回復するのがなぜそれほど困難なのか

                        生武のぞみ

 私は直方の教会の生武(いくたけ)です。私は東京生まれの東京育ちです。春日の教会には二年いましたが、そのころ、直方の教会には牧師はいませんで、(外国人の)宣教師だけがいました。そのとき、手紙が一通届きました。そこから原田さんと文通が始まり、それが原田兄弟との付き合いの始まりになりました。それまでもエホバの証人の人々を知っていましたが、私とはかかわりのない世界に住んでいる人だとしか思っていませんでした。私はクリスチャンホームに育ち、両親がクリスチャンで小さいころからキリスト教会にいるといった、エホバの証人二世とまったく同じでも、逆の立場で、まったく関係のない世界で生きてきました。

 ですから、原田さんから「教会に行きたい」という手紙を受け取ったときにも、私たちの教会はその頃、民家を教会にしていましたから、その小さな教会に来てがっかりするだろうから、近くの大きな教会に行ったほうがいいので、「そちらへどうぞ」とわざわざご紹介をしました。けれども直方の教会にいらっしゃってそれ以来、洗礼を受けて十年間のお付き 合いになります。その間、エホバの証人の方々とのかかわりが多くありました。そういう方々とかかわることになりました。そのおかげで一年間、研究生としてエホバの証人の学びをさせていただくことになりました。毎週毎週、そこにエホバの証人の方々が二人いらっしゃって小冊子を持ってきてお勉強をします。わたしはその方々と勉強するときにこう申し上げました。「同じ聖書なのに違う真理があるのはおかしい。どちらかが間違っているからもしあなたがたの聖書が本当にそうなら、わたしはエホバの証人になりましょう。でもわたしが調べて本当にこれだと思ったら、これが本当かどうか確かめましょう」と言って勉強を始めました。私も、もしエホバの証人が正しかったらそちらに行こうと決心して勉強を始めました。一生懸命勉強します。とてもまじめな方で必ず時間にきちんといらっしゃるんですね。私もその冊子を毎週読むんですが、ことばが分かる、日本語も読めるんですが、何が書いてあるのか、よく分からなくて、二回も三回も読むんですが、どうしても分からなくてある日、エホバの証人の方々にこう言いました。「二回、三回読んでも分からないんですが、これを勉強されているんですね」。その方々も、こう言いました。「私たちもよくわからないんです」とおっしゃいました。やっぱり分からないんだと思って、一緒だと思ってこちらからもいろんなものを提供しながら、一年間勉強しました。その後、直方に移ることになってその勉強はそこで終わりました。3回ほど王国会館に行って勉強したこともあります。王国会館に入ったとき、なんともいえない奇妙なものを感じました。それは「人の空気を感じない場所」です。集会場に入ると整理、整頓されて、きれいです。そしてぴちっとしていて、ごみ一つ落ちてないんですが、お茶を飲むコップがない、あるいはやかんがない、きれいですが、そこに人の空気を感じない不思議なものを感じて帰ってきました。

