定例研究会
第27回 定例研究会
都市生活者は雨と生活のかかわりをどう考えているか
酒井 彰 氏
一昨年、会員の皆様にもご協力いただいたアンケート結果をご報告するということも兼ねております。是非とも、多数ご参集いただきたいと思います。
記
講師:酒井 彰氏
演題:「都市生活者は雨と生活のかかわりをどう考えているか」
日時:3月7日(金)午後6時30分から
場所:日本水道協会会議
定例研究会報告
てるてる坊主から雨水学まで
−日本下水文化研究会から学んだこと−
長尾 愛一郎(雨水利用を進める全国市民の会)
この3月、日本下水文化研究会の定例研究会で酒井彰さんの発表「都市生活者は雨と生活のかかわりをどう考えているか」を傍聴する機会があった。2001年に行われた「都市の浸水リスクについてのアンケート」の報告を兼ねたものだった。
都市雨水に起因する環境リスクとして浸水リスクと環境汚染リスクを上げ、リスクをもたらした背景や原因を分析し、リスクの軽減策を都市雨水管理計画によって導入する研究の一環としてアンケート調査が実施されたのである。アンケートの結果、都市生活者の浸水リスク・環境汚染リスクの認知レベルは高くないが、適切な情報を提供することによってリスクの認知レベルが向上することが明らかになった。
このアンケートには私たち雨水利用を進める全国市民の会(以下、市民の会)も協力させていただいたことから、定例研究会には市民の会から3名が参加した。
この発表を聞きながら、下水文化研究会からこれまでに多くのことを学んできたことに改めて気づいた次第だ。私自身の水への関心の推移を含め、その点を振り返ってみたい。
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1984年ころのことだった。淀川流域は枚方市に暮らす主婦から「私たち大阪の住民は京都のオシッコを飲んでいるんです」という発言を聞いて、私は都市の水問題に一挙に引き込まれてしまった。宇治川、木津川、桂川の三川が淀川に合流する直前に下水処理場が集中している。その放流水を大阪府の浄水場が水道原水として取水することから、淀川上流域の大阪市民はまずくて臭くて危険な水に悩まされていたのだった。トリハロメタンによる水道水の汚染が新聞報道を賑わせ始めていた時期である。
それ以来、飲み水の汚染や環境破壊の現状に関心を持ち続けてきた。そのうち、汚染を追及するだけでは不十分だと感じはじめ、雨水利用東京国際会議(1994年8月)の実行委員会に参加して、具体的な課題のために行動することの大切さを学んだ。
日本下水研究会との出会いはこの会議のときだったと思う。セッションのひとつで稲場紀久雄さんが「てるてる坊主の研究」を発表された。てるてる坊主の源流が神道にあり、後に仏教がかかわって大衆化したという説は興味深かったし、「ふれふれ坊主」の存在や、京都・貴船神社の黒馬(祈雨)と白馬(祈晴)のように雨乞いと晴乞いがセットになっていることを知って雨のテーマがますます魅力的なものになった。市民の会では、2001年12月に3年半に及ぶ編集会議を経て「雨の事典」を出版したが、稲場さんに「てるてる坊主」の項目の執筆をお願いしたことはいうまでもない。
その後、市民の会主催の‘95雨水フェア「雨水でまちを守る」では、1月17日に勃発した阪神・淡路大震災の教訓を踏まえて、「現代下水道の欠陥と対策」のテーマで稲場さんにお話しいただいた。稲場さんは、「疫病の予防」という現代下水道の原点に立ち返り、緊急時に下水道機能の代替処置を講ずることが重要であると強調された。芦屋市内の公園の池で水浴びする人がスライドに映し出されたが、その映像は今も目に焼きついている。
2000年8月の雨水フェアinすみだ「何故まちは雨に弱くなったか」では、酒井彰さんが「雨から遠ざかった都市生活」のタイトルでお話をされた。99年7月に新宿区西落合で起きた地下室への浸水による死亡事故が事例であり、ハザード要因(被害をもたらす危険要因)の蓄積によって降雨による浸水リスクが高まることの検証だった。都市生活者の水に対する感受性の麻痺も人的なハザード要因のひとつだが、それを都市の病理と指摘されたことは強い印象を残した。では都市型水害に対しては何をしたらよいのか。リスクマネジメントによって備えるべきだという答えが用意されており、その手法には説得力があった。
2003年3月21日〜22日に「世界水フォーラム雨水利用h京都」が京(みやこ)ェコロジーセンターで開催された。雨水利用に取り組む市民、事業者、研究者、行政のネットワークを作るための会議だ。まとめの分科会「雨水学を語ろう」で酒井さんがパネラーのお一人として問題を提起された。都市雨水計画学の立場から、従来の学問領域を超えて人と水循環系をつなぐ視点が盛り込まれた内容だった。
下水文化研究会から学んだことは多いが、とりわけ教えられたことは、会の名称である「下水文化」にこめられた内容の普遍性である。また、問題を解決したり計画を設計する際の手法の緻密さである。下水文化とは、個人と下水、社会と下水の付き合い方が成熟した段階に入っていることを意味する。研究会の活動に即して私なりに補足すると、文化の概念が成立するためには、水環境を自分の問題としてとらえその悪化に気づく感性を持つことが不可欠である。技術への過度の依存を制御できるか否かも文化の成熟度にかかっている。地域や国家が継承してきた歴史や伝統を尊重したり過去の災害から教訓を引き出
して未来へ生かす姿勢も文化のあり方のひとつである。以上の前提には市民一人一人が下水道への理解を深め、他人まかせにしない参加意識が求められている。
今、水に関心を持つ人であれば誰でも、限られた水資源といかに付き合うかという課題に直面せざるを得ないだろう。雨水利用や雨水浸透への取り組み、上水道や下水道の見直し、湧水や水みちの解明・復元、水を浪費せずに資源化も図る屎尿処理システムの模索、雨水循環をはぐくむ建築など、さまざまな試みや実験がなされている。そのとき、下水文化研究会がいう「文化」の概念をそれぞれの立場でいかに中身のあるものにするかが問われている。
参考1:兵庫県で行われた講演会「まちづくりと雨水のマネジメント」(2月7日)において同様の主旨で行った講演「都市雨水問題の解消に向けた役割分担(住民・行政・NPO)」のスライドです。 (PDFファイル、但し正しく変換されなかった一部スライド除いています。)
参考2:アンケート調査結果(MS Excelファイル)