定例研究会
第37回 定例研究会
ロンドンの下水道とバザルゲットの業績
斎藤 健次郎 氏
日時:平成18年10月5日(木)午後6時30分より
場所:東京・飯田橋の東京ボランティア・市民活動センター A会議室
電話 03-3235−1171
(セントラルプラザ 10階)
交通:JR・地下鉄 飯田橋駅下車1分
講師:斎藤 健次郎 氏
演題:ロンドンの下水道とバザルゲットの業績
講師の斎藤健次郎氏は、建設省(元国土交通省)を退官後、団体職員を経て現在は鞄水コン顧問をされておられます。工学博士。
主な著書、
「森鴎外と下水道」
「物語 下水道の歴史」
「英国における下水道技術の源流」他多数。
(運営委員 石井 明男)
10月5日の定例会の中で話される「ジョセフバザルゲット」のこと
ご存知のかたも多いと思いますが、少しだけ予備知識を提供いたします。
10月5日の定例会の中で話される「ジョセフバザルゲット」(1819-1891)は「ロンドンの下水道の父」と呼ばれます。
19世紀半ば当時、ロンドンではコレラが何度も大流行しました。当初は原因は不明でしたが、テムズ川の上流と下流は死者の数が違ったり様々なことが分かってきました。1853年スノウが、水道水汚染がコレラ流行の原因と突き止めました。
バザルゲットは水道水源であるテムズ川の汚染を減らすために、下水道計画立案しました。何度も反対にあったにもかかわらず「2万km下水管改良、50万立方の下水を集め、テムズ川北3本、南2本のしゃ集管の計画」を立案し、工事を推進しました。この偉大な工事は1875年に完成しました。
この話は、「物語下水道の話」斎藤健次郎氏著、水道産業新聞社(1998)に詳しく記述されています。
10月5日にはこの著者から直接この話を聞くことが出来ます。(石井)
ロンドンの下水道とバザルゲットの業績
斎藤 健次郎
平成18年10月5日(木)、東京・飯田橋の東京ボランティア・市民活動センターで定例会が開かれました。今回のテーマは「ロンドンの下水道とバザルゲットの業績」です。西欧の下水道事情に精通しておられる齋藤健次郎氏(現日水コン顧問、元建設省)に、特にお願いをしロンドンの下水道事始についてバザルゲットに焦点を絞って話していただきました。
ジョセフ・ウィリアム・バザルゲットは、永井久一郎や森鴎外の書いた文章にその名前が記されていますが、一般にはあまり知られていない人です。「ロンドンの下水道の父」といわれた土木技術者です。1819年にロンドン郊外で生まれ、30歳で民間のコンサルタントから首都下水道委員会に転職します。
この頃のロンドンは、屎尿を下水道へ強制的に流入させた施策が裏目に出て、テムズ河の水質汚濁、コレラの大流行が起き、その対策が議論されていました。
1850年にチーフ・エンジニヤに就任し、さらに首都事業委員会の設立とともにこちらのチーフ・エンジニヤになり、1859年からいよいよ、彼の大きな業績である、テムズ河の両側に幹線下水道を建設し、下水をロンドンにまで逆流しないはるか下流にまで遮集する事業を開始しました。途中、幾つかの中継ポンプ場を設けましたが、自然の勾配をたくみに利用した自然流下式の管渠です。南岸系統は1865年に、また北岸系統は1868年にそれぞれ稼動しています。この事業の完成によりコレラの発生は激減しました。
55歳の時、ナイト(卿)の称号を授かります。
しかし、この遮集方式は、あくまでも未処理での下水放流であったため、テムズ河の河口域が水質汚濁に悩まされることになり、1882年、王立首都下水処分委員会はついに未処理放流を禁止しました。そして、下水は沈殿処理し、汚泥は海洋投棄することになりました。
70歳まで勤め、その2年後に死去しました。享年72歳でした。
(地田 修一 運営委員)