「在留特別許可取得一斉行動」 (速報)No.15



●不許可になった単身者2名の訴状提出

 在留特別許可が不許可となってしまった2名の単身者が、3月9日、法務大臣を相手に行政訴訟を起こし、今後は、法廷に場を移し、在留特別許可を求めることとなりました。
 これまで労災等を中心に在留特別許可が認められたことはないため、厳しい裁判となることが予想されます。しかしながら、日本での就労中に労災事故にあい、長期にわたる治療が必要なこの2名の現状は、出入国管理難民認定法第50条第1項の三に定める「法務大臣が特別に在留すべき事情があると認めるとき」に許可するとされる在留特別許可の「特別な事情」に十分該当すると考えています。今後の裁判の行方にご注目ください。


●27万人署名への引き続きのご協力を

 11月から始めた27万人署名は、3月20日現在、3万3000名を超える署名が集まっています。すでに法務省へ提出した5300名分と合わせて、5万名分を超えた時点で、再度、法務省へ提出する予定です。以前にもご報告しましたように、9月1日に出頭した21名は16名に許可が認められたもの、5名が不許可となってしまいました。すでに1度不許可となってしまった5名の裁決を覆すには、粘り強い運動の力が不可欠です。1人でも多くの署名を集め、その声を反映した結果を法務省に求めていきたいと考えています。皆様のご支援、ご協力を心よりお願い申し上げます。


● 許さん一家に在留特別許可

 一家5人で在留特別許可を求めたものの「留学」で在留特別許可が認められた長女以外の4人が不許可となってしまった許攀桂(きょ・はんけい)さん一家が、3月14日、再審の申し立ての結果を受け取りました。結果は今春から私立大学に入学する次女が「留学」1年の、父、母、長男の3人は「定住」1年の在留資格がそれぞれ認められました。

 一家は支援団体や弁護士に相談せず、家族5人だけで1997年10月1日に東京入国管理局に出頭しました。その後、1999年6月までなんの呼び出しも受けずに待たされましたが、6月に違反調査は始まって以来、わずか、4ヶ月後の1999年10月22日に、長女以外4人が不許可との結果を受け取り、子どもを含む4人が収容されてしまいました。11月30日仮放免の申請と再審の申し立てを行い、母親と次女、長男は認められた ものの、父親は認められず、茨城県牛久市の東日本入国管理センターに移送されました。

 9月1日に出頭した21名のうち16名が許可されたことで許さん一家に在留特別許可が認められるのも時間の問題と思われていましたが、11月以来、なんの音沙汰もなく、特に4月から大学生となる次女は不安な気持ちを抱えつづけておりました。

APFSとしても、なんとか入学式までには在特が認められるようにと、2月から許さん一家の団体署名を募り、15団体からの賛同を受け取り、提出の準備をしていた矢先の許可でした。各団体からの署名は、3月14日、許可を受け取るまえに提出しました。また、東日本入国センターに収容されていた父親は、その場で許可を受け取り、、同日、収容施設を出ました。これによって一家は5ヶ月ぶりに一家5人の生活を 取り戻すことができました。

ご支援、ご協力をいただいた皆さん、本当にありがとうございました。



2000年3月20日 
ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY
(A.P.F.S.)


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ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY (APFS)