164. 鶴見俊輔さんの「テロとアメリカ」についてのコメント(転載)(01/10/19掲載)
次に掲載するのは、『朝日新聞』大阪本社版の10月17日号に載った鶴見俊輔さんの談話『テロとアメリカ』の全文です。東京版では、この日は『テロと愛国心』というジョージ・ワシントン大学のマイク・モチヅキ教授の文が載っていましたので、東京版の読者の目には触れていないと思います。この問題を、歴史的・地理的に長いスパンをもって論じた考察が少ないだけに、ご紹介したいと思い、鶴見さんの了解を得てここに転載いたします。(追加) その4日後の21日に、東京本社版にも掲載されました。
!テロとアメリカ |
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人類の不平等 想像力欠く ゲリラ戦の教訓 学ぶ必要 |
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哲学者 鶴見 俊輔氏 |
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42年、ハーバード大卒。46年創刊の雑誌「思想の科学」を主導。ベトナム戦争反対の市民運動にもかかわった。79歳。 |
――アフガニスタンヘの攻撃を米国は「正義の戦い」と言っています。
「どんなことがあってもテロは許しがたい。しかし、米政府のトップには、なぜこんなにもテロが起こるのか考えるゆとりがなかった。イスラムの側から米国はどう見えているのか、ということを考えないで、いろんな手を打つのはどうだろう。世界を支配できる権力をもった人間が、想像力を欠いている」
――「新しい戦争」とも言っています。
「新しいというのは、国対国の戦争ではないですからね。このような戦争に対処するには国境を越える秩序をつくらなくてはならない。それは強国だけでなく、イスラムやラテンアメリカを含めないとできない」
「米国はいろいろな国の人が集まって一緒にいる国でしょう。それなのに『善と悪の戦い』と大統領が言ったら、どうにもならない。米国内にいる700万人のイスラム教徒はどうなるのか」
善と悪の定義
――「善」と「悪」の定義は。
「やなせたかしの『アンパンマン』では、悪の定義がはっきりしているんだ。クリスマスのプレゼントを独り占めしてしまうのが悪いやつ。米国は地球温暖化防止のための京都議定書に加わらない姿勢を見せているけど、『アンパンマン』の哲学からすると、おかしい。『最も豊かな国が最も貧しい国を攻撃している』ということも、分からなくなっている」
――ベトナム戦争と同じですね。
「米国はべトナム戦争をよく分かつていないんだ。第1次大戦の後、カミングズの『巨大な部屋』やヘミングウェーの『武器よさらぱ』といった偉大な戦争文学が生まれた。しかし、第2次大戦やベトナム戦争の後は優れた戦争文学が生まれていない。米国は殺され る人間からどう見られているか、とらえることができない。自分を映す鏡を壊してしまい、自分の位置を見つけられなくなったんだ」
――同時多発テロが起きたとき、何を思われましたか。
「日本軍が真珠湾を攻撃した1941年12月7日(日本は8日)のことかな。このとき私はハーバード大学の学生で、入学したときの下宿先の息子が来て暗い顔をして言うんだ。『お互い憎み合うだろう。それでも友だちでいたい』と。そのときは日米開戦を知らなかったので、米国人を憎むということがよく分からなかった。当持、大学でたった一人の日本人学生の私は、翌年3月に収容されるまで日本人ということで嫌な思いをすることは一度もなかった」
自分を映す鏡
――今回と雰囲気がかなり違うようです。
「今回はアラブ系の米国民が殺されている。60年の間に米国が変わった、と感じたね。米国は19世紀の終わりに世界一の国になっていたのに気づいていなかった。だけどヨーロッパが鏡になって自分をとらえることができた。第2次大戦後に世界一を自覚してその鏡を失い、変になった」
――テロはナイフ、アフガン攻撃はハイテク兵器。これをどう見られますか。
「人間のすることにはいつになっても文明の中に原始的な部分がある。ヤルタ会談でルーズベルトがスターリンに押し切られたが、あれはルーズベルトが深刻な体調不全だったために決断力が弱くなっていたから。このような原始的な問題はいつもあるんです」
――近代文明は、ナイフに気づかなかった。
「そうです。実はナイフもいらなかった。完全な格闘技さえ練習していれば。次はナイフさえも使わない原始的なテロが起こるかも知れません」
「大陸」の観念
――米国はどうすればいいのでしよう。
「米国はメキシコからの密入国者も多く、英語を話さない国民が増えていて内部から変わらざるを得ない。『アメリカ』とはアメリカ大陸のことで、カナダからアルゼンチンまでが『アメリカ』なんだと気づいたとき、米国はアメリカになる。今はハーフアメリカだね。アメリカ大陸が一つの秩序の観念を持つようになったとき、テロはやむだろう」
「60年前、アメリカは理想を持っていた。しかし今は、持っている物を失うまいとして、反動になっている。それに気づいていない。民主主義を推し進めていると思っている」
――テロと報復の連鎖を、どこかで断ち切らなければいけません。
「テロは、あらゆる技術を尽くして防止する必要がある。それと並行してなぜテロが起きているのか、人類の不平等について考えなければいけない。2000年代の始まりに起きた最初の大きな事件で、千年紀に耐えられるようにイマジネーションを大きくして取り組むべきでしょう」
「日米で互いにできることがある。日本は日中戦争で、米国はベトナム戦争で、いずれも長期のゲリラ戦を経験した。日本は、中国人や朝鮮人にひどいことをしておきながら、敗戦のとき米国に頭を下げただけで、中国や朝鮮に対して自分が何をしたかを考えなかった。両戦争を比べる国際会議の開催や共同研究を日米に提案したいね。このゲリラ戦で得られた教訓を深く刻み込まなければなりません」
(聞き手 報道プロジェクト室 古森 勲 松井 京子)
《『朝日新聞』大阪本社版 2001年10月17日、鶴見俊輔さんの了解を得て、転載》
なお、このインタビュー記事の続編とも言える「テロと日本」というインタビュー記事も、本「ニュース」欄 No.173 に載っています。