『大百科事典』 第13巻 平凡社 1985年
べへいれん ベ平連
正式の名称を〈ベトナムに平和を!市民連合〉という。1960年代後半から70年代にかけて活動したベトナム反戦の市民運動体。代表は作家の小田実、事務局長は66年から解散まで吉川勇一である。1965年2月のアメリカ軍による大規模な北ベトナム爆撃の開始に抗議し、4月24日、小田実、開高健、鶴見俊輔、いいだ・もも、高畠通敏らの呼びかけたデモが、東京の清水谷公園で行われ(参加1500人)、〈べ平連〉が発足した。その後、徹夜ティーチイン(1965年8月14〜15日)、《ニューヨーク・タイムズ》紙への反戦広告掲載(同年11月16日)、〈日米市民会議〉(1966年8月)、反戦脱走米兵への援助(最初は1967年11月、米空母イントレピッド号からの4水兵の国外脱出援助)、米軍基地内での地下反戦組織の結成、《週刊アンポ》の発行(1969年11月〜70年6月)、毎月1回の定例反戦デモなど、ユニークな活動をつぎつぎと展開した。組織は会員制をとらず、自発性を重んじ、68−69年には全国に300以上ものべ平連グループができた。69年6月15日にはべ平連など市民団体が中心となり、反戦青年委員会や全共闘、新左翼諸党派などを結集する7万の反戦デモを組織、政府や既成革新勢力に衝撃を与えた。べ平連の運動と組織は、それ以後のさまざまな市民・住民運動の運動や組織形態に大きな影響を与え、74年1月26日に解散した。
⇒ ベトナム反戦運動 (吉川勇一)