定例研究会
第30回 定例研究会の報告
発展途上国における屎尿由来の寄生虫事情
小野川 尊
第26回屎尿・下水研究会とのジョイントで行いました。寄生虫の蔓延には、食生活や屎尿の取り扱いに関する風習が深く関わっています。わが国においても、昭和20年代まではかなりの寄生虫感染率でした。中国や発展途上国の実情も含めて、屎尿と寄生虫との関連性について豊富な経験に基づいて話していただきました。
発展途上国における屎尿由来の寄生虫事情
小野川尊 氏(元杏林大学客員教授、獣医学博士)
1.日本における寄生虫対策の成功
奈良県橿原市に位置する藤原京跡の発掘調査において、いくつかの穴(土坑)が見つかりました。これが便所の跡であるということの決め手になったのは、そこの土に含まれていた寄生虫卵の存在でした。検出された虫卵は、回虫、鞭虫、肝吸虫、横川吸虫などの虫卵でありました。このようにヒトと寄生虫との関わりが古代から存在していたのであります。
今でこそ寄生虫は珍しくなりましたが、戦後しばらくまでの日本は、寄生虫王国といわれるほど回虫などに感染した人が多くいました。戦後、当時の衛生事情は、赤痢の保菌者だけでも年間7〜8万人、腸チフス患者もおり結核も蔓延していました。昭和25年ではおおむね60%の人が回虫を保有していましたが、地元の保健所も赤痢をはじめとする伝染病対策に追われ、寄生虫対策まで手が回らないという状況でした。こうした中、昭和24年の暮れに官学民を一体にした寄生虫予防会が東京を中心に各県に設立され、その対策に乗り出しました。全国の小・中学校をはじめ各地域において、寄生虫の集団検査をし、駆虫予防活動を実施してきました。その結果、昭和35年度の統計では20%台、昭和45年度では0.2%台と激減し、短期間で寄生虫保有者は消失しました。この成功は、世界の寄生虫学者からもまさに驚異的なこととしてみられたのであります。
話が少し本題からはずれますが、実は、「この日本における寄生虫予防活動の経験」を活かし、「現在、増加する人口問題で悩む、特に発展途上国のために寄生虫予防を一つの手段として家族計画、母子保健の問題に寄与できないものだろうか」というこの考え方は、当時日本で寄生虫予防運動を展開しつつ、母子保健、家族計画運動に挺身されてきたリーダーの一人、故国井長次郎氏が発想された運動論でありました。簡単に申しますと、寄生虫予防を通じて地域の環境改善・母子保健・家族計画の向上に協力していこうということです。お母さん方も自分の子供のお腹の中に寄生虫が沢山いることがわかれば、びっくりしますし、それを駆虫してやれば子供の腹痛が治り貧血もなくなり、楽になったことが一目でわかりますので、「ああよかった」ということで母親自身があらためて身辺の環境・衛生の改善に努めよう、健康について改めて考えようという意識になります。この段階で、子供が健やかに育つよう栄養問題も指導します。さらに、こうしたことを契機に、母親の多産の弊害をなくす観点から母子保健や家族計画の分野への導入へと進展していくことになるでしょう。幸い、回虫・鉤虫の検査や駆虫は、比較的簡単で費用も安く、高度の医療技術を必要としませんし、駆虫の効果はすぐ出ます。駆虫薬の副作用も少ないので実行しやすいはずです。
まず、アジアから実践してみたいという願望から、日本の人口学者、寄生虫学者をはじめ民間団体として母子保健、家族計画の実施団体である家族計画国際協力財団と日本寄生虫予防会が協力して、アジア寄生虫予防機構を設立したのであります。
2.アジア寄生虫予防機構の活動
現在、全世界で1秒間に3人の新生児が生まれています。1日、約25万人ほどになります。発展途上国では概して、感染症の罹患率が高く多くの子供が死にます。だから労働力を確保するためにまた子供を生むという悪循環ができます。女性は子供を生む道具のようになってしまいます。
そこで、日本で成功した寄生虫予防の対策を足がかりにして、地域の環境衛生を改善し、健やかな子供の成長や母体の健康などまで喚起し、ひいては円滑な家族計画の実践につなげていこうということになり、前述のプログラムがつくられました。
1974年、第1回アジア寄生虫予防機構(APCO)会議が東京で開催されました。この席で前述の家族計画、母子保健、寄生虫予防の運動、すなわち、インテグレーション・プロジェクト運動(IP運動)が提案されました。アジアの寄生虫学者は、お互いにおおいにこのプログラムの実践に協力していきましょうということになり、アジア寄生虫予防機構の組織が活動を始めたのであります。まず、台湾で試み的に実施し、ここで成功し、次いで韓国でも大成功でした。こうして、このプログラムはアジア全域に広がっていきました。
