大量の感覚をゆっくりまとめる人
自分の生きづらさって何なのだろう。何年もその答えをみつけるために私たちは「流浪」することがある。綾屋紗月さんは30歳を過ぎてそれを見つけた。
『発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい』(綾屋紗月+熊谷晋一郎著)で、綾屋さんが発達障害の当事者として、自分の身体感覚をどのように感じているのかを丁寧に伝えている。
たとえば空腹という感覚をまとめあげるプロセス。「ボーっとするなあ、考えがまとまらない」「う、動けない」「頭が重い」などいくつかの身体感覚の変化の情報を受け取る。でもその情報は風邪を引いた時にも、おなかがすいた時にもある感覚だ。やがて「胃のあたりがへこんで気持ち悪い」「胸のあたりがわさわさして無性にいらいらする」「胸がしまる感じがして悲しい」などの心理感覚を感じる。やがて、空腹であるという身体変化が進行して、やっと、これらの感覚が「空腹によって生じるひとまとまりの感覚らしい」ということが判明してくる。それが「身体の自己紹介」なのだという。
さらにそのまとめあげた感覚から一つの行動を選択していくのも大変だ。「○○を食べたい」というところにまとまるのも大変なので、「△△を食べねば」という行動の種類になることもあれば、「お昼にはそばを食べる」という行動に譲ることもある。
街で「広告の看板に襲われる」感覚飽和になってしまう。大量のモノが語りかけてきてパニックになることもある。その見た映像が夜眠るころ次々に浮かんできて止まらない。さらに他者の所作が簡単に侵入してきてしまい、自分の行動になってしまうとことがあるという。
子どもの時から、集団に入るルールが分からず、あんなふうに楽しそうに遊びたいなあと思いながらできなかった。人といると疲れやすく、あとで「一人反省会」をすることになり寝込んでいた。本を読んだり、植物やモノと話すことは楽しかったが大人になっても続いていた。
「いったい私は何者なのだろう…」。思春期うつ症状なのか、低血圧なのか。ある時アスペルガー症候群の当事者の手記を読み、「自分と同じだ」と思った。
「自分は存在していたんだ」
その話を学生時代からの知り合いで10年ぶりに会った熊谷さんに話し、一緒に「発達障害の当事者研究」を始めたのだ。熊谷さんは脳性マヒで医者でもあるが、見てすぐ分かる自分の障害とは異なる、分かりにくい障害に興味を持っていた。その作業から綾屋さんは自らを「人よりも身体の内外の感覚を大量に感受する者」とするまとめができた。
アスペルガーの定義を「コミュニケーション障害」としただけでは何も言っていることにはならない。コミュニケーションは双方の問題なのだから、と綾屋さんは思う。
続きは本誌で...
あやや さつき
1974年生まれ。子ども時代から外とつながっている感覚が乏しかった。最近、発達障害であることを自認。発語も困難で手話を使う。著書に『発達障害当事者研究』(医学書院)、離婚のいきさつを子どもに語った『前略、離婚を決めました』(理論社)がある。