多摩源流祭
多摩源流祭りへのお誘い
多摩源流の小菅村で例年通り多摩源流祭りが開催されます。多摩川源流には東京水道の水源林があります。水源林を育て、守っ た"山の御爺"中川金治については、昨年のバルトン忌での稲場教授の講演のテーマにも取り上げられ、多くの人たちに再び関心を呼び起こしました。(ふくりゅう23号参照)
日本下水文化研究会では、以下の要領で多摩源流祭りへの参加者を募ります。今年のゴールデンウィークにはご家族おそろいで、日本一のお松炊き、真下から見る花火を堪能し、そして東京の水の源を訪ねてみませんか。参加は、会員・非会員を問いません。
記
日時:5月4日〜5日(宿泊:小菅村・山水館)
予定:5月4日(多摩源流祭り:夕方からお松炊き、花火大会)
5月5日(多摩川源流水干までハイキング)
集合場所:5月4日10時 八王子駅北口タクシー乗り場
参加費:9,800円(子供7,800円)
なお、本会では、中川金治の顕彰、水を守るため上での森の大切さを広く認識してもらうため、この秋にイベントの開催を小菅村をはじめとする源流域の自治体に呼びかけています。その成功のためにも、この機会に多くの方に源流域への関心を深めていただけたらと思います。
秋の多摩川源流の祭典「水と森と食の祭典」 最終プログラム
本会は中川金治撮影の写真を展示
前回お知らせした多摩川源流のイベント「水と森と食の祭典」のプログラムは以下のように決定しました。なお、主催は小菅
村、多摩川源流研究所、(財)水と緑と大地の公社、小菅村観光協会、小菅村商工会、水と森と食の祭典実行委員会となり、小菅村を中心として開催されること
になりました。本会は、水と森と食の祭典実行委員会の加盟団体として名を連ねています。本会は、「中川金治翁をしのぶ会」で用意した東京都水道記念館所蔵
の中川金治撮影の写真を展示します。
また、かねてから本会は源流4市町村(塩山市、小菅村、丹波山村、奥多摩町)が協力してこの祭典を催すことを強く要望し
ていましたが、7月30日この4市町村が多摩川源流協議会を発足させました。源流域の4市町村の協力関係が形成され、来年から多摩川源流協議会が源流の祭
典を企画することも考えられているようです。
紅葉も色づいた秋の一日、多くの方の参加をお待ちしています。
参加定員150名(先着順)
参加料金:10,000円(1泊2日、宿泊、パーティ、温泉含む)。
申し込み、問合せ先は、小菅村役場(TEL 0428-87-0111)。
10月19日(土)小菅村中央公民館ほか
水と森と食の祭典
講演『巨樹からのメッセージ』 平岡忠夫氏(巨樹の会主催)
報告『水源林を造った人々』 稲場紀久雄氏(大阪経済大学教授)
シンポジウム『水と森と川を語ろう』
コーディネーター・石田幸彦氏(八王子ランドマーク研究会)、コメンテーター・菅沼栄一郎氏(朝日新聞記者・元ニュースステーション解説者)、村崎修二氏(猿まわしの第一人者・伝承者)
平岡忠雄巨樹展
交流立食パーティ
主催
小菅村・多摩川源流研究所・(財)水と緑と大地の公社・小菅村観光協会・小菅村商工会・水と森と食の祭典実行委員会(加盟団体:日本下水文化研究会ほか約20団体)
協力
東京都水道局・国土交通省京浜工事事務所・多摩川源流協議会・世界水フォーラム・全国簡易水道協議会
10月20日(日)小菅の湯周辺
小菅村・第5回大地の恵祭 源流の魅力を体験しよう!
