エホバの証人問題はなぜ起こるのか
山中正雄牧師
私は1984年に千葉で開拓伝道を始めました。1987年頃に一人の求道者から、エホバの証人となった友人を助けてほしいという依頼がありました。その証人と話し合いましたが、十字架か杭かで埒があきませんでした。また別の信徒の奥様もエホバの証人でしたが、十分に援助することができず、苦い経験があります。
1999年、私たちの教会に中澤牧師や伴さんを招き、お話しを聞いてエホバの証人問題と関わり 始めました。同年、草刈裁判があり支援に加わりましたが、敗訴したため保護説得ができなくなりました。2005年11月から草刈牧師を招き、三ヶ月に一回、救出セミナーを開催しています。今回は11月21,22日の予定で元証人も出席します。ほかの牧師たちにも参加を求めていますが、異端成敗はしたくないといいます。しかし、これは救出のためにしています。
説得は、相手の土俵の上でキャッチボールをすることです。相手の話の内容の矛盾を突くのが 基本です。それには忍耐が要ります。こつこつ定期的に継続していきます。証人を逆訪問することもあります。そうすると証人が間違いに気づいて下さることもあります。
ものみの塔は、不健全な機能不全宗教と考えられます。事実、機能不全家族との共通点が少なくありません。どの宗教にも教祖が存在し、その影響が甚大です。エホバの証人の場合、教会不信が原点にあり、キリスト教の教理を否定します。権威主義もその特徴です。支配欲がとても強く、統治体が絶対的な位置を占め、すべてを支配しています。組織の上にいくほど、支配欲が強いのがその証拠でしょう。健全な宗教は、リーダーが人に仕える姿勢を持っています。カルトの場合は、組織の上ほど悪くなります。
機能不全家族では、その中に強固なルールがあります。家族が共有する秘密があり、中に他人が入ることを嫌います。きまじめで、プライバシーがない。家族に対する嘘を隠す忠誠心があり、家族内に葛藤があっても否認します。
そうした特徴がエホバの証人の組織にはあります。支配と依存の関係が構造化されています。不健全なカルトでもハードなものとソフトなものがあります。オウム真理教、統一教会はハードなカルト、ものみの塔協会はソフトなカルトです。ものみの塔では、教義がころころ変化します。しかし、不健全さそのものは変化しません。うわべを取り繕うだけです。
たとえば機能不全家族の場合、その中で育つ子供はアダルトチルドレンになるといわれます。アダルトチルドレンには5つのタイプがある。一つはヒーロー、二つ目はスケープゴート、三つめは存在しないふりをする人、四つ目は道化師、五つ目は世話役です。同じように証人にも色々なタイプの人がいます。ある男性の元証人はとても明るい性格でした。今は教会に導かれキリストを信じて「真理をみつけた」といって喜んでいます。組織からは排斥され、無一物になりましたが、喜々として教会生活をされていました。
ある意味では、エホバの証人自身が組織の被害者といえるでしょう。末端の証人は正直者ばかりです。組織によりマインドコントロールされているのです。組織の中で、児童虐待や精神的虐待が多く発生しています。排斥処置がその一つで、脅迫などもあります。会話の中には、サタン がよく出てきます。楽園に行けなくなる、という言葉も多く、思考が単純化しています。
私自身は今、救出のため間接的支援をしています。ものみの塔の考え方は戒律主義、即ち律法主義です。それが根源的な悪であり、統治体が教祖になっている。神の代理人となっているからです。組織を拡張し、自己栄化し、高揚感に酔っているようです。特定の個人が組織を支配している訳ではありません。組織体としての誇りがあり、充実感と達成感が最終的な構造になっています。
信者数を調べてみると、1996年は21万人でした。現在も21万人です。これは組織に入る人もいるが、脱会する人も多いことを意味します。組織から出て苦しんでいる人のことを思うと、教会が被害者でもある元証人の受け皿になるべきではないしょうか。現実には、教会の牧師たちが無関心であることが問題だ、と感じます。教会自身が面倒なことにかかわりたくないと考え、避けています。教会がもっと関わるべき問題なのに、本当に残念です。
