3-3) 鯨肉の流通

 鮎川に外部資本の捕鯨事業所が出来た当時の鯨の利用は鯨油や上質の鯨肉の
みであり、捕鯨会社は必要とする以外の部分、すなわち下等鯨肉や鯨骨や内臓
などを地元に払い下げていた(最初期には、海洋に投棄をしており、それが近
隣漁民にとって非常な迷惑であったことは、すでに記した通り)。こららの払
い下げ物によって、地元による鯨肥製造が繁栄することとなった。しかし、そ
の後外部資本の捕鯨会社が自社で鯨肥製造に乗り出したことから、鯨肥の原料
確保の目的をもって、地元資本の捕鯨会社が設立されたというわけである。
 鯨肉については、東北地方には鯨肉の食習慣がなく、氷が出まわるようにな
った大正初期(1910年前後)より、鯨肉を関西方面に出荷する技術ができたこ
とから、企業ベースに乗るようになったものと考えられている。あるいは、そ
れを見越して捕鯨産業が鮎川に進出してきたと言うこともできよう。

 最近での流通については、沿岸捕鯨と小型捕鯨とでは異なるルートが使われ
ていた。
 沿岸捕鯨では、大手資本(日本水産や大洋漁業など)が直接自社で処理して
いた(注:このカテゴリーの沿岸捕鯨はすでに行われていない)。
 小型捕鯨については、市場で競りにかけられ、後述のように1頭ごとに売買
されたのち、解体されて販売された。解体後の鯨肉は、宮城県内はもとより遠
くは東京地方などにも出荷されていた。
 解体処理の際に、解剖作業に従事する者に対して、賃金のかわりに、あるい
は賃金の補完分として、分肉されることがあったという。更にこれらの鯨肉を
近隣に配るという風習もあった。鮎川に水揚げされた鯨肉の地元での消費量を
示す資料はないが、商業ベースによらない流通はこの分肉によるもののみであ
ったと思われる。しかしながら、この分肉の習慣も、現在ではとだえて久しい
という。
 鮎川では、現在も観光客相手のみやげ物屋や鮮魚店で、鯨肉が販売されてい
る。しかしながら、町内での聞き取り調査によると、「必要な時には(鮮魚店
などではなく)みやげ物屋で買う」とする町民も多かった。

 なお、日本全国での鯨肉価格の推移について簡単に記せば、鯨肉の入荷量が
減少するにつれて価格が上昇しており、また消費量は一貫して減少傾向にある。
鯨肉は今や高級嗜好品になってきているといえる(牡鹿町内における町民配給
分の販売価格も、徐々に上昇してきている。後述)。
 鯨肉が高価な嗜好品となってきていることについて、ある町民は、「食糧事
情が逼迫している第三世界の国々が捕鯨をしたいと主張するのならばとにかく、
金持ち国の日本が、ぜいたく品としての鯨肉を食べたいといって捕鯨を強行す
るようなことが、国際社会の中で許されるはずがない」という感想を漏らして
いたことを付記しておく(この町民は「強行」という言葉を使った)。

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