女を追いつめていく婚外子差別
「若い人が事実婚で子どもを産んだって聞いてうれしくて」。田中さんは大きく笑った。
事実婚の私が子どもを産み、出生届を出すパートナーに渡したのが、田中さんたちが立ち上げた「なくそう戸籍と婚外子差別・交流会(以下、交流会)」のウェブサイトの資料だった。
田中さんは8人きょうだいで、両親、父方の祖母の大家族の中で育った。末っ子の自分だけ戦後生まれ。家族は戦前の家制度の価値観を生きていた。暴君として振る舞う父、家事の一切を「嫁」にさせる姑、逆らわずに黙々と働く母。きょうだいの序列もしっかりとあり、兄や姉に思っていることを言えなかった。食事も黙々と食べなければならない。「ああいう夫婦関係、嫁姑関係、きょうだい関係は絶対につくりたくないと思ったんです」
18歳の時、図書館の「婦人問題」コーナーで、平塚らいてふに出会う。らいてふは家制度を批判し、パートナーと婚姻届を出さずに、子どもを産んだ。「これだ!私もそうしよう!」
パートナーの福喜多昇さんに出会ったのは、25歳の時に参加した集会で。威圧的で何を言っているか分からないアジテーションをする男性とは違った。
婚姻届を出さない関係を提案したのは田中さん。慣れ親しんだ自分の名前を大切にしたい、福喜多さんと平等な関係を築きたい、「嫁」としてでなく一人の人間としてお互いを尊重するような関係を福喜多さんの両親らと結びたいと思ったからだ。
続きは本誌で...
たなか すみこ
1947年生まれ。88年に住民票続柄裁判交流会発足、99年に現在の名称に改める。89年から発行されている交流会通信「Voice」は、2013年11月・12月号で200号。交流会は結成25年。「婚外子差別にNO!電話相談」は毎月第4木曜日14~20時 TEL042(527)7870