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田守順子「記憶につながる現在――断章」『季刊 運動〈経験〉』2007年 No.20)(2007/03/05記載)
『季刊 運動〈経験〉』2007年 No.20 〈2007年2月刊)は、「〈特集〉『無党の運動』をめぐって」を組んで、栗原幸夫著『未来形の過去から』についての多くの意見や論文を掲載している。その多くは、栗原の言う「無党の運動」および「シングル・イッシュウ」問題をめぐる意見
だが、そのなかには、いくつかベ平連運動についても触れたものがある。つぎにごく一部の抜粋を掲載する田守順子の文もその一つであり、また本欄
No.125〜127 に抜粋を紹介した天野恵一、福富節男、吉川勇一の文もそうである。
「記憶につながる現在――断章」(抄) 田守 順子
……私にとっては、ベトナム反戦――ベ平連への参加が運動に脚をふみ入れる景気だった。始めはベトナムの費人びとへのシンパシィであっても、行動するなかで日米安保体制のもとアメリカ政府に加担する日本政府という構図が視えてくるのに時間はかからなかった。七〇年安保が目前だったし、戦争に反対することは、社会を変えることだ、という思いがつよくなっていた。だから『未来形の過去から』 で何度かふれられている一九六八年の「反戦と変革のための京都会議」を準備する過程での 「変革 − Fundamental Social
Change」をめぐる議論を事務局の年若い私たちも側で共感をもって聞いていた。細かいことは憶えていないけれど、たまには口をはさんだかもしれない。栗原さんの整理された「解説」を読んであらためて、そういうことだったのか、と思い返している。……
(『季刊 運動〈経験〉』2007年 No.20 49〜50ページより)