■[ACT新聞社の紹介] |
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――まず、この映画を撮るに至った経緯を教えていただけますか?
実は最初こういう映画をつくろうとは思ってなかったんですよ。
98年に、イラクの子どもたちが湾岸戦争後、白血病やガンになって死んでいる、しかも薬もないという話を、一人NGOで活動している伊藤政子さんの報告会で聞いたんですね。でも、当時、日本のメディアでそういうことは報道されていなかった。イラクへの経済制裁とは具体的にどういうかたちで生活に影響しているのか、劣化ウラン弾というのは本当に安全なのか、といったことが全然検証されていなかったんです。
たとえば、アメリカでは、経済的インセンティブとか政治的意図によって偏った情報を提供する大手メディアに対し、そのバランスをとるため、一方で、それとは違う視点のメディアが草の根活動しているんですね。私も、アメリカにいたとき、このメディアがメディアを批判するというメディアアクティビスト活動に参加していました。
そういうこともあり、私は現実のイラクを撮って番組をつくろうと、現地に行ってみることにしました。
現地の実態は想像をはるかに越えた苛酷なものでした。下痢になっただけでも死んでしまう。本来だったら生きることができた子どもたちが、薬がないために命を落とす。そんな中、私は14才の少女・ラシャに出会いました。彼女は「私を忘れないで」というメッセージを残して亡くなりました。それは現象としては病気で死んだということなのでしょうけれど、客観的には殺されているとしか思えなかった。経済制裁の実態というのは、まさにゆるやかな大量虐殺といえるようなものだったんです。
しかも、そういうことが横行しているにもかかわらず、世界のなかで発言力のある人が、イラクに足を運んだり、「なんとかしなくちゃいけない」といったことを言わない。書かない。あるいは、映像作品にしない。スペイン戦争時のヘミングウェイのような行動をとる人がいないんです。知識人たちが、世界に存在するこのような不条理な現実に無関心・無感動になっていると思えました。世界の有名な写真家などは、もっと早い時期にイラクに行ってそれをやらなくちゃいけなかったと思います。
ただ、当時、私自身はそのような劣化ウラン弾の被害や、経済制裁によるスローな虐殺といったことは、イラク固有の問題としてしか捉えていませんでした。ラシャに対しても、「劣化ウラン弾の犠牲者」としか考えていなかった。私は、薬さえあれば何とかなる、日本は「被爆国」だから、なにか医療のノウハウがあるかもしれないと思ってたんです。
それで、映画に出てくる医師の肥田舜太郎先生を紹介してもらい、99年の3月に会いに行きました。先生は自らもv広島で原爆に遭遇した被曝者で、被爆者医療にずっと携わってこられた方です。
先生は私の番組を見てくれていました。私は、先生にイラクの子どもたちの現状を話し、放射線にやられた人をどうしたら治せるのか、と尋ねたんです。そうしたら「被爆・被曝というのは放射性物質を体の中に取り込んで、DNAに『お前をいつか殺すぞ』という印をつけられること。時限爆弾を埋め込まれたようなもので、いつ爆発するか分からない。10年後か、1年後か、明日か……。とにかく、その時限爆弾を止めることはできない」といわれました。ヒバクというのは治らない、とそこで初めて知ったんです。
また、イラクの子どもたちがかかっているのは、放射性物質を体の中に取り込んだ低線量被曝だということも教えてもらいました。日本にもそういう状態で今も苦しんでいる人がいて、それに対して政府はなんら充分な補償をしてないということも、そのときまで私は知らなかった。それまで私は、広島にも長崎にも行ったことがありませんでしたし、初めて会った原爆による被曝者が肥田先生なんです。
それから、肥田先生の診療所にある被爆者外来で診察風景を見せていただきました。肥田先生は「人間を縦に診る」というのですが、その人の生育環境や結婚相手、食べ物の好みなど、とにかくその人の人生をみんな聞くんです。しかも、脈をとるときも、聴診器を使うときもすごい集中力。私は医療関係の番組をいくつかつくっているので、そういうことは、少しは分かるんですよ。それで、肥田先生に興味を持つようになったんです。
そうして肥田先生を撮っていくうちに、先生の患者さんにも実際に話を聞きたくなったので、「ヒバクしたときの話を聞かせてください」と尋ねたんですね。そうしたら、「あのときは10歳で……」「まだ4歳だったのよ」といった話になる。当然だけれど、当時ほとんどの方が子どもだったんですね。肥田先生は27歳の時に被曝したのですが、今の被爆者・被曝者の平均年齢は70歳だから、ヒバク当時はだいたい12、13歳です。
