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インタビュー

「東電株主代表訴訟」事務局長

木村結さん

  • 2012.06.15
  • 聞き手…じょうづかさえこ
  • 撮影…落合由利子

木村結

個人が責任を取らなきゃダメよ

 東京電力の脱原発株主が、勝俣恒久会長はじめ事故責任を負うべき東電歴代取締役27人に対し、5兆5千億円余りの賠償金を会社に支払うことを求めた「東電株主代表訴訟」。個人の責任を明確にしたうえで、被告から回収した金を、東電が原発事故被害者への賠償金に充てることを要求している。2012年3月5日に提訴し、6月14日、第1回口頭弁論が開かれる。  この訴訟の事務局長を務める木村結さんが、脱原発運動に立ち上がったのは、1986年のチェルノブイリ事故がきっかけだった。  「私の父は特攻隊の生き残りで、家では暴力を振るう人でした。私は父に、『なぜ、戦争に反対できなかったの?』と詰め寄ったことがあります。チェルノブイリの事故が起きた時、『自分も父と同じことをしてしまった!』と思いました」  悩んだ末に産んだ娘に、「なぜ原発を止めてくれなかった!」と責められても仕方がないという痛恨の思い。「何千キロも離れた日本まで放射線が降ってきた。原発は人類に対する冒?です!」。3歳の娘を連れて、集会や学習会に足繁く通った。  そんな中で、「脱原発だけを争点に89年7月の参議院選挙を闘う」という「原発いらない人々」の運動が始まった。全国の原発立地県から比例区に10人、東京選挙区からは、最終的に結さんが候補者になった。  「下の息子が生まれたのが88年。大きなお腹で準備に走り回り、息子の1歳の誕生日は選挙事務所で迎えました。今のようにスカイプやツイッターなどない時代。大変でしたが、全国各地の反原発の運動が一つにつながっていく実感がありました」  街頭でマイクを握り、公共の電波を使って訴えた脱原発。推薦人の一人、画家の故・宮迫千鶴さんは、結さんを「ジャンヌ・ダルク」にたとえた。 続きは本誌で...


きむら ゆい

1952年、新潟県、東京電力・柏崎刈羽原発の隣町生まれ。小学生のころから「革命の時代に生まれたかった」と思う少女だった。大学では「百姓一揆」を専攻。「脱原発・東電株主運動」事務局。ネコ3匹と同居。趣味は茶道。

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