「つぶ」がハートに変わる日まで
福島第1原発の「事故」後、錯綜する情報と混乱のなかで一枚のイラストが生まれた。赤いつぶつぶが、女の子と小鳥に舞い落ちる。ちいさな頭に、足下に、つぶが降り積もる。赤いつぶは放射能だ。「こういうこと。」と手書きの文字が添えられている。静かに被ばくの現実を伝える「あかつぶ」は、あっという間に脱原発を願う市民に広まっていった。
描いたのは、柚木ミサトさんである。陶器で知られる岐阜県土岐市で、両親、20歳の息子とともに暮らす。大震災が起きるまでは広告の世界に身を置き、脱原発をはじめ市民運動には無縁の生活だった。しかし大震災が起き、福島第1原発が爆発し、放射能がまき散らされた。危険か安全か。避難すべきか留まるべきか。不信と不安が大きなうねりとなって原発周辺に暮らす人々を飲み込み翻弄する様子に、何かせずにはいられなかった。
「私、今回のことでよく分かった。今までずっと自分がヘンだと思っとったけど、本当は世の中がヘンだったんだって」
子どものころから、世の中はおかしなことだらけだった。「たとえば、校則。なんで前髪はオン・ザ・眉毛なの?(笑)。でも器用だから、めんどくさいことにならないように立ち回れた」。ぺちゃんこにつぶしたかばんやくるぶしまであるスカートを履く同級生を横目に、校則の枠のなかでおしゃれを追求した。「物事にはバランスちゅうもんがあって、そこの粋さ加減がステキなの。校則を決めるほうも反逆するほうもおかしいって思っとった」
結婚も「おかしなこと」の一つだったが、25歳で年下のミュージシャンとつきあい始めた矢先に妊娠し、結婚する。
そして、33歳で離婚。音楽を追求する夫を、家事育児を一手に引き受けながら支える生活にいつしか歪みが生まれていた。「決定的だったのは私が人として認められてなかったこと。日常のなかで彼が私に好奇心をもって接することがなくなっていった」。当時6歳だった息子と2歳だった娘を抱え、懸命に働き、育ててきた。
続きは本誌で...
ゆぎ みさと
1964年岐阜県生まれ。イラストプロダクションを経て24歳で独立。フリーランスで働くかたわら、陶器の絵付け師である父が設立した有限会社ゆぎの経営にもかかわる。
http://www.yugi.jp