戦争責任なんてない子ども時代に、なにも知らないままヒバクしてしまった。そして、病気になってもそれは原爆のせいじゃないといわれてきた。まともな医療は受けられず、アメリカの調査隊などは実験材料として検査しただけ。その状況は、50年以上経った現在のイラクの境遇となんら変わりない。劣化ウラン弾の被害を受けたイラクの子どもたちとおんなじじゃない! とそのとき思ったんです。自分のなかでこの二つが重なり合い、それから、本格的に映画づくりの方向に転がっていきました。
――その後、「アメリカの被曝者」トム・ベイリーさんに会われたんですよね。
2001年の夏に肥田先生と広島に行ったときです。トムはワシントン州にあるプルトニウムを製造するハンフォード工場の近くに住んでいたために被曝した。それはアメリカ政府がわざとやったことだというんですね。事故じゃない、わざとだって。最初聞いたときは「そんなSFみたいなこと……。なんのためにそんなことを……」と、にわかには信じられませんでした。でも調べてみると、アメリカでそういう事実がたくさんある。
――鎌仲さんのなかでイラクのことと58年前のことが繋がり、さらにアメリカでも同じことが起きている、と。
そもそも核を安全に管理するというのは世界中のどこでもできていないわけだから、それを持ってるアメリカにも当然被害はあるわけです。ハンフォードの工場で働いている人たちだって被曝しているし、劣化ウランを扱っていたアメリカ兵たちも湾岸戦争症候群というかたちで苦しんでいる。
そして、戦争で劣化ウラン弾や核兵器を使えば、被害は一国には止まらない。イラクで使用されれば、中東一帯が汚染される。
それで、〈ヒバクが起きているところに国境は関係はないんだ。それを映画で見せたい〉と考えたんです。国や政府とは関係ないところで普通の人たちがヒバクしている事実があり、そこが恐ろしいんだ、ということがいいたかった。
つまり、日本の被曝者・被曝者も、イラクの被曝者も、アメリカの被曝者も、みんな「ヒバクシャ」ということです。元をたどればみんな普通の生活をしていたのに、気づいてみたらヒバクしていた。
そして、そういうことが現在進行形で起きている。ヒバクシャとは誰なのか、ということを探っていくと世界中にいる。核兵器を二度と使うな、ヒバクシャを二度と出すなという運動はずっと続いていたのに、知らない間にヒバクはどんどん広がっていたということが見えてきたんです。
――映画の中で、アメリカのある科学者が「(ヒバクと疾患の)因果関係はない」とインタビューで応えていますよね。公害などでもそうですが、科学者というのは「因果関係がない」と言い続ける人たちなのかな、というふうに思ってしまいます。その一方で、肥田先生のように、現場で闘っている人がいるわけで……。
肥田先生は医者だから、どんな命でも守り、大事にするという基本があるんですよ。だから、「最小限の犠牲を出してもそれに見合うだけの利益があればいいんだ」という言い分には絶対に与することができない。だけど、政治家などはそうじゃない。「イラクの民間人が多少犠牲になってもしょうがないし、多少兵隊が死んでも勝てばいい」と思ってる。そのあたりが根本的に違う。
後者の考えをたどっていけば、「広島・長崎に原爆を落としたから戦争が終わったんだ。だから落としてよかったんだ」という言い分につながります。「あの人たちは可哀相だったけど、犠牲は最小限だった」と。そういう考え方を、肥田先生をはじめ、原爆によってその後の人生を苦しめられ続けてきた人たちが容認するわけにはいかないじゃないですか。でも、アメリカ人のほとんどはそう思ってるんです。
そして、「核兵器をどんどんつくって、どんどん持つということは、なんだかわかんないけど戦争抑止になったり、平和維持につながるんだ」なんていう都合のいい論理がそこからでっちあげられている。そして、「平和のため」と称して核兵器を何万発も持つ。そして、実際に、劣化ウラン弾というものが使われてきた。
これに対して、原爆を落とされた側の日本が「違う」といわなかったら、世界はなにも変わらない。つまりそれが唯一の選択肢なのか、ということを言っていかねばならないと思うのです。現実をみると、日本人はこれについて今まで考えてこなかったんだなぁ、考える機会もなかったんじゃないかなぁ、と思えてきます。辛い立場に置かれているヒバクシャに対してはいまだに無関心ですし、政府がきちんと補償していないということに関しても、日本の中で「何とかしよう」という議論になっていない。
――ところで、この映画の副題「世界の終わりに」というのは、どういうメッセージが込められているんでしょう?
