在留特別許可取得一斉行動 「12月27日出頭者のプロフィール」


---12月27日に出頭した5家族・17人のプロフィール---



 99年9月1日に在留特別許可を求めて出頭した21名に引き続き、12月27日、新たに5家族、17名が東京入国管理局に在留特別許可を求めて出頭しました。どの家族も入国から8年から10年が経過し、日本に生活基盤が築かれていることを理由に在留特別許可を求めています。
 9月に出頭した21名のうち16名に許可が認められたとはいえ、同じような状況の家族に許可が認められるかどうかの保証はまったくありません。そのうえ、子どもの年齢の小さい家庭もあり、17名の審査の行方が心配されます。
 17名につきましては、現在、集めている27万人署名と共に、法務省へ訴えていく予定です。
 どうか、皆さん、ご支援、ご協力お願いいたします。




K.Mさん一家: 父親(35歳)、母親(33歳)、長女(11歳)
【国籍:イラン・イスラム共和国】

 K.Mさんは1990年に入国し、短期間就労したのちに帰国し、1991年2月に再び日本を訪れ、短期間就労をした。この時も超過滞在となる前に帰国している。1991年9月に3度目の来日をした。入国当初は、バブル景気に沸く建設関連の会社に就職し、その後は職を転々とする。現在は印刷所にて勤務している。妻と長女は3回目の来日後、安定した生活が出来ると判断し、イランから呼び寄せた。長女が3歳のときであった。長女は地域の小学校の5年生として日本人の友人も多い。
 在留特別許可を求める主な理由は、10年近くの日本での暮らしで、生活基盤が形成されたこと。また、長女が小学校5年生として通学しており、いまイランに帰国した場合、長女の心に大きな傷が残ると考えたため。
(入国時の在留資格;短期滞在、認められた在留期間90日間)



B.Mさん一家: 父親(39歳)、母親(38歳)、長男(1歳)
【国籍:イラン・イスラム共和国】

 B.Mさんはテヘランにて設計会社に勤務していたが、給与が一定に支払われなかったことから、田舎の土地を売却して、その金を日本への渡航費用とした。1990年10月に来日した。イランにはなんらの生活基盤を残しては来なかった。翌年1991年に妻が夫と日本での生活を共にするために来日した。以来夫婦二人で過酷な仕事に従事し、生活もやっと安定をしてきた。1998年11月には待望の子どもが生まれ、子どものためにも在留特別許可を取得して日本で安定した生活を営んでいきたいと考えている。
(入国時の在留資格;短期滞在、認められた在留期間90日間)



KH.Mさん一家:父親(34歳)、母親(31歳)、長女(4歳)
【国籍:イラン・イスラム共和国】

 KH.Mさんは1985年〜87年まで懲役についており、その後、これといった仕事もないままにデパートの洋服販売員などの職を転々としながら暮らしていた。KH.Mさんの弟が、日本で就労をしていたため、日本に行けば仕事と高額の賃金を得ることが出来ると考え日本に行くことを決意した。1989年6月に最初に入国し、15日間の在留期間を認められたが、一度韓国に出国し、再び入国をし90日間の滞在ののち帰国した。日本での就労の経験から再び長期間日本で生活をしたいと考え、すでに結婚をしていた妻も同行することとし、1991年2月に入国した。電気店に勤務をしたのち、鳶職人として現在まで同じ会社で就労している。1995年6月には長女も出生し、3人の家族で幸せな生活を送っている。
 1989年6月に初めて来日して以来、10年にわたって日本で生活をしており、長女が誕生してからは親子3人で幸せな生活をしている。鳶職人としての経験も8年余となっており、経済的にも安定した生活を将来にわたって営んでいけることを理由に在留特別許可を求めている。
 去る11月24日に妻子が自宅にて東京入国管理局に摘発されたが、在留特別許可を求めて出頭を準備をしていることをAPFSが入国管理局の担当者に告げたところ、一応その日のうちに釈放された。
(入国時の在留資格;短期滞在、認められた在留期間90日間)



B.K.さん一家: 父親(35歳)、母親(33歳)、長男(13歳)、長女(6歳)
【国籍:イラン・イスラム共和国】

 B.K.さんが高校を卒業したのは、イラン・イラク戦争が終了した直後。イランの経済・社会状態は極端に悪化していた。その影響を受けてきちんとした仕事に就けないでいた。高校時代に覚えた時計の修理の技術を生かした仕事をしたいと考えて、友人と時計集理解者を共同経営したが、うまくいかずに日本に行くことを決意した。当初は、3ケ月間ほど日本で時計の修理業に従事し、帰国するときには韓国に立ち寄り、時計の部品を購入することにしていた。渡航費用を親戚から借りていたが、日本で就労しても渡航費用の額には及ばなかったため、そのまま認められた期間を超えて滞在をしてしまった。1991年初頭には妻と長男が来日した。1993年には長女が出生した。
 長男は地域の中学校1年に在籍しており、10年近くの滞在により生活基盤は完全に日本に形成されてい る、すべてを捨てて来日し、日本で家族も増えて幸せな毎日を過ごしている。中学1年生の長男はペルシャ語も話すこともできず、日本の生活になれ親しんでおり、いまイランに送還された場合、適応できるかどうかの不安が大きい。なお、B.K.さんは現在、日系ドミニカ人と中古車部品の輸出業を営んでいる。
(入国時の在留資格:短期滞在、認められた在留期間90日間)



A.K.さん一家: 父親(36歳)、母親(33歳)、長女(11歳)、次女(3歳)
【国籍:イラン・イスラム共和国】

 A.Kさんも他の人たちと同様にイラン・イラク戦争の影響を受けて生活が不安定となった一人である。A.K.は中学校を中退後に洋服店を経営していたが、いくら働いても貧しい生活から抜け出すことが出来なかった。そのためA.K.さんは、かねてから友人に聞いていた日本で就労することに興味を持つようになった。1990年5月、A.Kさんは単身で入国をした。入国後はプラスチック成形会社などの仕事を転々としていたが、1991年6月には妻と長女を呼び寄せ、ともに暮らすようになった。1996年には次女が誕生している。
 10年近くにわたる日本での生活により、A.Kさん一家の生活基盤は完全に日本に形成されており、イランに帰国しても土地や建物など財産と言えるものは何も所有していない。一方で、10年近くにわたる日本での生活で長女は小学校5年生となり、また次女も地域の保育園に通園をしている。子どもたちは日本の文化や習慣に慣れ親しんでいるため、特に長女は日本にこのまま滞在することを強く希望していることから、今回の出頭を決意した。
(入国時の在留資格:短期滞在、認められた在留期間90日間)



※年齢、子どもの学年は1999年12月の出頭時のものです。


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