『近代日本総合年表 第二版』 岩波書店 1984年
1968年11月に第一版が出て以来、各方面でひろく利用されている年表であり、同書店の『広辞苑』とならんで、何かと権威あるもののように引用されているが、しかし、ことベ平連にかんしては、かなり不十分である。
索引の「ベトナムに平和を!市民文化団体連合(ベ平連)」の項によると、記述は1965年4月、1969年10月、1971年11月、1974年1月の4箇所にある。1965年4月はベ平連の発足、74年1月は同解散の記述だ。
残りの二つ、69年10月には「10.10 ベ平連・全国全共闘連合・反戦青年委など新左翼系400団体, 安保粉砕・佐藤訪米阻止などを掲げ, 東京明治公園など全国53カ所で初の統一行動. 」という記述が、そして71年11月には「11. 17 ベ平連, 米紙《ワシントン・ポスト》に広告〈沖縄からの訴え〉を掲載.」という記述がある。
ベ平連9年間の活動のなかでこの2項目が年表記載に値するという評価は、極めてお粗末だ。ベ平連も主要な要素として加わった統一行動なら、その年の「6月行動」のほうがずっと歴史的意味があるはずだし、また米紙への意見広告も、65年11月16日の最初の『ニューヨーク・タイムズ』へのものは、65年4月24日の「ベ平連初のデモ行進」の記述の項に含められているが、71年11月のものよりは66年 月の『ワシントン・ポスト』への全面広告のほうが重要なはずだ。こうした項目の選択は恣意的にすぎる。
そして、この年表には拾われていない重要な項目が多すぎる。たとえば、67年10月以降の米脱走兵援助活動、69年〜70年の『週刊アンポ』の刊行、あるいは新宿駅西口広場での「フォークゲリラ」集会など、思想的にも、社会的にも重要と思われる項目が一切ない。
こうした点から見て、この年表は、近代日本の市民運動、あるいは反戦運動の視点からは信頼できるものとは言えない。