武蔵野美術大学で、表現者を目指す学生たちに憲法を教える志田陽子さんは、「自律して考える自由をもち、考えたことを表現できる環境があること、つまり表現の自由が何より大事」と言う。生命の危機に瀕している人が「助けて!」と声を上げて自分を表現しないと命が救われないように、表現の自由は人間存在の根幹を支えるもの。安保法制違憲訴訟の原告として立ち上がったのも、この権利が深刻な血行不良に陥っている、壊死の危険がある、との危惧からだった。
憲法研究者の志田さんだが、美術大学で教員の求人募集があったとき、「これだ!」と宿命を感じて意気込んで応募したほどの美術好き。高校時代、オランダの版画家エッシャーが好きで、自分でも細密なペン画を描き、実は美術系の大学に進みたかった。ところが父親の反対にあい、しぶしぶ法学部に進んだ。卒業後はもっと広い世界を知りたくて、広告代理店でアルバイト社員として働いた。そして分かったのは、「日本の社会は女性に対して残酷だ。若いときはちやほやするけれど、専門の職業がないと自分ひとりの生涯もまかなえない」ということだった。
そこで自立して生きていく道として大学の研究職に進もうと考え、再び大学院に入り直す。志田さんの憲法に対する理解を深くしたのは、1960年代に公民権運動の運動家が殺された事件をモデルにしたアメリカ映画『ミシシッピー・バーニング』だった。「この映画を見て、頭でなく感覚で人種差別の問題が感じとれた」。憲法14条の「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という条文がなぜあるのか、何を求めているのかを体感したのだ。
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