料を読みあさりました。
問:奥さんとの勉強のとっかかりは何でしたか。
答:材料は何でもいいです。資料を妻と一緒に見て研究しました。信頼関係を築き上げないといけません。いきなり始めたのでは同意を得るのは無理だと思います
司会者のコメント
証人の家族の対応は、暴力的な場面もなる場合もあります。悲惨な状態にもなります。事前準備と親族同士の信頼関係が必要です。協力者が必要です。こうしたセミナーから情報を得ると心の持ち方が変わってきます。その上で自分に何ができるか、決断が必要になってきます。このままでもいいんだと思う被害者家族も多いのも事実です。
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