多摩川流域子供交流会(世界子ども水フォーラム)
源流の森の再生(間伐作業体験)
多摩川源流郷土芸能(大菩薩御光太鼓など)
郷土食の体験(こんにゃく・ワサビ漬け)
多摩川源流の産業・特産品体験(竹、つる細工)
道志・小菅源流特産品交流会
多摩川源流「水と森と食の祭典」 開催される
さる10月19日山梨県小菅村において、交流と体験の集い「水と森と食の祭典」が開催されました。水源、森と川について語り合い、源流の"うめえもの"
を満喫しようという催しです。当日は雨模様にもかかわらず(こういうイベントに参加している方たちですから、雨も当然恵みの雨と理解されているでしょ
う)、会場に入り 切らない参加者があり、講演、報告、シンポジウム、そして山の幸がテーブルいっぱいに並んだパーティーは、どれもたいへんに盛り上が
り、まさに「祭典」となりました。
さて、かなり早い目に到着した我々日本下水文化研究会からの参加者は、中川金治翁撮影の写真を会場に並べる作業を終え、小菅村にある原始村(下水処理場近くにあるキャンプ場)でゆっくりとそばを堪能し開始を待ちました。
小菅村村長の挨拶の後、大阪経済大学稲場教授が、「水源林を造った人々」と題して講演を行いました。約ひと月前に行われた中川金治翁をしのぶ会の報告な
ども含め、日本下水文化研究会会員向けの講演とは一味違った語り口で、たいへん熱の入った講演でした。とくに、後半ではご自分で絵もお書きになった『山に
なったおじいさん』と言う絵本を朗読され、挿入歌まで歌われ、我々はまさに驚嘆いたしました。
最後は、富良野の東大北海道演習林に36年間奉職し、その間一度も本郷の教壇にたたなかったと言われ、『どろ亀』さんと敬愛された東大教授・高橋延清氏
の詩『森の世界』を朗読されて締めくくられました。その詩のなかでは、「森には無駄がない。植物も動物も微生物もつらなっている。一種の生きものが支配す
ることのないように神が定めた調和の世界だ。森にはウソがない。」と詠まれています。
講演後、右の写真のように中川金治翁撮影の明治時代からの水源林の写真を多くの方が見入っておられました。なお、中川金治翁については、「ふくりゅう」28号、しのぶ会の記事をご参照願います。
続いては、巨樹の会を主宰されている平岡忠夫氏の『巨樹からのメッセージ』と題する講演が行われました。平岡氏は元東京都水道局浄水部長をなされた方
で、在職中より始められた、全国の巨樹の絵はすでに2139枚に達し、なんと「3000枚を描く」ことをライフワークとされているとのことです。現在は、
東京都奥多摩町立の巨樹ミューゼアムをベースに、学習の場を提供し、「巨樹は環境のセンサー」という認識が森を守ることに通じると主張され、全国に訴えて
おられます。さらに、巨樹・巨木林調査を実施したり(その結果は環境庁の調査結果に反映されている)、御蔵島で台風の災害地への植林運動なども行っておら
れます。もうひとつ付け加えれば、1990年に日本下水文化研究会がその前身の時代に稲場先生、谷口運営委員らが企画した多摩源流祭でのシンポジウムでも
「源流の森と巨樹」と題して講演を行っておられます。
講演は巨樹の絵(会場で展覧会も開催されていた)、植林のビデオ、そして作成途上にある巨樹マップを披露されながらの熱の入った講演でした。「巨樹群生
こそ本来の森林生態」、「感謝の心が原点の巨樹信仰」、そして、巨樹の森を守ることが人々の暮らしを守ることに通じるという訴えは、私にとっても多くの参
加者にとっても森に対する新たな見方を提示してくれました。そして、講演中絵やマップを持たされた多くの方々にもお疲れ様といいたいと思います。
この後のシンポジウムにコメンテーターとして出席された村崎修二氏によれば、この2つの講演はもう芸と呼んでもいいということでした。本物の芸人が言うのですからそうなんだと思います。参加者の心をしっかりとつかんだ講演でした。
講演の次は、元ニュースステーション解説者菅沼栄一郎氏と猿まわしの第一人者でその伝承者である村崎修二氏をコメンテーターとするシンポジウム『水と森と川を語ろう』でした。進行役は名コーディネーター石田幸彦氏(八王子ランドマーク研究会)が努められました。
