一家族3名在特取得、一家族3名不許可
9月1日、在留特別許可を求めて、出頭した5家族、2個人のうち、2月2日、午後1時、イラン国籍のFさん一家とビルマ(現・ミャンマー連邦)国籍のMさん一家の2家族、6名に東京入国管理局第二庁舎にて法務大臣の裁決が渡されました。
Fさん一家3名(イラン・イスラム共和国)―夫:39才、妻:37才、長男:15才―には在留特別許可が認められ、定住者としての在留資格(在留期間1年)を取得しました。
Mさん一家3名(ビルマ・現ミャンマー連邦) ―夫:43才、妻:34才、長女:2才―は残念ながら不許可となり即収容されてしまいました。(年齢は9月の出頭時の年齢です)
APFSから直ちに仮放免を申請し、同日午後3時30分に妻と長女のみに仮放免許可が認められ、自宅に帰宅しました。夫は現在も入管収容施設に拘束されていますが、Mさんの仮放免を再度申請していく予定です。Mさん一家の不許可の理由はあきらかにされませんでしたが、APFSでは、一両日中にも法務省に対して行政訴訟を起こし、Mさん一家の在留特別許可を法廷の場で求めていきます。不許可の理由は、法廷であきらかにされていくことと思います。
本日の裁決についてはAPFSのスタッフと一部のマスコミ以外に知らせていなかったにも関わらず、入管の前にはたくさんの報道陣が詰めかけ、入管側はこれまでにない厳重な警備体制を敷いてFさん、Mさん一家を待ちうけていました。APFSからも約10名のスタッフが駆けつけましたが、吉成代表と弁護士以外は門の中に入ることすら認められず、入管前は異常な空気に包まれていました。
先週来の報道により、21名の結果は、ある程度、予測はしていました。一家族が許可、しかもこれまでの在留特別許可の基準を満たしていなかったFさん一家に許可が認められたことは、27万人の超過滞在者にとっても新しい道を一本作ることができたことであり、APFSとしても大変喜ばしいことであるには違いありません。しかし、その一方で一家族3名の訴えが届かずに、不許可となってしまったことは、出頭前から行動を共にしてきた21名にとって、心の痛い、非常につらい結果となってしまいました。
許可が認められたFさん一家も、Mさん一家の不許可の知らせを受け、さらに残る15名が2月2日現在呼び出しを受けていない現実を思うと「手放しでは喜べない」と、その複雑な心境を語っていました。APFSのスタッフもMさんの妻が悲しい気持ちを必死で抑えている姿に胸がしめつけられるような思いでした。収容されているMさんと同日夕方、吉成代表、ビルマ人協会会長のソウウィンさん、Mさんの妻、長女の4人が面会をした際に入管の面会場所でガラス越しに会う父親の姿に泣き出す長女の姿は涙を誘うものでした。
Mさん一家は本当に残念な結果となってしまいましたが、不許可になった家族への入管の処遇には変化が見られました。通常、こういった場合、一家3人がそのまま収容されてしまうのが常だったことを思うと、妻と子に仮放免が認められたことは、入管が子どもの権利等を考慮したことの表れといえ、わずかながら入管の姿勢にも変化が見えているといえるでしょう。
残り15名の結果がいつどのように出るかはまったく不明のままですが、21名全員に在留特別許可が認められるまで、全員、気持ちを合わせて行動を続けていきます。
2000年2月2日
ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY
(A.P.F.S.)
ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY (APFS)