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インタビュー

「慰安婦」問題の解決へ「もう一つの視点」を問う

山下 英愛さん

  • 2009.01.15
  • 聞き手:山本 柚
  • 撮 影:しんのすけ

山下 英愛さん

「二者択一」超える思い 名前に託して

 山下英愛さんが韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の活動を通して感じた「様々な思い」を整理するには、留学生活と同じだけの歳月が必要だったのかもしれない。韓国を離れて10年が過ぎた昨夏、「慰安婦」問題解決への新たな一歩を願って綴った『ナショナリズムの狭間から―「慰安婦」問題へのもう一つの視座』(明石書店)が静かな反響を呼んでいる。

 「朝鮮学校で模範生だったんですよ」。初級学校(小学校)の6年間、皆勤賞をもらおうと、大雪でバスが止まっても学校に行き、休校を確かめたほどだ。
 だが、父親が朝鮮総連を離れたため、公立中学に通うことに。母親が日本人で、自分自身も日本籍を持つ「山下」姓であることを知る。「崔」という姓の「朝鮮人」だと信じていた足元が崩れ、アイデンティティーをめぐる長い旅が始まった。
 高校時代、「女の子はつくられる」と題した新聞記事との出合いがもう一つの転機に。「なぜ女だけが」と日ごろ感じていたもやもやを言い当ててくれた。早速、同級生と「女性問題研究会」をつくった。
 父親の故郷、韓国の土を初めて踏んだのは19歳の時。その時買った女性史の本を読むため、小学校以来、使わずにいた朝鮮語の勉強を始めた。

 アイデンティティーの悩みは続いていた。「韓国人になれば解決できる」と思った。1988年、28歳の時に民主化運動の熱気とソウルオリンピックに沸き立つ韓国へ。女性学科のある梨花女子大学の門を叩く。
 「人生の師」と呼ぶ「慰安婦」問題研究の第一人者で同大教員の尹貞玉さんとの初めての出会いは「ちり紙や割り箸が床に転がる学生向け食堂」で。飾らない人柄と問題への熱意に共感した。90年、盧泰愚大統領訪日時に挺身隊に関する声明を出したことをきっかけに発足した挺身隊研究班のひとりとなった。
 日韓の「橋渡し」を担い、被害者の証言を聞くため韓国中を歩いた。「それぞれが『恨』を抱え、大変な人生を歩んできたんだな、と感じました」

続きは本誌で...

やました よんえ

東京都生まれ。専門は女性学、日韓比較社会論など。米ワシントン大などで客員研究員。現在、立命館大学非常勤講師。訳書に『韓国女性人権運動史』(明石書店)など。米軍「基地村」を経て活動家となった女性の自伝を翻訳、近く出版予定。
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