「在留特別許可取得一斉行動」 (号外)



●許さん一家、3人に仮放免許可!

 11月30日、在留特別許可を求めて一家5人で東京入国管理局に出頭したものの、長女以外が不許可となり、17歳と10歳の子どもを含め一家4人が収容されたままであった中国籍の許攀桂(きょ・はんけい)さん一家の再審の申し立てと、仮放免許可の申請を行いました。入管側の対応は「前向きに検討する」といった好意的なものでした。APFSでは父親をのぞく3人の仮放免許可が出るであろうという確かな感触を持ち、いったん事務所へ戻りましたが、同日夜、仮放免許可が認められ、母親と、17歳の次女、10歳の長男が約1ヶ月半ぶりに自宅に戻ることができました。

 許さん一家5人は、1997年10月1日、在留特別許可を求めて東京入国管理局に出頭しましたが、99年6月に呼び出しを受けるまで、およそ20ヶ月もの間、入管側の調査が一向に進みませんでした。にもかかわらず、呼び出しを受けてわずか4ヶ月足らずの99年10月22日、短大生の長女をのぞき、4人が不許可、その場で入管内の収容所に収容されてしまいました。許さん一家へ入管側が下した判断は、家族で申請したにもかかわらず、在特が認められたのが短大生の長女のみというのも異例の裁決といえますし、不許可即収容という入管側の原則にしたがって、10歳と17歳の子どもたちまでをも収容してしまったことは行政の行き過ぎた人権侵害といわざるをえません。1ヶ月以上にわたる収容生活で、次女はストレスからか顔面が赤く腫れ上がり、不眠などの体調不良を訴えましたが、入管側は専門医に診察をさせることなく放置してきました。また、ぜんそくの持病をもちたびたび発作を起こす長男も、男女別が原則である収容所では母親と引き離されたまま、母親の看護を受けることもできずに、心身共に不安定な生活を強いられました。

 当初、入管側は「子どもを含め、帰国準備以外では仮放免を認めない」と強固な姿勢を見せていましたが、弁護士とAPFSの粘り強い働きかけにより、今回の仮放免許可にこぎつけたものです。これまで在留特別許可が不許可となり一度収容されてしまうと、仮放免が認められるのが大変難しかったことを考えると、超過滞在者の在留特別許可取得へ一歩前進したといえるでしょう。同時に子どもたちに仮放免が認められたことは、収容は子どもが健全に育ち、教育を受ける権利を著しく侵すことを入管側が認めたことの前例として、さらにその子どもを保護するために、最低限、母親の収容も許されないものであることの前例としても評価できるものです。もちろん、父親が収容されたままであり、まだまだ予断は許しません。再審の申し立てが不許可になった場合、行政訴訟の準備に入りますが、APFSとして支援を続けるかどうかは、今後、検討していく予定です。


◆許さん一家のこれまでの経緯◆

1988年 6月
      許攀桂さん(当時35歳)就学生として来日

    10月
      妻(当時32歳)、長女(当時9歳)次女(当時6歳)来日

1989年 8月
      長男誕生 6ヶ月の在留資格を取得

1990年 4月
      在留資格の更新が認められず、超過滞在に

1997年 10月1日
      東京入国管理局に在留特別許可を求め、出頭

1999年 6月
      初めて違反調査の呼び出しを受ける

    8月
      違反審査開始。母、長女、次女、長男は仮放免許可を受け
      在宅での取り調べとなるが、父親のみ仮放免が認められず、
      収容される。

    10月22日
      長女のみ「留学生」として在留特別許可が認められるが、
      父、母、次女、長男の4人は不許可。そのまま収容される

    11月30日
      4人の再審の申立と仮放免許可の申請を行う。
      母、次女、長男に仮放免許可

1999年12月2日 



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ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY (APFS)