1980年代半ばから1990年にかけて多くの人々が就労の場を求めて、アジアの諸国から来日した。高度経済成長のなかで、労働力不足に悩む企業と生活の糧を求めてやって来る外国人の需要と供給のバランスがとれていた時期であった。その後、日本の経済は低迷を続けることになり、多くの外国人が帰国をしていった。入国管理局や警察も未登録外国人への取締りを強化し、志半ばで帰国せざるを得なかった人も少なくない。
しかし入国管理局による入国の規制強化や摘発によっても日本で就労する未登録外国人数はそれほど減少しなかった。現在でも27万人近くの未登録外国人が日本で就労をしている。こうしたなかで、未登録外国人の定住化はすすんでいき、日本に家族を呼び寄せたり、日本での長年の生活のなかで同国籍の人たちとの婚姻も増加していった。未登録外国人が日本に生活基盤を形成していったのである。祖国に帰国しても生活のあてもなく、また子どもたちも成長し日本での生活を強く望むようになってきたのである。
未登録の移住労働者の支援団体であるAPFSが設立されたのも、ちょうど日本で就労する外国人が増加しはじめた1987年の12月であった。当初、未登録外国人からAPFSに寄せられる相談の多くは、労働や生活に関するものであった。しかし、1992年頃からは国際結婚に関する相談や子どもの教育や国籍に関する相談が増えはじめる。未登録外国人の定住化は、この頃から始まったといってもよい。
APFSでは、毎年「移住労働者のメーデー」を実施しているが、未登録外国人の権利について話が始まると、常に非合法な存在におかれていることから、様々な無権利状態が生じるのであるという結論になってしまう。APFSでは、1994年の夏頃から法務省−入国管理局に対していわゆる「アムネスティ」の実施を求めてきた。非合法の滞在とはいえ、警察や入国管理局による摘発を恐れながら日々を送ってきた未登録外国人が生活基盤を日本に形成した以上、国として何らかの措置を取ることが国際的にも迫られたのではないかと考えたからである。実際「アムネスティ」は欧米各国で実施されており、近くではタイで未登録外国人の合法化が行われている。
何度も「アムネスティ」の実施を求めたものの法務省−入国管理局の対応は、否定的なものであり、将来にわたって「アムネスティ」の実施は期待できない状況となった。一方で未登録外国人の長期滞在・定住化は確実に進行してゆき、未登録労働者だけでなく、その家族、とりわけ子どもたちの無権利状態をどのように解決していくのかが現実に問われることになる。子どもたちは中学校や高等学校に進学しており、このまま事態を放置すれば、3.4年後には「不法就労者二世」が誕生することは間違いない。大人たちはほとんどが「確信犯」として入国しており、その国の法律にしたがって刑罰を受けようとも仕方がない。だが子どもたちには何ら責任はない。幼いときに両親に連れてこられたり、日本で出生した子どもたちを裁くことはできない。
本年初頭、朝日新聞朝刊の社説欄に未登録外国人に関する記事が掲載された。簡単に解説すると政府はこれ以上未登録外国人の無権利状態を放置することは許されないというものであった。この記事に触発されるようにAPFSでは「アムネスティ」の即時実施が期待できないのであれば、現行の法律を活用して未登録外国人を合法化できないものかと考えるようになった。APFSでは、前述のように1993年頃から国際結婚が増加していたことから、日本人配偶者を得た未登録外国人に対して在留特別許可を認めさせる活動が始まっていた。その結果、出入国管理および難民認定法第50条の在留特別許可を、これら未登録外国人にも生活基盤が日本に形成されたということを理由として認めさせることはできないかと考えるようになった。もちろん、これは日本人だけで考えただけでは意味がない。在留特別許可が認められなかった場合には、当然退去強制令が発布される。また入国管理局に出頭したときに身柄を拘束される恐れもある。実際、入国管理局は、APFSとの話し合いのなかで、基本的に
は自主的に出頭をしてきても全件収容する主義であると公言してきている。これらのリスクを負うのは出頭する当事者である。APFSでは在留特別許可の意味、日本政府の未登録外国人に対する政策など当事者と議論を重ねた。当初は50人は超えていた出頭希望者も議論を重ねるごとに減っていき、5月2日に開いた「第10回移住労働者のメーデー」の場で出頭の決意を固めたものは、5家族、2個人の合計21人となった。