 何でそうなんだろうかと考え、いろんな人とかかわるうちに、「ああ、そうなのか。私たちが知っているエホバの証人と実際と少しギャップがあったんだ」と感じています。特にわたしはエホバの証人の救出にかかわることはありません。救出は草刈先生やドーゲン先生やウッド先生がご専門です。救出にかかわることはほとんどありません。けれども救出されたあとにかかわることが非常に多いのです。わたしはその方々とかかわりを持ちながら、本当のたたかいは救出のあとにあると、最新、特に感じております。と言うのは、エホバの証人の世界とは特殊な世界です、特に小さいときからそこに育っている人たちはたくさん、影響を受けています。勉強されるとそれだけ影響されます。ほかのものはすべて敵になってしまって、エホバの証人が「もうこれしかない」と一生懸命信じて生きてきたわけです。ところがその信じて来たものを失った後、自分がどう生きていったらいいか分からない。家族は救出された後、もう万々歳だから、もう墓に行って拝めとか、こうしろ、ああしろという。でも自分の中でどうしたらいいか分からない、どう考えていったらいいか分からないと行う人たちにたくさん出会う機会がありました。実は救出されたその後、本当にその人が安心して、落ち着いて生活ができるためリハビリの期間がとても大切だと感じています。ですから、救出のことを考えるときにぜひこのリハビリのことを念頭に置いて救出をされないといけないと、わたしは思います。
 特に奥様が元エホバの証人、あるいは現役のエホバの証人だという方が多いのですが、元証人の方々や教会の夫人の方々と言い合うことのなかに、「まったく男の人はちっとも分かってないね」と言うのがあるんです。何が分からないと言うと、わたしは男性の方々に言うのです。「時にはお花を買って持っていって上げたら」と。そうすると「なんでそんなことを」と言い返されます。「でも女性はお花をもらうとうれしいですよ」と言います。ところが「別にーー。いりません」と言ってくる。忙しくして、「そんなのするのが当たり前」と言うのが多いのです。そういう点で理解してもらえなかったり分かりあえない。奥さんたちが一番分かってもらいたい人に一番分かってもらえないことが一番大きな心の痛みですね。今までそれで一生懸命信じていたものがあって、それで家族を教えて幸せになれると思っていたものを失った上に家族からまたそう言う点で理解してもらえないと苦しくて居場所がなくなってしまうと思うんです。そのためには家族の方々の理解と協力が必要です。Hさんがおっしゃってました。「エホバの証人の信仰の病気だと思いなさい」と。信仰の病気が見つかって取り除かれて大きな手術をした後はたいてい、普通はその回復のために多くの椅子を用意してその部分がよくなって完全に動けるようになって普通の生活をするものです。ですからエホバの証人であった方々がその回復の時期、修復の時期はとても大切な時期だと思っています。エホバの証人にいた年数が長ければ長いほど、年齢が若ければ若いほどそのリハビリの時間が長く、それを受け止め、理解することができる、決して同じ痛みを理解できるとは思っていません。でもその理解をしようとし、受け止めようとする家族の協力あるいは周りの協力、教会もそう言う立場であってほしいと強く願っております。
 エホバの証人の方々は大変まじめな方々です。エホバの証人を知る前、本当のところ、迷惑だと言う気持ちが正直、ありました。けれどかかわれあかかわるほど本当にまじめな方々なんだということがよく分かります。もし家族から迫害があってたたかれることになると言われるとそれはあることなんだと思って耐えられる、我慢できるんです。一生懸命努力して一生懸命我慢して、聖書にはこう、書いてあると教えられるとそれをしようとする。「それはいけない」と言われると決してそれをしない。そのまじめさで自分の力でがんばっている。本当のことを知りたい、信じたいという思いが非常に強いのだと思います。そこを理解しないと、脅かしたり、冷たくしたりする。すると理解されない苦しみの中に沈んでしまう。まじめな例を挙げますと、日曜日の夜の集会の帰り、家に帰るときに「あまりとばさないでください」と言われましたから、「大丈夫です。捕まらないように祈ります」と答えたところ、非常に驚かれたようです。ご利益を祈るのが良いのか話がありましたときも、元証人にとっても、私たちが思いつかないこだわりがあるようです。