もともとのアイディアは、マルセル・ジュシャンというアーティストの墓碑銘に書いてある「されど死ぬのはいつも他人」っていう言葉から来ているんですよ。人間は自分が死ぬときには自分の死を客観的に認知することができない、自覚することができない、ただ死ぬんです。でも、その死はその人にとって世界の終わり。世界を感じるということはそこで終わる。その人にとっての世界が終わりになる。
私が映画で見せているのは、ラシャの死だけですが、98年当時、60万人の子どもたちが経済制裁で殺されていた。それは現象的には病気で死んだのですが、客観的に見れば殺されたといっていい。私たちの無関心で、私たちが見捨てた、イラクの子どもたちの生命。それは、原爆投下後の広島や長崎でも起きていたことです。そして、60年間生き延びてきたヒバクシャに対しても……。
これが世界の終わりでなくなんであろう、ということです。
もう一つはマンガなどで、核戦争が起きて地球上のあちこちで火花のように核爆発が起きているシーンがありますが、そんなバチバチやらなくても、世界の終わりは、私たちの知らないうちに近づいている、ということをいいたかった。じわじわと遺伝子がやられて、次の世代から殺されていってる。そういうことが地球規模で進行しているという意味では、「世界の終わり」はすでに始まっているということです。
でも、肥田先生は、このサブタイトルをみて「核のある世界の終わりかぁ」っていうんですね。だから、人によっては「戦争のある世界の終わり」とか「ブッシュのいる世界の終わり」とかってとる人もいます(笑)。
――これについて、映画の中では説明されていませんよね。
全然してない。この映画じたい多義的にとれるようにつくってあるんです。
もともと映画って、独裁的な監督がいて、自分がなにかをいうために創作するというようなプロパガンダ的な側面を持ってる。だけど、私の映画はそういう手法を一切なくして、イデオロギーというものに関係なく、ただただ殺されていく側を映したものなんです。
――こうして完成されたわけですが、やはり、ここに至るまでにはいろいろなご苦労や迷われたことがあったのではないですか?
映画で見せている事実は、非常に重く重要なものですが、これらはマス・メディアではきちんと出てこないし、出せないのが現実です。だから、自主制作というかたちでつくるしかなかった。それを借金してでもつくろうと思ったのは、やっぱり、つくらないと自分自身に納得ができなかったから。これをつくらないで、自分をごまかしてエンターテイメント的な作品だけをつくっていくということはできなかった。いま、自分自身にとってこれが一番大事な問題だと思っていますから。作家としてこれを避けて、次の大事なことに移行するわけにはいかないんです。
私にとってはチャレンジだったし、最初は失うものの方が多いんじゃないか、と不安にもなりました。まず、経済的な損失が大きいし、大失敗するかもしれない。つくることにものすごくリスクがあったのは確かです。
それでも、私が「つくるんだ」と心に決めると、それまで知らなかった方もふくめて、たくさんの人たちが助けてくれました。本当にありがたいと思っています。なにより、その人たちが私と一緒にこの映画に関わったと思ってくれていることがうれしいですね。
――映画をみた方の反応はいかがですか?
私は説明的につくってないのですが、「すごく分かりやすかった」っていう感想が多くてびっくりしました。それから、「まるで自分がヒバクした気分になった」とか。若い人もけっこう来てくれて「なんとかしなくっちゃ」っていってくれます。また、「自分が知らなかったことに腹が立つ」という感想もありました。「重く受け止めました」というのは女性に多いですね。男性はそういう感想は少なかった。男性と女性ですごく分かれますね。男性はもっと政治的なことが見たいと思うのでしょうか……。私は日常を描いているから。
――これから観賞される方にメッセージをお願いできますか。
起承転結もないし、ああしなさい、こうしなさいといっているわけでもなく、ただ、植物が成長するようにできた映画です。だから、自然と生活感覚が伝わってくるようにつくったつもりです。私は思いを込めてつくったのですが、その思いを言うためにヒバクシャの人たちに出てもらっているのではなくて、やっぱりあくまで「ヒバクシャの声を聞く」というのがコンセプトです。だから、「真っ白」になってみてもらいたい。そうすれば、国とか民族が違っても、時代が違っても、ヒバクしている人たちのありようというものが同じだということが見えてくるのではないでしょうか。
ガーッと縦線があるような映画ではないので、画面の隅っこの方にも関心を持っていただけるものがたくさんあるかもしれません。そういう意味では中央集権型の作品ではなくて、見る人に委ねる、というスタイルです。どういうふうに受け止めるかというのは、すごく多様だと思います。でも、それでいいのではないでしょうか。
――今、こういうときだからこそ、多くの人に見てもらいたいですね。
日本は自国を「民主主義です」と言ってますが、小泉首相は「世論は必ずしも正しくないから」などといい、世論を反映しない政治をやってるわけですよね。それで実際、有事立法とかイラク特措法ができてしまった。自衛隊員がイラクに行ったら絶対にヒバクします。そういうことを政府は知っていると思うんです。それでもやるんですね。そして私たちはこれを止めることはできない。そんな国に生きていて、みんな閉塞感や無力感があると思うんですよ。でも無力のままでは、だめ。それじゃあ、戦争していいってことになっちゃう。
映画を見てもらえば、分かると思いますが、これからの戦争で被害を受けるのは一国や一地域ではない。殺されるのは次の世代であり、隣人であり、家族。まさに人間そのものに対する戦争なんです。その本質的な部分が見てもらいたい。
そういう意味で、この映画の自主上映会を主催するということは、ひとつの社会参加であり、戦争にNOということになると思います。感想はいろいろかもしれませんが、同じ映画を見ることで、情報は共有されるわけですから。もちろん、思いも共有されればベストですが……。〈了〉
映画『ヒバクシャ〜世界の終わりに』 自主上映団体募集 |
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