寄生虫予防から入り子供の健康を増進し、さらには母子保健まで幅広く行う、人間的なこの家族計画の活動は、やがて、東南アジアの国々からタンザニアを中心としたアフリカ、メキシコなどの中南米の国々へと拡大し、そして中国へと広がり、民衆にも政府にも喜ばれる運動として展開していきました。
3.家族計画国際協力財団のインテグレーション・プロジェクト(IP)活動
家族計画国際協力財団(会長 岸信介氏)が誕生してから現在までに、このIP活動は、世界各地にフイールドを124箇所持ち、実践的に展開されています。
発展途上国では、ややもすると、援助をする立場の機関が現地から引き上げてしまいますと、たちまちその活動が立ち行かなくなることが多いのですが、このIP活動では、支援を受ける地域の人たちがその活動を自立して継続できるようになることに主眼を置いて指導しています。
インドネシア大学との共同研究で、北スマトラのある地区で寄生虫の感染経路の実態調査を行ったことがあります。その地域にはトイレがほとんどありませんので、野外(庭の木の下とか近くの川とか)で排泄します。家の周辺の土の中にはたくさんの寄生虫卵がいます。土1g中に2,000個ぐらいあることもあります。熱帯は気温が高いですから、すぐに成熟し感染可能な仔虫に発育します。雨が降るとこれらが流され、水路や川は寄生虫卵で汚染されます。子供たちは川遊びをよくしますし、また大人も水浴をしますので、このとき口から感染することもありましょうし、あるいは裸足で土の上を歩いているときに感染することもあります。風で飛んできた寄生虫卵を飲み込むこともあるでしょう。
仮にトイレがあっても便つぼ以外のところに糞便が拡散し易い不完全な構造であると、やはりトイレの周辺の土に回虫卵が多く含まれています。これは、子供たちがトイレを利用せずトイレの側で用を足してしまうことも一因です。ゴミ捨て場の近くでも多いですが、これもたぶんこの辺りでも子供が排便するからだと考えられます。
上記のようなエリアもありますが、インドネシアは政府と民間活動がうまくかみあって、すばらしいIP活動を実践し、自立の道を歩んでおります。
4.寄生虫の感染経路
ここで、人体に寄生する代表的な寄生虫の生活史をみてみましょう。
まず、回虫です。これは、土壌を介して伝播するもので、開発途上国の農業従事者にとって大きな問題となっています。感染者は世界で約九億人にのぼるとされています。
回虫は雌雄異体で成虫は小腸上部に寄生し、ここで虫卵を産みます。1日に成熟した雌1匹はおよそ20万個の卵を産みます。受精卵は糞便とともに排出されると、外界の好適条件下で発育し卵殻内で幼虫が発育します。これを幼虫包蔵卵といいます。ここの段階で、初めて感染能力が生じます。すなわち、この虫卵が経口的に摂取されると小腸で孵化し、体長0.2〜0.3mmの幼虫になります。成虫になるのに2〜3ヶ月を要しますが、この間、小腸から肝臓、心臓、肺を巡り、気管に達し、嚥下され再度小腸に戻りここで成虫となるのです。メスの成虫は長さ20〜35p、オスの成虫は14〜28pに達します。
症状は、一過性の限局性肺炎、消化器障害、神経障害、迷入など様々です。
次に鉤虫です。回虫と同様に土壌伝播で、世界で約8億人が感染しています。
小腸上部の粘膜に咬着している成虫(雌雄異体、体長およそ1〜1.2cm)から産み出された虫卵(産卵数;1日約1万個)は、糞便とともに外界に排出されます。外界で、適当な温度、湿度のもとで発育が進み、幼虫包蔵卵から孵化、脱皮して感染幼虫になります。
経口感染(ズビニ鉤虫)は、幼虫が付着した野菜などの生食によります。また、裸足で土の上を歩いたりしたときに、経皮感染(主としてアメリカ鉤虫)が起こります。感染幼虫が経口摂取された場合は、小腸粘膜内で成長して2〜3日で成虫となります。経皮感染した場合は、血流やリンパ流に乗って心臓、肺を通過し、気管支、喉頭、咽頭、食道、胃を経て小腸に達し、粘膜に侵入後再び小腸腔に戻って発育し、成虫となるのです。
症状は、貧血や消化器障害を主徴とします。
次は鞭虫です。世界で3〜4億人もの感染者がいます。雌雄異体で4〜5cm、1日1,000個くらい産卵します。少数の寄生ではほとんどが症状がでませんが、多数の場合は腹痛を伴います。寄生部位は盲腸です。産卵された虫卵は外界で適当な温度、湿度のもとで急速に発育して幼虫包蔵卵となります。これを経口的に摂取すると感染します。小腸で孵化し、盲腸に達して成虫となります。
5.中国における寄生虫対策
中国の上海から北西に約60キロメートルほど行ったところに、長江(揚子江)の南に面した田園風景の広がる農村地帯に大倉(タイソウ)市があります。ここには、寄生虫の検査センターがあります。中国の寄生虫問題に関する指導的な教育機関でもあります。
