『日本史大事典』 第六巻 平凡社 1994年
ベ平連 ベヘいれん
正式の名称を「ベトナムに平和を!市民連合」という。 一九六〇年代後半から七〇年代にかけて活動したベトナム反戦の市民運動体。代表は作家の小田実、事務局長格は一九六六年(昭和四十一)から解散まで吉川勇一である。一九六五年二月のアメリカ軍による大規模な北ベトナム爆撃の開始に抗議し、四月二十四日、小田実、開高健、鶴見俊輔、いいだ・もも、高畠通敏らの呼びかけたデモが、東京の清水谷公園で行われ一(参加一五〇〇人)、「べ平連」が発足した。その後、徹夜ティーチ・イン(一九六五年八月十四−十五日)、「ニューヨーク・タイムズ」紙への反戦広告掲載(同年十一月十六日)、「日米市民会議」(一九六六年八月)、反戦脱走米兵への援助(最初は一九六七年十一月、米空母イントレピッド号からの四水兵の国外脱出援助)、米軍基地内での地下反戦組織の結成、「週刊アンポ」の発行(一九六九年十一月−七〇年六月)、毎月一回の定例反戦デモなど、ユニークな活動を次々と展開した。組織は会員制をとらず、自発性を重んじ、六八−六九年には全国に三〇〇以上ものべ平連グループができた。六九年六月十五日にはべ平連など市民団体が中心となり、反戦青年委員会や全共闘、新左翼諸党派などを結集する七万の反戦デモを組織、政府や既成革新勢力に衝撃を与えた。べ平連の運動と組織は、それ以後のさまざまな市民・住民運動の運動や組織形態に大きな影響を与え、七四年一月二十六日に解散した。 吉川勇一
(参) ベトナムに平和を!市民連合編『資料「べ平連」運動』全三巻、河出書房新社、一九七四年。T・H・ヘイブン著、吉川勇一訳『海の向こうの火事』筑摩書房、一九九〇年。吉川勇一『市民運動の宿題』思想の科学社、一九九一年、
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(注)参考書籍にある著者名「ヘイブン」は、「ヘイブンズ」の誤り。