「1997年ネパール人ゴビンダさん冤罪事件」「1997年フィリピン人ロザールさん冤罪事件」「2000年ブラジル人トクナガさん冤罪事件」「2001年ナイジェリア人ジャスティスさん冤罪事件」「2001年チリ人モラガさん冤罪事件」「2002年イギリス人ニック・ベイカーさん冤罪事件」ここでいう冤罪事件とは本人、弁護士、支援者が冤罪として主張し、闘われていて、客観的に見て犯罪の実証に結びつく証拠が乏しいもしくは存在しない事件のことです。
http://www.jca.apc.org/~grillo/
日本では冤罪に関しては外国人差別はない、と言いきる人もいます。なぜなら日本の司法・刑事手続のシステムと体質の現状では、日本人も等しく冤罪におとしめられる可能性を持っているからです。しかし、言語にハンディキャップがあること(取り調べや裁判過程における適切な通訳の不在)、事件当初からサポートできる友人知人の不在、警察の持つ外国人に対する偏見などから考えて、この日本では外国人はきわめて冤罪におとしめられやすいといえるかもしれません。
東京拘置所に収監されている外国人被疑者の面会訪問に取り組んでいるボランティアグループ「ゆうの会」のスタッフが2003年末、筆者に次のように語ってくれました。「拘置所にいる外国人は大変なことになっています。万引きやちょっとした窃盗など、大きな事件ではありませんが、冤罪事件が多発しています。」
このような外国人犯罪者増加による治安悪化のキャンペーンの根拠となる犯罪統計が存在しないことを指摘しておきます。過去10年にわたる警察統計を見ても「来日外国人」の犯罪が全体の犯罪に占める率は、長期的に見ても安定して2%前後で、97%の犯罪は日本人によるもので、とても「治安悪化」の原因を外国人に押しつけることはできません。
そもそも日本人ならお巡りさんのお説教で終わってしまうような小さな事件も、相手が外国人となると、警察では「全件起訴」が建前となっています。したがって身体拘束、取り調べ、起訴の段階から「犯罪者」とされてしまう可能性は日本人より大きいといえます。つまり最初のカウントの段階から不公平なのです。
奈良大学社会学部助教授の間淵領吾さんはWebサイト上で「新聞犯罪報道における容疑者の国籍−国籍別「犯罪者率」との比較−」という論文を発表し、次のような結論を報告しています。
http://www.k3.dion.ne.jp/%7Emabuchi/lectures_nara/nwsppr_ntnlty.htm
第1に「1998年度前半の朝日新聞に関して、新聞の犯罪報道における容疑者・犯人の国籍は、外国人による事件の場合、日本人よりも多く報道されている。」第2に「1998年度の外国人の『犯罪者率』は、日本人と同じか、それ以下である。日本に住んでいる外国人は、日本人と同様に、あるいはそれ以上に、法律を守って暮らしている。」第3に「来日外国人の犯罪者率を罪種別に見ても、凶悪犯については日本人並み、その他の罪種に関しては明らかに日本人より低く、来日外国人が日本人より特に凶暴であるとは言えない。」第4に、「『その他の外国人』の犯罪者率を罪種別に見ると、近年は、概ね日本人の4割程度に過ぎない。」第5に、「『来日外国人が増加すると犯罪が多発するようになる』と考える日本人は少なくないのは、犯罪報道のあり方が多少なりとも影響を及ぼしているのではないかと推測できる。我々は、客観的データに基づいて冷静に判断するべきである。」
「コムスタカー外国人と共に生きる会」の中島真一郎さんは一連の外国人犯罪者増加キャンペーンに対し当局の犯罪統計をもとにWebサイト上で批判的分析を発信しています。
http://www.geocities.jp/kumustaka85/intro.html
次のサイトも参考になります。
http://www.dear.or.jp/world/culture/index_com01.html
http://www.janjan.jp/government/0404/0404092966/1.php
http://www.janjan.jp/government/0404/0404092960/1.php
http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20050207.html