6月頃から、今回の一斉出頭行動について支援団体を中心に情報提供までになった。そして子どもを交えた家族との話し合いも何度か行った。APFSのスタッフが未登録外国人の居住している所まで足を運び話しあったこともある。弁護団の設立もこのころから準備を始めた。とくに経験豊富な東京弁護士会の外国人人権救済センターの先生方を中心として弁護団の設立準備会ももたれた。弁護士の先生と出頭する者たちが全員が出席し会議を開いたときである。弁護士の先生たちから在留特別許可の取得について見通しが非常に暗いという意見もだされた。イラン人の小学生と幼児のお母さんである女性は「私たちは子どものために、今回出頭することを決意した。今のままの状態が続くことに耐えられない。たとえ自分たちが犠牲になっても次の人たちに繋がるのであれば、たとえ収容され送還されても構わない」と言い切った。この決意を誰もうち崩すことはできない。たぶんそこに出席した出頭者の大人たちのほとんどが同じ考えだったのだろう。ただ子どもたちは少々違っていた。このまま黙っていれば強制送還もなく、日本にいられるのだから大学生になってから出頭してもいいのではないかと反論する子どももいた。しかし国民健康保険や様々な社会保障制度の枠外におかれ、いつ摘発されるかもしれない身の上である以上、いつかはカミングアウトしなければならない。その時期が21世紀を目前にした今なのである。マスコミの論調も一頃の「不法滞在外国人」をステレオタイプで捉える方向から少しづつ変化している。朝日新聞の社説がそうである。
Xデーを前に出頭者たちは次第に緊張と不安の念を深くしていった。事前に公然と顔をだして取材を受けるといっていた人たちのなかから、取材を断る者もではじめた。最後の意思確認のために、8月29日に出頭者を励ます集いが開かれた。前述の5家族、2個人の合計21人全員が初めてみんなの前に姿を見せたのである。不安を隠せない子どもたちの姿、激励に答えるあいさつは緊張のあまり意味不明となってしまった。しかし参加した100人を超える人たちはみんな出頭者の心のなかを理解していた。そしてこの集いのなかで出頭日が間近であることが明らかにされた。また報道関係に対しても記者会見を出頭日当日に行うことを通知した。
出頭日は9月1日の午後3時であった。3日前に入国管理局に対して出頭することを伝えておいたため、当日はほとんど混乱もなく入国管理局の大会議室に21人が通された。統括入国警備官が事前に手続きについての説明をおこなった。出頭者全員と弁護士5人、そしてAPFSのスタッフが5人ほど同席した。会議室の後ろには20人ほどの警備官が立っていた。収容されるのではないかという不安も多少あった。説明会が終了すると各家族別に違反調査を行うことになった。さすが、就学前の子どもたちについては取り調べることはなかった。出頭に付き添った弁護士やAPFSのスタッフは大会議室で待機するしかなかった。入国管理局側が弁護士の同席を認めなかったからである。1時間余が経過しようとしたとき、今回の出頭者の団長であるイラン国籍のアデル・ゲイビさんが笑顔で大会議室に戻ってきた。今後は、在宅で取り調べることになる、と警備官から言われたという。大会議室の緊張はひとまず融けたようである。その後は、続々と取り調べを終えた人たちが大会議室に戻ってきた。最後は、バングラデシュ国籍のモハメッド・アラムさんであった。5時過ぎに全員が大会議室に復帰した。
今回の一斉行動は「アムネスティ」の実施の姿勢をまったくみせない法務省−入国管理局に対して、当事者がやむにやまれず起こしたものである。27万人の未登録外国人を無権利状態のままで放置することは絶対に許せない。子どもたちのためにも自分たちが立ち上がらなければ何も変わらない。こうした切実な思いが今回の行動に結びついたものである。27万人の未登録外国人の数からすれば21人の出頭者は本当に小さな存在かもしれ
ないが、今回の行動が自らの権利の獲得のためには自らが行動を起こさなければならないということを、27万人の未登録外国人に伝えたという点で評価できるだろう。未登録移住労働者の真の意味での自立が始まったといえる。そして法務省−入国管理局も未登録外国人とその家族の無権利状態を放置するわけには行かないということを、今回の行動のなかで知ったのではないかと思う。
