436.吉田泰三さんの逝去から10年、吉田さんを偲ぶ忍野パーティの報告。(06/10/22掲載 )
神楽坂のベ平連事務所で、すべての人びとから敬愛を集めていた吉田泰三さんがなくなられたのは、1996年11月でした。今年で満10年になります。吉田さんを偲ぶ「忍野パーティ」(毎年、春・秋にずっと続いてきました)が、10月21日(土)〜22日(日)に、例年のように山梨県忍野村のお姉さん、吉田和加子さんのお宅と前庭で開かれ、約30人が参加しました。同時に、この7月には、よく忍野に顔を見せていた互井幸枝さんもなくなられているほか、この日の早朝に急逝された北井優さんの訃報も報告されましたし、また、1994年10月になくなられている庄司洸さん(元「小西誠反軍裁判支援委員会」事務局長、その後、新宿御苑前で「だったん」を経営)の13回忌にあたり、当時の「兵隊さんグループ」の仲間たちが、最近、庄司さんのお母さんのお宅を訪ねた話なども報告されました。平均年齢よりもずっと早くなくなられたこれらの仲間たちの話が、ひとしきり、交わされました。
このほか、9・11の5周年に際して、アメリカ各地を訪問し、アメリカの研究者や活動家たちと交流してきた吉岡忍さん、東一邦さんからは、その模様が報告されました。いずれ、詳しくはいろいろな文書で紹介されると思いますが、要は、アメリカの知的荒廃ぶりにたいへん驚いたということでした。ただ、日本も似たような状況なのですが……。
名古屋大学の黒田光太郎さんからは、最近筑摩新書で出た絓(すが)秀
実著『1968年』(06年10月刊)が、ベ平連や脱走兵援助活動などについて、まったく一面的な評価をし、実際とは異なったイメージを与える本だという紹介がされ、それを正すような言論活動が必要だという問題提起がなされました。
このほか、いろいろな小グループが出来て、岡本和之さんから、最近のタイ・クーデター後の政情を聞いたりなど、さまざまな話題が交わされました。
翌日曜には、一部の人は白州町まで足を伸ばし、互井さんが力を入れていた薮内正幸美術館(この美術館については、本欄「343. 忍野パーティ2004年春のご報告と「薮内正幸美術館」開館のお知らせ
」をご覧下さい)を訪ね、そこで互井さんの散骨などの行事をしました。