また、警察統計の分析については、次の書籍を参考にしてください。
街角に張られる防犯ポスターの中に、時折外国人排斥をあおるものが存在します。
http://www.jca.apc.org/~grillo/koban/koban00.htm
2000年4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地での創隊記念式典において、「今日の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪をですね、繰り返している・・・もし、大きな災害が起こったときには、大きな騒擾事件すら想定される」と発言し物議を醸し出しました。その後も石原氏は、排外主義的な言動、外国人を犯罪者あつかいする言動が目立っている事は承知のことと思います。2001年5月8日付け『産経新聞』の「日本よ」と題する文章において、中国人同士の犯罪事件に関連して「こうした民族的DNAを表示するような犯罪が蔓延することで、やがて日本社会全体の資質が変えられていく恐れがなしとはしまい」と述べています。2003年7月22日朝日新聞朝刊東京版「石原知事発言録」には「(罪をおかした外国人を)捕まえても、変な人権派の弁護士が来たり通訳が必要だったりする・・・・・」との発言が記録されています。2006年8月30日には、五輪開催に関して福岡の応援演説をした姜尚中・東大教授に対して、「怪しげな外国人が出てきてね。生意気だ、あいつは」などという発言をしました。2006年9月16日付けの朝日新聞で、「総合危機管理講座」創設委員会・「9.11 日本を守る有志の会」主催のシンポジウムにおいて、石原慎太郎東京都知事が「不法入国の三国人、特に中国人ですよ。そういったものに対する対処が、入国管理も何にもできていない」と発言したと報道されています。
2003年7月13日付けの各新聞で、衆議院議員江藤隆美議員が7月12日に福井市内で開かれた党支部定期大会で講演し、「朝鮮半島に事が起こって船で何千何万人と押し寄せる。国内には不法滞在者など、泥棒や人殺しやらしているやつらが100万人いる。内部で騒乱を起こす」(毎日新聞)、「新宿の歌舞伎町見てみなさい、第三国人が支配する無法地帯。最近は中国やら韓国やらその他の国々の不法滞在者が群れをなして強盗をやってる」(毎日新聞)、などの発言をしたと一斉に報道されています。
2003年10月17日、東京都・警視庁・法務省入国管理局・東京入国管理局より、「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」が出されました。
その宣言の中で、不法滞在外国人の現状を、「不法滞在者約25万人(推計)の約半数が首都東京にとどまっていると推測」「不法滞在者は犯罪に手を染める」「暴力団等と結託し,あるいは犯罪グループを形成する」「凶悪犯罪に関与する者も増加」「一部不法滞在者の存在が,多発する外国人組織犯罪の温床となっている」としています。そのため、法務省では、東京都及び警視庁とともに、「まずもって、不法滞在者の多くが集中する首都東京の不法滞在者を今後五年間で半減させる」として外国人狩りを宣言しました。
それに対し移住連(移住労働者と連帯する全国ネットワーク)では「『首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言』に対する声明」を発しました。
http://www.jca.apc.org/migrant-net/Japanese/whatsnew/wn_statement_20031110_j.html
その中で移住連は「今回の『共同宣言』は、外国人、特に正規の在留資格をもたないものへの排外主義の煽動であり、『共同宣言』にあるような取締の強化は、日本で暮らしている外国人に対して深刻な人権侵害を引き起こすもの」とし、さらに「不法滞在者」が犯罪の温床だとする当局に対し「2002年における東京都の刑法犯検挙人員4万7828人のうち、『来日外国人』刑法犯は2027人でその構成比は4.2%、『不法滞在者』刑法犯469人の構成比は0.98%にすぎず、『不法滞在者』は犯罪の温床ではない」と反証を上げています。