 組織は感情さえも押さえ込みます。聖書の詩篇のこの箇所のここはすばらしいですねと、証人に語りかけても証人はぽかんとします。聖書の箇所のすばらしさを指摘されても、証人は上の空です。組織から言われたことを信じますから、自分の感情とは縁のない世界に住んでいるのが分かりました。組織の言うことを聞かないと永遠の滅びに行くぞと言われているのが後で分かりました。聖書の勉強をしているさなか、原田さんとのつきあいの中でどんな話をしたか、本当のところ、忘れてしまったのですが、一つ出てきたのは、こうです……「先生、宇宙戦争はあるんですか」と聞かれました。それまで私は宇宙戦争があるとは知りませんでしたので「何ですか」と言いますと、「空中でサタンとイエス様が戦っているんじゃないですか」と言われて、私の方がびっくりしました。「イエス様はもう十字架で勝利されていますから、戦ってはいません」と申しましたら、それを聞いた姉妹がびっくりぎょうてんして、「え---------そうなんですか」とおっしゃいました。それによって、一つそれで今まで思っていたものが解かれていく。少しずつ解かれていくということがありました。最近の勉強された方は、エホバの証人の「あなたは永遠に生きられます!」という赤い本を使ってお勉強されました。それまで教会で使っている本を使ってやっていたんですが、どうも分からないようでしたので、エホバの証人の教えている教えを用いました。私はよく覚えていないのですが、7月の終わりに火災に遭い、あのパニック状態の中でいろんなものを焼失してしまい、そんなことがあって思い出そうとしていて、思い出せない状態です。その中で忘れないのは……、ネブカドネザル王の見た夢によると、木が大きくなって、その木が切り倒されて、そこから芽が生えてくる、それがエホバの証人だという話があるのです。それを読んだとき、私は衝撃を覚えました。どうしてそれがそうした解釈になるんだろうか。聖書の解釈とは全く違います。キリスト教会の教えと全く違う教えが書かれているのには、とてもびっくりしました。それでほかの箇所を調べながら、では聖書ではどう言っているのか、どういうことが書かれているのかをそのテキストを使ってしていきました。最近クリスチャンになった山下兄弟も原田兄弟もリハビリをするときは何度も何度もエホバの証人に教えられたもの、言われたことを、いろんな教理を全部入れ替えるのはとても難しいのです。それをするには非常に時間がかかります。原田さんも山下さんも何回も何回も同じことを尋ねられます。一番大きかったのは、「罪」の問題です。「罪」が分からないと言うので何回も何回も説明します。山下さんは何度の何度も尋ねていたことを気にしていましたけれども、私は何回も何回もそれに答えました。
 もう何年もクリスチャンになっていても、時々はその当時を思い出してこの解釈どうなんだろうか、この解釈でいいんだろうかと、ふっとそのときになって分からなくなってしまうということがあるようです。そういうときに手助けをする学びなり、教会が大変必要だと感じています。それが自分の中で納得できるまで、安心できるまでそのことに答え、関わることでその方が安心してこのままでいいんだ、大丈夫なんだと確認できるようになります。原田さんも安心できるまで時間がかかったと思います。すぐに、今日信じて、イエス様に信じて大丈夫ですと言うのではなかったと思います。確かめ、確かめ、本当に大丈夫なんだろうかと、確かめながら来て、これで大丈夫と確かめて、安心して平安な家庭を築き上げられていると思います。そこに至るまでは本当に大変です。本人も家族も大変です。家族は特に状況を理解して受け止める気持ちを持たないと救出されても、なお、家庭の問題がやってきて別の問題で家庭が壊れることもあります。それと、エホバの証人の中でマインドコントロールの中で教えられています。良いことと悪いことではっきりしていますから、自分を何かを決めて考えることが難しいのです。特に救出した後、自分が何かを考えて行動するというのは大変なことです。今までは何があっても、組織に聞いて、誰かに聞いて、長老がそれで良いよと言えば、安心してできるようになります。それがなくなって自分で考えるのには、勇気が要ります。今までできない状況にありましたから、時間もかかるし、行ったり来たりになります。怖いことです。その中で精神的に苦痛を感じいて、自分でもどうしようもなくなって、心療内科に通う人もいると聞きます。私はそうだろうなと思います。誰にも聞いてもらえない、相談できない、何人もいるとうかがっています。エホバの証人ではない、別の宗教にいた人がいるんですが、その人は辞めた後、耐えられないい様子で、10年近くも、一日に6回くらい、電話で同じことを聞かれました。
 リハビリを軽んじてはいけません。救出が最後ではなく、夫婦としてどう生きていたらいいか、それは大切なことです。家族の理解は大切です。救出された方々のリハビリも考えていかなくてはなりません。もうこれで終わりではなく、救出の後、自分で考え、自分の失ったものを回復する場として提供する、そういう場所に行かせる、支持するようにしていただきたい。本当の意味の救出になると思います。(つづく)


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