栗原達男:小田実の終わらない旅 (2002/05/28搭載)
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「べ平連」という言葉の響き
に、ほろ苦い青春の記憶を重
ね合わせる人も多いだろう。
べ平連は「ベトナムに平和
を!市民連合」の略称で、激動の「60年安保」の後、1965年から約10年間活動した
反戦運動グループである。当
時、その代表を務めたのが、
作家の小田実さん(69)だ。
それから四半世紀以上が過
ぎ、世紀が新しく変わっても
地球上に戦火は絶えない。そ
んな今、小田さんが再びベト
ナムの地を踏んだ。
べ平連の活動を記録したDVDなどを、ホーチミン市
(旧サイゴン)の戦争証跡博
物館に寄贈するために、小田さんをリーダーとする一行30人が2月27日から1週間にわ
たって現地を訪れたのである。
一行は朱印船貿易時代に日
本人町ができ、約1000人
が生活していたホイアンや、
ベトナム戦争中に激戦のあっ
たダナン、そして米軍による
住民虐殺が行われたミライ村
ソンミを回った。
68年3月16日朝、米軍のへリ部隊がソンミに突然着陸し、カリー中尉率いる小隊が村人504人を虐殺した事件は、映画 「プラトーン」や「地獄の黙示録」のモデルにもなった。これまで何回もベトナムに来ている小田さんにとっても、実際にソンミを訪れたのは初めてのことだ。
小田さんがホーチミン市で泊まったマジェスティック・ホテルの103号室は、あの開高健が64年から65年春まで長期滞在し、ベトナム戦争の実情を書きつづった部屋だ。
「開高もこの机で苦しんで書いとったんやろ」
と、小田さんは感無量の表情を浮かべた。開高健もべ平連のメンバーであった。
昨年9月のテロ事件を契機にアフガン、そしてパレスチナと再び「戦争の時代」に入ってしまったかのように見える。だからこそ、ベトナムを風化させてはならない――そんな「リメンバー・ベトナム」の旅だった。
写真・文=栗原達男
(『サンデー毎日』 2002年5月26日号)