芸術学の立場から、どのように「まち」に関わっていくか考えている。かつては、芸術は限定された空間の中にあった。 19 世紀のルーブル美術館、 20 世紀中期の近代美術館( MOMA など)のホワイトキューブ的純粋空間などである。 20 世紀後半は、彫刻の森美術館のように、アートが外へ、自然の中へ出るようになった。バブル期にはパブリックアートが登場したが、生活シーンとは没交渉であった。
アートプロジェクトでは、参加者のひとり一人が何かを獲得していく。
私たちは、日々の現象を当たり前のこととして見ている。すなわち、対象を“透明化”し是認している。ある瞬間に、“不透明化”し是認することなく意識化する。
「アート」は、透明化しているものを不透明化する役割がある。アートプロジェクトは、目標、目的が重要ではない。プロジェクトは創造的であり修正が可能である。新しい知見が目的を更新させる。目的が覆されることを前提としたプロジェクトである。プロセスこそが生命。
アートは、対象を“宙吊り”にすることで、透明だったものを意識化、不透明化し、他の人達と共有化する。利害損得を離れて対等な関係づくりが可能となる。ユートピア的コミュニケーションが確立できる。民族、ジェンダー、障害者など全てが、対等性をもつことができる。
まちづくりでは、「まち」が目標。アートプロジェクトは、まちづくりの不可欠なエレメントであり、時間や場を確保することができる。多様な価値観を可能とする。透明なものを不透明化するプロセス、即ちこれが「まちづくり」であり、アートプロジェクトである。アートプロジェクトは、まちづくりの手段、まちづくりの本質である。これが、アートの現代的意味である。
いずみプロジェクトは、千葉アートネットワーク・プロジェクト Wi-Can 2003 の一つである。「いずみグリーンビレッジ構想」の一環として、サインプロジェクトの看板を立てた。美術家小沢剛は、コスモス畑の真ん中に、地域の農を象徴するため、地域で収穫した「さつまいも」を銃に見立てて構える少女の大看板を建てることで、不透明化し、地域課題をアピールし、地域の人々を浮かび上がらせるようなプロジェクトづくりに成功した。
◇ 意見交換 ◇
〔浜口〕透明人間を思い出したが。
〔長田〕サイトとアーティストと参加者のコラボレーションで、不透明化する。透明人間は、まさに日常化という意味である。
〔家永〕当事者が参加する気になることが大切。
〔長田〕さよなら同潤会代官山アパートで考えたこと。未来に向けて自分を投げかけていく。そのためには、自分を投影させること。まちづくりにはプロセス、すなわち営みが必要で、アートは、協働(コラボレーション)を創造する。
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