日本下水文化研究会のシンポジウムでは、コメンテーターの発言で進んでいきますが、この日の進行は、実行委員会を構成する多くの参加団体、参加者から次
々と活動報告や川や森への思いが語られていきました。コーディネーターのお二人はむしろ聞き役に回っていました。そして、なぜか村崎さんのギターの弾き語
りも間に入るというまったくユニークなシンポジウムでした。
私もマイクを回され、「いま日本下水文化研究会からなぜ参加者が少ないのか考えているところ。会員の多くは下水道や水道に携わっており、ここに参加され
た団体や個人の方々と、たとえ手段は違っても水を守ろうという志は同じはず。もっと連携できるように働きかけたいと思う。また、源流の人たち一人一人が都
市の人が利用している水を汚さないように努めておられることを都市の人たち(水にかかわる行為を上下水道に依存してしまっている)に伝えることも日本下水
文化研究会の使命と考えている」といった主旨のことを述べました。小菅村で森を守っている人、地域で川を守ったり、環境学習を進めたりしている方々の前で
したが、交流のきっかけになればと思います。
さて、外の雨は強くなりましたが、夜は、村役場の2階での交流パーティーです。ヤマメのすし、イワナ、そば、こんにゃくの刺身、地酒(これは小菅の酒ではありませんが)、山菜のてんぷらと山の幸でいっぱいでした。(下の写真をご覧ください)
交流の輪も広がり、そのなかで、稲場先生の絵本の出版の話も持ち上がっていたようです。もちろん宴は役場の2階では終わらず、残ったうめえものを宿に持ち込んでの酒宴は続きました。
右の写真は我々が宿泊した「ひろせ旅館」での様子。稲場さん(左)、藤森さん(中央)と盃を交わしているのがコメンテーターをつとめられた村崎さん。
ちょっと紹介しますと、本仕込みの伝承を掲げた『猿舞座』の座長さんで、毎年全国行脚をされています。猿回し、歌謡、口上芸をなさっておられる芸能人で
す。小沢昭一、高石ともやと交流があり、民俗学者宮本常一に師事され、京大霊長類研究所の共同研究員でもあったという人。話が始まるともうとまりません。
でも私たちが興に乗った勢いでリクエストした高石ともやの歌にも応えてくれました。いつの間にか、同じ旅館に宿泊しておられた「毒キノコを賞味する会」と
いった怪しげな会の方々も加わり、話の尽きない夜になりました。
翌日は、小菅村・大地の恵祭でしたがあいにくの雨、子供交流会、源流の森の再生などのプログラムはどうかなと思いましたが、子供たちは多摩川源流研究所
の井村さんを先頭に源流部へ向かっていきました。宿酔の我々は、「小菅の湯」に浸かり、小菅村、そして横浜市の水源林のある道志村のお土産、そしていつも
五月の源流祭でお世話になっている山水館のおかみさんからのお土産を手に帰途につきました。
このように今年のイベントは「祭典」という言葉が決して大げさではないほど盛会でした。日本下水文化研究会としても、当初中川金治翁を顕彰することをメ
インに据え、多摩川源流の4市町村(塩山・奥多摩・丹波山・小菅)が共同で開催することなど求め発案したわけですが、なかなかそのようには進まず、「金治
翁をしのぶ会」は前号でお知らせしたように別途に行うことになりました。(経緯はふくりゅう27号参照)
その結果、この日の催しには呼びかけた側でありながら、十分協力することができませんでした。
源流4市町村で、市町村合併を視野に入れた源流協議会が結成され、さらに規模の大きなイベントに発展する可能性もありますが、実施体制の面では本会の協
力が不十分だったことも含めて反省する必要があったように思います。今回の実行委員会のように参加団体が多い場合、各団体の活動を尊重しながら協力し合う
というのは容易なことではないように思います。幹事団体を決めたり、日常の交流を欠かさないといったことがないと難しいと考えます。
(文責 酒井 彰)
中川金治翁撮影の 歓談は終わりなく
水源林の写真を見る参加者
テ−ブルに並んだうめぇもの
交流パ−ティの参加者