センターを立ち上げる時に私も関わりましたが、中国政府の許可のもとでの、きちんと位置づけされた機関です。開所式の日に、持参した赤い羽根募金によって購入した顕微鏡10台を寄贈しました。検査部門のほかに診療部門も持っています。寄生虫の感染源となるトイレの改善や飲み水の安全確保など、住民の衛生に対する意識を向上させるための指導が大きな目的でした。
春、3月といっても寒い時期に20日間ほどの短い期間でしたが、各省から派遣されて来た技師に寄生虫検査の教育を行いました。受講生はたいへん熱心に私たちの指導内容を吸収してくれました。現在では、中国・31省に寄生虫の検査機関ができ、寄生虫の撲滅、トイレの改善、母子保健の推進に寄与しています。
一般の学校でも、週に5時間、衛生教育の授業を行っています。教材として、手洗いの励行、飲み水の扱い方、寄生虫の基礎知識などの情報をポスターにして全中国に配布しました。これにも、赤い羽根募金の資金を使いました。鉛筆とかノートも提供しましたが、大変喜ばれました。寄生虫卵を顕微鏡で見せたりして、衛生教育をしました。質問をすると、子供たちは熱心にこれに答えてくれました。親、とくに母親が子供の寄生虫駆除対策に協力してくれるようになってきました。婦人会を中心にした組織ができあがり、以後の活動が継続的に展開されました。
トイレに関してですが、涙が出るくらいアンモニアの臭いがし、ハエがブンブン飛んでいるような小学校もありました。農家の人が定期的に汲み取りに来て、堆肥にして農地に撒くのだそうです。IP活動が展開されるようになってから、衛生面の教育も行き届くようになって、トイレの出口に蛇口を付け、手洗いもきちんとしてくれるようになりました。
招待所のような所のトイレを使わせてもらいましたが、一見、水洗トイレのようなのですが、よく流れないのには困りました。3回ぐらい水を流しました。どうもその末端に本当に処理施設があるのかについては、面と向かってたずねることはできませんでしたが、もし聞けば、「3槽式の改良便所なので汚水はきれいになっています」と答えるでしょう。しかし、風呂の水も台所の排水も一緒で大量ですから、3ヶ月間という処理日数を保てずとても処理機能を発揮しているとは思えません。役所の担当者には、排水量を適正にしないと効果を発揮しない旨をコメントしてきましたが、このあたりがこれからの課題です。
便所(簡単なものですが)の屎尿は、汲み取って農地に撒いています。農地の土壌をとって調べて見ますと、寄生虫卵がたくさん検出されました。ここで育てた野菜の葉にも寄生虫卵が結構付いています。よく洗わないで生野菜を食べると、寄生虫卵が人体に入ってしまいます。最近、有機農業が推奨されていますが、よく腐熟して寄生虫卵を殺した屎尿を使わないと、寄生虫に感染しかねないことになります。
豚トイレも見ました。人の糞便を豚に食べさせて処理するわけですが、豚の回虫卵も人に感染しますので要注意です。
雲南省の江川(コウセン)県では、メタンガスを発生する改良トイレを推奨しています。メタンガスは台所の燃料やランプとして使います。このトイレの設置には約2,000元(日本円;3万円)を要し高価ですが、2年で元がとれるそうです。それは、燃料としての薪を取ってこなくてよいので(森を破壊しなくてもよくなる)暇ができ、この時間を副業にあてることができる、また、良質の下肥が得られるので良い野菜ができるから信用があり、それらの販売で利益が出るからだそうです。現在は、我先に、皆がこのトイレを設置しょうとしています。
余談ですが、寄生虫予防の観点からだけですと、郊外の地域では、ここまでしなくても、2つの穴を掘っておいて、1つの穴が屎尿でいっぱいになったら、もう1つの穴をトイレとして使い、この間に一方の穴に溜まった屎尿を腐熟させて汲み取って農地に撒くという交替式でも十分でないかと思います。要は糞便中の寄生虫卵を殺して衛生的に安全な下肥にしてから農地に撒くことが重要なことなのです。
6.おわりに
寄生虫撲滅にせよ、トイレの改善にせよ、なにかをやる時には、組織を作らなければなりません。みんなでよい衛生環境をつくろうという意識が生まれてこなければなりません。その点中国では、一人っ子、あるいは二人っ子(地方では)政策ですから、子供に対する予防衛生には非常に気を使っています。栄養指導その他をきちんと管理しています。「少し産んで、よい衛生環境をつくると、一生楽しく過ごすことができる」というのが、スローガンになっています。いかにも大中国らしいですね。
ご静聴ありがとうございました。
(本講話は、平成16年3月2日に東京・飯田橋の東京ボランティア・市民活動センターの会議室で行われたものです。)