【編者】エルネスト・ゲバラ・リンチ(1900〜1987)(写真右)
Ernesto Guevara Lynch
アルゼンチン、ブエノスアイレスで、アイルランド系の家系に生まれる。
大学では最初は工学、次に建築を学ぶ。建築技師、マテ茶農園経営、造船業などの仕事に携わる。スペイン系のセリア・デ・ラ・セルナと結婚し、後年革命家チェ・ゲバラとなる長男をはじめ5人の子どもをもうける。チェの死後、手元に遺された膨大な量の書簡や日記をもとに、チェの伝記の前編『わが子・チェ』と後編『米州の兵士、行ってまいります』(本書)をまとめる。晩年はキューバに暮らした。
【著者】エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(1928〜1967)(写真左)
Ernesto Guevara de la Serna
アルゼンチン、ロサリオに生まれる。幼児のころから喘息の発作に苦しむ。それに抗らうように、ラグビーやサッカーのような激しいスポーツを好み、自転車、モーペッド旅行も試みた。
ブエノスアイレス大学医学部在学中の1951〜52年の8ヵ月間、友人アルベルト・グラナードと共に、南米諸国をモーターサイクルで旅行した。そのとき記していた日記は『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』として刊行され(小社刊)、その無鉄砲で、情熱的な貧乏旅行ぶりが若者の心を捉え、ロングセラーとなっている。
いったん帰国し、医師資格を得たが、1953年ふたたび出国、北へ向かった。予定を次々と変えて、メキシコにまで至り、そこでフィデル・カストロら亡命キューバ人革命家と知り合い、独裁政権打倒の革命闘争に参加することになるだが、本書には旅先から家族と友人に宛てた書簡が集成されており、読者はその過程をたどることができる。
キューバ革命に参加した後、帝国主義の支配を断つ新たな解放闘争の地を求めて出国、アフリカのコンゴでのゲリラ闘争の展開に失敗し、1966年南米ボリビアに赴いた。民族解放軍を組織したが、反帝ゲリラ闘争を全面的に展開する以前に、政府軍との遭遇戦で負傷、捕らえられ、その翌日射殺された。享年39歳だった。
「チェ」と呼ばれるようになって以降のゲバラ(1960年) c Korda
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