ものみの塔は、教会から生まれたガン(悪性新生物)といえるかもしれません。この組織の出版物にはいいことが多く書かれていますが、実際は中身は違います。まるで商品の不当表示のようなものです。これは社会の問題なのですが、教会が扱うべき事柄でもあり、ガン化しないよう教会自身も注意すべきでしょう。ブラジルなどの新興国ではエホバの証人が増えているようです。生体が元気だと、ガンの働きも活発になるわけです。
「白黒発想」は、境界性パーソナリティ障害の人に多く認められますが、エホバの証人にもあります。こうした発想があると自然な「感動」が失われていきます。証人は白黒発想を意図して創造し、恐怖心を増幅しています。組織の外は悪と考え、思考が停止するわけです。統治体がダメといえばダメ。その線で考え方が凝り固まる。恐怖心を植え付けるにはハルマゲドンが役立ちます。将来に対する不安を植え付けるわけです。
反面、おいしい「楽園」に入る希望を与えます。だから証人はがんばります。中で疑似家族を作ります。証人は現実に満足しているだろうか、と疑います。実際は不満を持つ人が入りやすい。機能不全に陥った家族ほど入りやすい。スキができてしまうからでしょう。
以前、オウム真理教の書物を読んだことがあります。書物の前半では世の宗教、社会の悪を厳しく批判する。後半では自らの組織の良さを自画自賛する。これは巧妙な手段です。これで若者たちがだまされました。
輸血禁止のおきての裏には、教会不信、人間不信が潜んでいます。世の医療に対する不信感が強いのです。組織は以前、精神病も医師にかからずなおそうとしていましたが、最近の「ものみの塔」誌では、うつ病の人は精神科医にかかりなさいと教えています。これはひどい話です。精神病者を作りながら、治療は丸投げするわけですから。
ただ最近は組織が弱気になりました。組織そのものが、病人を癒すことができません。今はあきらめムードが漂い、あまり威勢のよい話は出ないようです。辛い話を聞くと益々辛くなる。元気がでません。集会に出ても嫌気がさすでしょう。ですから証人とつきあう際には、まず証人を慰労することです。ぜひ話を聞いてあげましょう。彼らの生活は大変です。貴重な時間をとられているのですから。
ものみの塔協会には、支配と隷属しかありません。ある証人の葬儀に出席した人は、ここには逝去者への畏敬の念がないと感じました。使い捨ての組織であり、末端の信者は被害者といえるでしょう。
本質的な解決策は「白黒思考」を止めさせることです。具体的な方法は、世の交わりを増やすこと、世の優しさを伝えることです。それもじわじわとすることです。世の中に良い人がいることを伝えることが援助になります。証人は世の人に優しくされることを嫌います。愛の業、善をする人がいると困る。迫害をする人の方がよいのです。世の優しさが怖いので、遠ざかろうとします。
証人はよいセルフイメージがありません。自分に自信が持てない。ものみの塔のターゲットは、「自信が持てない」人です。人に対して肯定感を与えれば信頼感が生まれるでしょう。異端の人々も被害者であると見ていくと信頼関係を築けます。白黒発想ではなく、グレイゾーンが見つからないだろうか、と思います。そのためには正確な情報が必要でしょう。情報統制は、権力者には都合が良いのですから。正しい情報さえ伝えられれば、カルトの力は衰えていくに違いありません。
証人とのパイプは相互の信頼関係です。「ドアの向こうのカルト」の著者、佐藤氏はその「パイプ」を多く持っていました。だからこそ、あれほど大勢の人の脱会が可能になったのです。一番は信頼、二番目は情報です。
組織を憎むことと人を憎むことを区別しなければなりません。そうでないと根本的な解決にはならないのです。教会も本気でこの問題と関わるべきだと思います。救出の援助には、NTTが必要になります。忍耐のN、知識のT、チームワークのTです。なぜ忍耐が必要なのか。時間がかかるからです。証人には特別の思考パターンがあり、その話を聞いているだけで、疲れるからです。しかも教義がころころ変わるので、最新バージョンの冊子を読まないと話が通じなくなります。組織に対しては組織、チームワークが不可欠です。予防のための啓蒙活動も必要です。みんなで協力し合って、被害者を増やさないようにしたいものです。