弁護士からの報告
裁判の場でのカルトの責任追及は、警察などによる刑事処分が行われない現状の中ではもっとも強力な責任追及の手段です。金銭支払請求という規定上の限界がありますが、被害が発生した過程を詳しく問題視して統一教会の責任のすべてを法的に明らかにできます。統一教会以外のカルトに対してなぜできないか、よく分かりません。余裕がないのもその一つの理由でしょう。統一教会の例を取り上げて、それ以外のカルトについても考えていただきたい。
統一教会の責任が全面的に認められた判決は平成13年6月27日の「青春を返せ」訴訟でした。判決が出る14年前に、私が裁判を起こそうと言い出し、それから裁判が始まりました。札幌地裁は「教会の責任を問える、マインドコントロールを使用して思想信条を変えた。アイデンティティを作り替えたのは違法」と判断しました。統一教会ができたのに、ものみの塔にはなぜできないか。統一教会は、人の思想を変えて変えていく過程を伝道と言ってます。人の思想を違法に切り替える行為だと裁判所が認めるには、それが目的、手段、結果の三つの領域において社会的に不当と言われなければなりません。
目的ですが、統一教会のすべての訴訟では統一協会の伝道とは宗教への勧誘行為であり、善であると思われてましたし、そう考えられていました。この裁判では、統一教会の勧誘目的は対象者の財産の収奪と新しい犠牲者の再生産であると訴えました。裁判所がなぜそのように認定できたかというと、対象者が入信した後に現実的・客観的に従事させる仕事を分析したからです。入った後やっていることは献金、物を買わされること、伝道と称する勧誘行為です。客観的な行為に着目して統一教会が勧誘する目的を見定めなければならないというふうに、判断する基準を変えたのです。単なる宗教勧誘だから善だという認識から大きく変わりました。エホバの証人に入ってやらされている仕事を現実的に分析すれば似たように良い目的ではないということを話せるのではないでしょうか。認定できるよう、裁判の場では基準が変わっています。この認定はこれからすべての裁判所で取る常識となります。口先ではなく、その組織の目的はその組織のやらせる仕事を見て分析します。そして、目的は不当だと言えます。
次は手段です。マインドコントロールです。財産の収奪、犠牲者の再生産のためには信者に一定の思想を信じさせる必要があります。それが教義です。合同結婚式を受け入れる条件としては3年半の物売りと3年半の伝道が必要であるという教義は、統一教会が正しいものとして受け入れさせるものです。それを最初から言えば、誰も統一教会には入りません。普通の人には高い壁があります。それを越えるために時間をかけます。するとなだらかな坂になります。それを少しずつ教育して登らせます。少しずつやるにしても手が込んでいます。『影響力の武器』の本の中に「決定」という行為の特殊な性質が書かれています。一つの選択肢だけを与えて退路を断って前に向かわせるのです。最初から3年半の物売りと3年半の伝道が正しいという決定をしません。最初は、ビデオセンターとツーディズを受けるという決定です。それがあると退路を断ちます。教育をして認識を変えます。水を入れた器があり、その中に舟があるとします。認識が上がる。すると器の中の船は水が増えると前に進みます。バイアトレーニング、フォーディズを受けます。さらに教育します。水が上がると舟は上に上がります。フォーディズで文鮮明がメシアという教えを受け入れさせます。メシアを受け入れるのは宗教上の権威を受け入れるのです。人への支配力が非常に強力です。それほど強い権威はほかにありません。みなさんが私の話を聞くのは私に弁護士という権威があるからです。米国の社会心理学者の実験で次のような実験がありました。大学の構内で頼まれて人間の記憶の実験をするから間違った答えを言ったら電気ショックを与えるように依頼された人がいました。多くの人はショックの中に450ボルトという危険なショックを入れてしまうのです。それほど人間に対する権威という支配は協力です。宗教的権威は現世と来世の絶対者です。ですから次のように林郁夫が書いている通りです。「地下鉄サリン事件の中で周りに若い女性がいた。対象として女性が死ななければならないと知ると非常に葛藤を覚えた」。葛藤を感じるのが本来のアイデンティティです。そのアイデンティティの押しつぶしを実行したのはグルに従うアイデンティティでした。宗教の権威は人殺しもさせます。正当化させるほど強力です。オウムを通じて骨身に染みて感じました。文をメシアとして受け入れる、文の真理として3年半の物売りと伝道を言いますからそれを受け入れます。文=メシアを信じさせるために「罪」意識を与えます。「罪」意識が与えられないと救いが救いになりません。恐怖は原始的な感情です。人間だけではなくすべての動物に共通してます。逃避するために恐怖があります。文明人は人工物に囲まれています。制度によって守られています。ですから恐怖は自覚しません。いったん恐怖を感じるといかに逃れるかに関心が向けられます。
このような手段を通して、裁判所は最初に統一教会だと明かさなかった。それは不当です。恐怖のために家系図を用いたのは不当です。名前を隠すのは常識で考えてたいしたことではないと思うでしょう。それは後戻りできない道です。引き返せない道です。恐怖と罪意識で意識が狭まります。考え方が変わるようにさせられたのです。昔は統一教会の名前を隠さなくとも付いていく人がいました。統一教会が悪いとは明らかでなかったからです。名前を明らかにして伝道すればそれがいいかが問われる必要があります。統一教会は真の目的を隠していること、目的が正しいと受け入れられるように嘘をついていることが許されません。宗教の選択は引き返しができないからです。判決文によりますと「宗教の選択は単なる一時的な商品の購入ではなく、その人の人生に決定的な不可逆的な影響を及ぼす可能性を秘めた重大なものであって、その人の内心的な自由に関わる重要な意志決定に不当な影響力を行使しようとする行為は自らの生き方を主体的に追求し決定する自由を妨げる」のです。決定は重要なのに、真の目的を隠しているのは何のためでしょうか。宗教信仰の選択の意味は重大だというのは至極当然です。結果として統一教会のアイデンティティが埋め込まれます。その人が形成していたアイデンティティを駆逐して統一教会のアイデンティティが頭の中に埋め込まれます。これは思想信条の自由が侵されたことです。なぜなら信じない自由がありますし、しっかりした情報提供の上で主体的な選択が保証されなければなりません。その結果献金します、物品を購入します、献身(無償労働)もします。統一教会では物品を買わせることには脅しはありませんでした。しかし物品購入さえもこのアプローチによって違法行為、不法行為として損害賠償を請求できます。その裁判は進行中です。献身の結果の労働賃金の損失請求は今までは負けていましたが、献身も不当行為の結果が出たのですから統一教会の献身による損害の回復の裁判が請求できます。献身は長くて7年半です。損害賠償額は慰謝料と合わせて3千万から4千万円になります。
それからアイデンティティが形成された結果、破壊された家族の例があります。夫が60歳近くなってしまい、救出が難しいので、妻や宗教団体と縁を切りたいとか、財産をすべて献金していましたので離婚請求をしてます。成立した上で統一教会に損害賠償を請求します。親子の絆の問題もあります。老境に達したときの老後をどうするか、回復できる被害額は大きくはありませんが、被害の一つとしてとらえています。二世の問題もつながっています。すべて損害としてとらます。本の中で私が統一教会のマインドコントロールについて書いています。機会がありましたら、読んでみてください。工夫の仕方では結果が許されないのだから、それを裁判所が認めるはずがありません。こうしたアプローチで裁判をやっている弁護士はあまりいません。こういった形でできるんではないかと考えています。