サパティスタ行進ルポ1 |
「サパタ・ビベ(サパタは生きている)、ラ・ルチャ・シゲ(闘い続いている)」の叫びが、ソカロ広場に幾度もこだました。メキシコ市、3月11日、午後3時。数万の群集で埋め尽くされた広場に、サパティスタ民族解放軍(EZLN)の代表団24人が、ついにその姿を現したのだ。2月24日、ラ・レアリダなどチアパス州の周辺の自治地域からサン・クリストバル市入りして以来2週間以上にわたり、メキシコ各地を周った今回のい一連の示威行進は、ついにここ、メキシコ市でクライマックスを迎えた。
ラ・レアリダなどのサパティスタ自治区域から彼ら外に出るのは、94年1月1日の武装蜂起以来初めてのことである。自治地域に居てすら、武装民兵組織や軍の圧力を受け、極度の警戒を強いられてきたサパティスタ軍である。危険を覚悟のうえで、今回このような捨て身の行動に出た背景には、前PRI政権によるサン・アンドレ合意の棚上げと表向きの無視政策があると見られる。 すでに1996年2月16日、チアパス州サン・アンドレスで、メキシコ政府とEZLN両者の対話第一テ−ブル「先住民の権利と文化」において合意文書及び共同声明に署名するに至っていた。 しかし、1996年8月末、EZLN側は、サン・アンドレスで継続されていた対話第二テ−ブル「民主主義と正義」の一時停止を通告、代表団を引き揚げた。以来、現在まで対話は中断したままである。この間も、セディ−ジョ前政権は、武装民兵による先住民の虐殺を放置し、さらに軍による圧力を強める一方、サパティスタ管理下の共同体に対する金品援助による切り崩し政策を採ってきた。昨年12月に発足したフォックス政権も、対話の姿勢こそ強調するものの、政府側は静観の構えであった。 このような膠着状態が続くなか、メキシコ民衆と国際世論の共感を喚起することによってのみ、メキシコ政府と軍、警察に対峙しうることはEZLN自身がいちばんよく知っており、94年1月1日の蜂起以来の戦略軸となっている以上、このままの合意棚上げ政策が続くことに対する危機感があったとみられる。 他方、海外の反応に、前政権以上に敏感にならざるをえないフォックス政権だけに,今回のEZLNの行進に対して、強圧的な態度には出にくいとの読みが、EZLN側にあったのは間違いなく、そのあたりを見越して、捨て身の賭けに出たとみられる。 今回メキシコ各地で圧倒的な民衆の支持と共感を喚起しつつ首都入場を果たしたことにより、EZLNと副司令官マルコスの政治的発言力、交渉力がいやがうえにも増すことは必至である。すでにマルコスは、メキシコ革命の英雄サパタの再来、チェ・ゲバラの復活と英雄視されはじめており、街の至るところでマルコスTシャツが、飛ぶように売れている。この人気と影響力を武器に、3月1かから4日にかけてミチュアカン、ヌリオで開かれた第3回インディへナ国民会議で決定された諸要求を議会、政府側に突きつけるのが今回の示威行動の狙いと見られる。マルコスは、EZLN側の自治要求が認められるまで首都から動かない、と公言している。また、行進の前から「我々の自治要求が認められなければ、メキシコは旧ユ−ゴ化するだろう。」(1月31日、エル・ウニベルサ−ル紙)と、脅しともとれる発言をしており、武力を伴った実力行使による分裂化よりも、メキシコ国家の枠内で一定の自治要求を認める方が得策だろうと、暗にほのめかしている。 しかし、この要求はメキシコ国家権力の有名無実化を招きかねないだけに、政府、議会側も簡単に飲める要求ではない。今後の交渉のゆくえ次第ではメキシコの分裂化の恐れもあるだけに、今後一層緊迫した展開となる可能性も否定できない。 |
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