これはかつて「週刊アンポ社」(ベ平連が作った有限会社)が発行していた『週刊アンポ』に掲載された支持者からの小説です。すべて、原稿料無料で『週刊アンポ』のために提供されたものです。
革命の化石
高橋 和己
『週刊アンポ』 第2号 (1969年12月1日号)に掲載
「実に多くの困難を克服せねばならなかったものだ」と老革命家は言った。老いた恒星が赤いべクトルを放射するように彼の顔は赧らんでいた。
子供たちは革命記念植物園でのろのろと遊んでいた。まるで分裂病患者のように子供たちはバラバラで、しかも孤独の意識など、おそらくは持っていないのだ。
「もう六十年も以前のことになる。もし君たちが望むなら話を……」
誰も返事をしなかった。子供たちは先年発明された〈瞬間絵具〉でラッカーを噴きつけるように虚空に絵を描いたり、〈空気凝結器〉で、おもいおもいの彫刻を虚空にかたどったりして遊んでいる。庭園の片隅で無絃琴をひいている少女の指先から物憂い想念が老人に伝わってくる。
「もっとも頑強に抵抗したのは、ヒューマニストとコミュニストと称された人たちだった」
老革命家の表情に微妙な翳がかすめた。彼にはまだ旧世代の感情が残っていたからだ。
「敵ながらあっぱれなところもあったからね。革命記念碑のうしろの墓地に、彼ら秀れた反動たちの肖像も保存されてるだろ。見たかね」
子供たちはやはり返事をしなかった。「あの頃には、まだ流血はさけられなかった。彼らの多くは苦痛なしに無機物に還元されたが、しかしわれわれの慈悲深い物質還元刑を拒絶して自殺した人も多かったからね」
――今次の革命以前、あの旧体制を支えた基本的理念は「人は能力に応じて働き、必要に応じてとる」ということだった。当時の貧弱な生産技術と錯綜した人間関係の中ではやむをえない道徳だったが、ただ彼らが自ら作り出した社会形態に逆規制されていたために、人類にはなお次の段階があることを認めたがらなかった。彼らは自らの習慣に固執した。習慣と言っても通じないかね。物質における運動と静止の慣性法則、そう、人間自身が発見しておきながら、人間自身がまぬがれえなかった法則だ。われわれ革命団のうちの穏健派の人々が主張した「すべての作業は実験であり、実験規模に応じた必要の一切は支給される」という主張すら、彼らははげしく攻撃した。能力差という最後の階級意識を彼らはすてきれなかったし、能力において機械や動物よりおとった存在でも、人間同士の交配によって生まれたものはすべて人間であると認めるべきだと彼らは考えていた。妙に身勝手で、感傷的な考え方たがね。それにその当時、世界は一応連邦制はとられてはいたものの、重層構造を残していて、連邦政府のほかに、実質上、それに搾取される資本主義国という後進地帯がなお存続していたし、その存在容認の是非をめぐって激しい論争もあった。結局は、先天的な協調精神の障害者を隔離しておく、一種の流刑地として存続を認める連邦政府の方針が、まかり通っていたのだ。かれらはヒューマニストだったから、人工淘汰よりも隔離をよしとしたんだな――
子供たちに話かけるというよりも、自分の回想そのものに夢中になって喋っていた老人のまえに、突如、革命政府監査委員会から派遣された兵士たちがあらわれた。老革命家はほとんど音もなく取り囲まれていたのだが、彼は肩を銃でつつかれるまで気付かなかった。
「何をするんだね」と老革命家は言った。
「あなたを逮捕する」と指揮官が言った。
「そんな馬鹿な、わしは何も犯してはいないじゃないか」
「いや犯した」
「馬鹿な」
老革命家は久しく忘れていた怒りの感情にとらわれた。なつかしい感情。苦悩の源泉であると同時に、世界が今のように豊饒のニヒリズムに陥いる以前の、それはもっとも人間的な感情だった。子供たちは、それぞれ虚空の一点をぼんやりとふり仰いでいた。あたかも宇宙の極みの星雲の爆発を感受できるかのように。いや、子供たちが何に気をとられているにせよ、傍で老人が、何かあらぬ嫌疑をかけられて、監督委員会の兵士たちに包囲されている状態は目に映っていたはずだった。だが、誰も、どうしたの? とも尋ねず、傍で起っている事件には全く無関心だった。
「わしが一体なんの罪を犯したというのか?」と老人は言った。
「銀河時間十四時八分二秒、緊急法令が発布施行される旨、宇宙中継局から全世界に通告されたはずだった。ここに現にテレビがある」
「何の法令?。わしは……」
「法律はその法律の存在を知る知らずに拘らず、違反者には適用される」
「ともかく、何のことなんだ? 教えてくれ」
「この逮捕状にしるされている。法令第四億九千万六千八百十一号、人類の進歩に関係なき一切の無駄な思考を禁止する法令違犯である。違犯者は非思考性物質に還元される」
「そんな、人権蹂躙、いや、存在権蹂躙だ。宇宙権法は、物質恒存の法則にしたがう一切の物質の存在権、そして覚存者が自覚せる自己の諸性質を伸長させる持続権を認めているはずだ」
「反抗するのか」と指揮官は銃を向けた。
「待ってくれ。今日は革命記念日のはずだった。革命記念日に次の世代の者に向けて思い出話をして何故……」
「警告する。そういう弁明自体が、禁止された無駄な思考に該当する。無駄な思考は、エネルギー恒存の法則に反するエネルギーの〈無化〉である。再度警告する。ただちに止めなければ非思考性物質に還元する」
「わたしは、ただほんの少し回顧していたにすぎなかった。それに本当に法令発布には気付かなかったのだ。みんなは聴いたかね」
救いを求めるように老革命家が子供たちを振り返ったとき、指揮官は「公務執行妨害!」と叫び、兵士たちの銃から蒼い光線が発射された。一瞬にして老革命家は中腰のままの姿勢で、自蝋色の塑像に凝固したのだった。
やがて日が暮れ、子供たちは植物園から立ち去った。しかしただ独り無絃琴をひいていた少女だけが残り、闇暗の中で老人の悲しい化石の前に立ちとまり、じっとその塑像を凝視した。やがて彼女は塑像の足許にうずくまって再び無弦琴の、音なき調べをかなではじめた。無駄な思考は禁じられている。少女はなにも言わない。しかし、なにか気配があたりに漂ったようだった。言語に翻訳すれば、多分それはこうした語りかけだったろう。
「可哀そうなお爺さん。わたしは法令発布を注意してあげたけど、お爺さんは自分の昔話に夢中だったわ。まるで現実に戻るのを厭がってたみたい。だから、そっとそのままにしといてあげたの。あなたの同じ話は聞きあきてたけど、昔話をしているとき、あなたは妙に幸福そうな顔をしていたから」
少女の音なき無絃琴の高調によって、なぜだろう、不思議にも老人の塑像の目から、暗夜に涙が流れ、やがて融けるように塑像の全体が、醜い処刑の残骸を残すことなく虚無のうちに消えていった。
(おわり)
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