しかし闘いは始まったばかりである。入国管理局は事態の重大性を誰よりも感じとっている。出頭からわずか5日目にバングラデシュ国籍のモハメッド・アラムさんと私に出頭要請があった。私がアラムさんの身元引受人となっているために事情を聴取するというものであった。その中で、まったく関係のない私の犯罪歴まで調べようとした。また9月17日には、ミャンマー国籍のマウンさん一家に出頭するようにとの連絡が入ったのを始めとして、今回の出頭団の団長であるイラン国籍のアデル・ゲイビさんには9月22日にまた今月後半にかけて3家族が同じく違反調査のためということで出頭の呼び出しを受けている。入国管理局側は、今回の出頭行動が社会問題化する前に何とか力で押しつぶそうとしているかのようである。実際、出頭後にイラン国籍のTさんの家に所轄の警察官が訪ねてきている。APFSとしては、今回の出頭行動の意味を広く世論に訴え、社会問題化することで法務省−入国管理局を社会的に包囲するしか解決の道はないと考えている。そのためには国内法、国際法上からもまた経済的、社会学的な見地からも今回の行動がまったく突発的、偶発的ななものではなく、全世界の移住労働者の置かれている状況から必然的に生み出されたものであることを説得力を持った言葉で発信していかなければならないと考えている。9月21日には15名の弁護士の呼びかけで弁護団が正式に設立される。
また学者、研究者による今回の行動の理論的根拠、社会的な意味について提言がだされる予定である。さらに日本に滞在する未登録外国人とほぼ同数の人から署名を集める「27万人署名運動」も現在すすめているところである。そして第二段として出頭者する者の名簿も着々と作成されつつある。もはや躊躇しているときではない。未登録移住労働者は一線を超えてしまったのである。続々と未登録外国人がカミングアウトすることこそが、未登録外国人が日本社会のなかで認められ、生き残れる唯一の道であるといえる。そしてカミングアウトする未登録外国人とともに日本人が何をするのかが今後の大きな課題だといえる。単に支援や協力にとどまるだけでよいのか。日本にも多民族・共生社会が到来したといわれて久しい。いま日本人の一人一人に未登録外国人、とくに子どもたちとどの様に21世紀を生きていくのかがこの問題を通して否応なく問われているのではないだろうか。
最初にも述べたとおり現在日本には27万人近くの未登録外国人とその家族が居住している。相変わらず日本経済は低迷を続けており、失業率も高くなっている。しかし未登録外国人を雇用する零細・小企業はまだまだ多い。いわゆる汚い、きつい、危険といわれる3K労働を日本人労働者は嫌っている。将来、日本は少子高齢化社会となり、こうした日本経済の土台を支える零細、小企業に就職しようという若年労働者が不足することは目に見えている。今年4月に首相の諮問機関である経済審議会は次期10ケ年計画の課題として「移民労働力」の受入れを盛り込んでいる。財界でも富士ゼロックスの小林陽太郎会長は「日本経済の富裕さが多くの人を引きつける結果として、移民をある程度受け入れるのは(日本の)責務」とさえ述べている。いま日本政府は不足する単純労働者を日系人労働者と研修制度によって何とか凌いでいこうとしている。とくに技能実習生度を導入することで、事実上若くてフレッキシブルな労働力を低賃金でいつでも供給できると考えているだが、いずれにしても新たに移民労働者を日本に導入しなければ、日本の経済の将来はないということは誰もが認めざるをえないことである。
そうであるならば、10数年を日本で過ごし、日本社会のなかに生活基盤を有した未登録外国人の合法化措置を通して、将来に備えておくという考え方もできるのではないだろうか。未登録労働者の多くが日本での長年にわたる就労のなかで、日本語を習得し、また企業内にあっては熟練労働者として生産ラインの中心となっている者さえいる。今一度確認するならば、日本社会は移民労働者を受け入れなければ将来にわたって繁栄も成長もありえないのだということ。そして日本の未来を共に築く人々として27万人の未登録外国人が存在しているということを知るべきである。
1999年9月15日
ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY
(APFS)
吉成 勝男
ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY (APFS)