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これでいいのか!? 北朝鮮報道 「北朝鮮報道のあり方」を考える記者会見
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森 達也(ドキュメンタリー映画監督)
映画を作っています。娯楽産業の片端にいる人間が、こういうジャーナリスティックな場にいると不思議に思う方がいるかもしれませんが、私も不思議です。ただ、ずっとオウム真理教のドキュメンタリーを撮っていまして、撮り始めたのが96年ですが、撮り始める前は10年間、テレビで報道の仕事をしていました。今もやってはいます。オウムのドキュメンタリーを撮る過程でいかに自分がものを見ていなかったか、見ているんだけれど目に入っていなかったと知った。その辺の体験があって今日はよばれたのだと思います。
拉致被害者の支援法案についての報道があったときに僕は、中国残留孤児の皆さんはどういった気持ちでいるのかなと思うんです。最初はメディアも行政も大騒ぎして、帰ってきましたよね。北朝鮮の拉致は国家的犯罪ですが、中国に死ぬことを承知で置いてきたのも国家的犯罪です。中国残留孤児の彼らが帰ってきてどういうケアを受けているのか、メディアがどういう関心を向けているのか、実態を調べてみればいいと思いますが、相当悲惨な状況になっていると僕は聞いています。
もしかしたら、拉致被害者の方たちも、これから何十人、何百人という人が帰ってきたときに、また同じことになるんじゃないかという気がすごくします。
メディアが、視聴率や購買部数を至上の価値に置くのは当たり前のことです。この場には市民グループレベルの方もいらっしゃいますが、マスメディアは仕事で来ているわけで、売り上げ、視聴率、部数が大事な指標なのは当然だと思います。でも、もしかしたら、2番目か、3番目くらいに、メディアの使命感や、違った視点から提示をすること、4番目か5番目かもしれませんが、その辺入るのであれば、曽我さんが歯医者へ行ったとか、パンを作ったとか、ということはみんなが喜ぶからやるのは分かるのですが、その合間に、もうちょっと、中国残留孤児の視点から、とか、創意工夫をしてくれてもいいんじゃないか。少なくとも僕は、そういったものを見たいです。
かつて、僕はさんざんオウムを撮ってきたわけですが、メディアも行政も市民社会も一枚岩になってオウムを排除し、今もしています。先ほどから9・11の話が出ていますが、僕は構造はオウムのあの時代の報道体制の報道に近いと感じます。
拉致報道について、うちの近所のおじちゃん、おばちゃんと立ち話をすると、「森さん、テレビの仕事やっているみたいだけど、最近テレビ変よね」という発言が結構出ます。オウムのときは出ませんでした。市民、視聴者、読者の方が、そろそろメディアは何だか違うんじゃないのという感じを持ちつつあるという気が僕はします。メディアは気づいていない。置いてけぼりになりますよ。偉そうなことを言っていますが、メディアの一員なので、そういう不安を感じています。
これまでの歴史、これは大事なことです。強制連行もありました。あんまり耳目に出ないけれど大事だと思うのは関東大震災の後の朝鮮人の大虐殺。日本人の一般市民が、6000人の朝鮮人を殺したんですよ。
だた、同時に、拉致されたということに対して、過去にはこういうことがあったと数字を付き合わせたり、右と左の論争で事実があったかないかという不毛な論戦になってしまうのは賢くないなと思う。要はどちらも加害者であり、被害者であるので、その認識が一番大事だと思う。小学生レベルの幼稚なお話が一番僕らには欠けているのではないか、という気がしています。
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