さて、以上は警察やマスコミ発表の組織的排外主義扇動のお話でした。じつは話をここで終わらせてしまうと、とんでもない落とし穴に落とされてします。「外国人は治安を悪化させる」との根拠のない扇動に対し「比率として見れば増加している事実はない」と突きつけることは大切です。しかし、外国人犯罪の増減を問題にすること自体に差別がある事を指摘しなければなりません。国際化の進行と共に、外国人人口が増えれば、実数としての犯罪者も増える。これは当たり前のことです。それに特定の民族あるいは国籍と、犯罪とは因果関係を持たないことは自明のことです。もし我々が特定の民族や国籍と犯罪とを結びつけるとすれば、それは異質な者に対する一般的な日本人の側の不安を反映しているに過ぎないのです。特定の国籍の人たち、特定の民族集団、あるいは外国人一般をひとくくりにしてその犯罪者数(率)の増減を問題にすることにそもそも何の意味があるでのしょうか。もし意味があるとすれば、次のような視点を我々が持つときだと思います。すなわち、ある社会の特定なグループの犯罪者率が増加するような現象と、そのグループがその社会の中でスポイルされていたり、劣悪なあつかいをされていることとの因果関係の可能性を考えてみなければならないときです。
もし外国人の犯罪者率が増加するような客観的なデーターがでるような事態になったとき、私たちは「外国人は追い出すべきだ」と手のひらを返したように主張するのでしょうか。国際関係の緊張が続けば続くほど、外国人は日本社会の中できわめてきびしい状況に追いやられていくだろうことを忘れてはならないと思います。現在の犯罪統計は、治安悪化の原因は外国人ではないことを示しています。けれどこの数字は、外国人のおかれている状況に思いをはせる「心ある日本人達」の「多文化共生への努力」の成果では決してないのです。何の根拠があるわけではありませんが私は次のように感じています。きびしい現実の中で、何とか日本社会にとけ込もうとしている彼・彼女らの努力の成果なのだと。しかし、きびしい現実の中で、アンダーグラウンドな世界に入ってしまう外国人がいたとしても、それはごく自然の流れのような気がします。
私たちが出会う、初めての仲間に対して「潜在的な犯罪者かどうか」などということを気にしていたら、友達になれっこありません。私たち(日本人)がなすべきことは二つあるとおもいます。一つは現在の排外主義の扇動に、しっかり否の声を上げていくこと。そしてもう一つは地域の外国人とともに生きる共生空間を作り上げていくことです。
私はこのこの原稿を書きながら、幾人かの子どもたちの顔やエピソードが脳裏に浮かび上がってきます。
A君は高校2年生。中国籍。残留邦人の呼び寄せとして日本にやってきました。2年生になってから、学校を休みがちになってきました。「東京都の石原知事の発言が怖い」「クラスになじめない」と信頼している教員に語ったそうです。結局彼は学校を続けることを断念しました。
在日ベトナム人の女の子Bさんの作文から。小学五年生の時の体験で、クラスの男の子から浴びせられた言葉を拾ってみます。『おまえ誰?!』『外人か?!』と言って蹴られる。『うるせーな、がいじん』『きもいんだよ、何みてんだよ。』『ぶっ殺すぞ』『俺たちは外人じゃないよ。おまえが外人だよ。だってここ日本だぞ。オレらの国だから外人て言う権利あるんだよ。』
オーバーステイのまま生活をし続けるある母娘の家族の場合。 Cさんは日本に入国時は12歳で小学校5年に在籍、そのまま中学・高校に進学しました。本国にいる親族は内戦ですべて死亡しているので、帰国しても頼る人がいません。支援者とともに在留を求める申請(在留特別許可)を考えましたが、不許可になった場合のリスクが大きいので踏み出せません。「警察や入管の摘発をおそれ、今まで住んでいたアパートを放棄し、今は友人の家の屋根裏部屋に逃げ込んでいます。まるで『アンネの日記』のようです。ここから少女は高校に通っていますが、自転車には乗らないようにしているといっています。自転車に乗っていると警察に声をかけられることがあるからと。(支援者談)」Cさんはその後、高校を無事卒業しました。
外では外国人狩りが進行し、外国人排斥の空気は学校の教室の中も満たしています。