私の視点 (朝日新聞 2001年12月17日)
強制連行
政府も被害者に補償せよ
有光健(戦後補償ネットワーク世話人代表)
鹿島が花岡事件の中国人強制連行被害者・遺族と東京高裁で和解してから1年を迎えた。鹿島が拠出し、中国紅十字会に信託した5億円で「花岡平和友好基金」が設けられ、うち半分が986人の被害者・遺族への補償に充てられることになり、9月末から支給が始まっている。
総額5400億円を政府と企業が折半で拠出したドイツの強制労働補償基金「記憶・責任・未来」の支給も6月末から始まった。この基金は対象を生存者に限定しており、「花岡平和友好基金」の方が対象の幅が広い。支給金に免税措置を講じる形で中国政府側も被害者に敬意を表した。
6月下旬に花岡鉱山のあった秋田県大館で行われた慰霊式典には被害者とともに初めて鹿島の代表も参列した。中国の被害者の多くは、過去への怒りとわだかまりを抑え、歴史に一区切りをつけ、新しい友好関係を築くことに努力しているという。
和解の発表時に、指揮をとった東京高裁裁判長も異例の「所感」を公開し、日本の裁判所として半世紀遅れた戦後処理に取り組んできた経過と決意を示し、国民の理解を訴えた。
司法がここまで真剣に取り組んだのに、政府や国会がこの動きに何も反応していないのは不思議だ。
中国人強制連行は42年の閣議決定で実施されている。いまも多くの企業が「政府の決定に従ったまで」で違法ではない、と主張している。昨年7月に最高裁で韓国人強制連行被害者と和解した不二越も、一昨年東京高裁で同じく韓国人被害者と和解した日本鋼管も、鹿島が90年に発表したような「謝罪」は発表していない。政府の命じるところに従って非難されるに及んだことへの口惜しささえにじませている。
強制連行についての政府の責任は明確なのだから、村山元首相の談話のようなあいまいな表現でなく、率直、明快に謝罪すべきである。そうしない限り、民間企業は謝りたくても謝れない板ばさみが続く。
一時金を支払っても「謝罪でなく人道的見地からの弔慰金」だの「見舞金」だのと訳の分からぬ説明を繰り返さざるを得ず、被害者側と身内や同業者からの双方からの批判にさらされ続けることになる。「やましくないのになぜ金を出すのか?」という率直な質問にまともに答えられない。
全体的解決のため政府と企業がドイツのような大規模な補償基金を設けることが望ましいが、一気にはできないとすれば、当面はすでにあるか、出来つつある枠組みを個別に活用すべきでないか。最初に謝罪した鹿島が示したモデルを活用し、ドイツの例を見習って、政府はまず「花岡平和友好基金」に鹿島が出したのと同額の5億円を拠出することで、その責任を明らかにしてはどうか。9月28日付本欄で藤田幸久氏が元米兵捕虜の補償問題で政治的解決を提言しているが、韓国や中国の戦争被害者の問題の解決方式も速やかに検討されなければならない。政府と国会は知恵を絞り、迅速かつ果敢に歴史的な不良債権処理に取り組むべきである。
東京高裁や鹿島の「英断」を「一企業の問題」に終わらせてはならない。