宮崎 学『突破者の条件』 幻冬社、1998年
第1章 突破者という生き方 同書p.60〜61 ¥1,600 + 税
……要するに、自分や自分たちが正義であると思いこんでいる。こういう「正義」を振りかざす連中ほど、人に対してどこまでも無神経になれる。その最たるものが「ベトナムに平和を!市民連合」(べ平連)だった。だいたい、日本に存在しない市民という単語をこの時代から使うこと自体でじゅうぶんいかがわしいのに、ベトナム戦争の最中にベトナムに平和をという運動は、まやかしだと思った。
なぜか。ベトナムは侵略に対抗して戦っている、そこに平和をなぞという耳触りのいいことばを投げかけて、それを運動としてしまう精神構造。私には耐えられない。
当時、ベトナムの人たちにとっては、平和ではなく戦いが第一だった。敵であるアメリカ帝国主義に勝利するしかない。それを、日本にいて自分たちはこういうふうに嘆いていますというようなことを運動の根底に持ってくる精神構造は、いかんともしがたい。恥を知れ、恥を。
階級闘争や民族間の対立というのは、平和とか何とかそんなきれいなことぼでは済まない、もっと動物的だし、本能ムキ出しのものである。それを「平和」と「市民」だって……。おい!ぼけているのか。
一九七二年、CIAの介入によりチリのアジェンデ社会主義政権が崩壊する前年のことだが、ペルーで世界青年友好祭が開かれ、私も飛び入りで参加した。
そこで、南ベトナム解放民族戦線の二十歳そこそこの少女が、「アメリカ兵を三十人殺した英雄です」と紹介され、演壇に立った。彼女は、ここであいさつしてまたベトナムに帰ったら死んでしまうかもしれない、おそらく二度とみなさんに会えない、といった。
事実、彼女は英雄だが、人をこれだけ殺すという悲惨なことを行なっている。果して、べ平連の連中が、彼女を英雄だとたたえるかどうか。彼らの感性ではそれは無理というものだ。ベトナム民族にとって平和は、力で勝ちとるしかない。だから、人も殺す。それがべ平連だけでなく、左翼と称する連中で分らない者が、多すぎる。……
(宮崎 学――みやざき まなぶ――は、1945年生まれ。早稲田大学学生時代、「日本共産党ゲバルト部隊」で名を馳せる。その後『週刊現代』記者を経て、文筆業。自伝『突破者』(1996年)がベストセラー。)